ロケ地としても有名な深谷にある酒蔵の映画館
ラジカル鈴木の味わい映画館探訪記
続けて我が故郷・埼玉県。群馬県との県境、中山道が通り宿場町として栄え“深谷ねぎ”で有名な深谷。母親が群馬出身で、JR高崎線で何度も通り過ぎたが、初めて降り立つ。引き留められたのはやはり映画の力。煉瓦の町でもあり、東京駅の煉瓦の7割は深谷産。ちなんだミニ東京駅のような駅に驚く。人口約14万4,000人。平野に高い建物が少なく空が広い~。農地で土が良く、また水が美味しいので、井戸水の利用率も高い。何とものどかだ。
10分ほどぶらぶら歩くと、年季の入った煙突が遠くからも見える。七ツ梅酒造敷地“にぎわいの里”に到着。元禄7年創業、剣菱、男山と並ぶ名酒・七ツ梅を造り300年続いた。建物群を活かした飲食店、茶屋、古本屋、FM局、鬼瓦工房、豆腐工房……まるでセットみたい! そして敷地の一番奥へ。おお、映画館にはまったく見えない!
今月の名画座「深谷シネマ」
埼玉県北部唯一のミニシアター、そして全国で他に無い“酒蔵”の映画館。そのまま残した柱と梁から歴史を感じる。野口久光(※音楽評論家、画家。1,000点を超える映画ポスターを描いたといわれる)のポスターがあるロビーはカフェになってて、映画書籍の本棚も。料金は1,100円均一、ロードショー後の作品を上映する2、3番館にあたる。場内の柔らかいシートは前後の間が広くゆったり。舞台挨拶などイベント時は80~90席まで増やせる。月に1、2回、監督を招いたトークショーも実施。子供連れのお客様向けに防音のボックス席も設けられている。ちなみに、トイレはかつて馬小屋だったそう。
運営は認定NPO法人市民シアター・エフ。市内に映画館を作る運動を始め、3,300人の署名を集めて2000年、洋品店を借りて「フクノヤ劇場」を設置。2002年、銀行跡地に「チネ・フェリーチェ」を正式に開館。イタリア語で“幸せな映画館”の意味だが、覚えづらいと地元ご婦人の声に押され、「深谷シネマ」に変更。2010年に移転。洋品店シネマから始まり、銀行シネマ、酒造シネマと、何ともユニーク。
現建物が映画館に向いていたが、損傷が激しくほぼ建て替え。経済産業省から空き店舗活用の補助金を得て、市民からも1,000万円の寄付が集まった。2台のフィルム映写機は渋谷のシネ・アミューズ閉館時に譲り受けた。2013年からデジタル映写機を導入し、新作の上映を可能に。
館長・竹石さんは言う。「でも、長い間恩恵にあずかり、感謝と敬意あるフィルムの映写機を無くすことは考えていません。近い将来、フィルムの上映はかっこいい、と再評価されると思います」。
館長・竹石研二さん「街には必ず映画館があるべき」
上映前には必ず館長自ら挨拶する。「初期からの習慣です。最近はお客様が『いろんな映画をやってくれてありがたい』と言ってくださって、満足度も上ったようで、今までの苦労はふっとんじゃいましたね」。墨田区出身、奥様の出身地深谷に長く住む70才の竹石さん。柔らかい物腰に映画への熱い想いが滲む。竹石さんは、今村昌平監督が設立した横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)の第1期生で、日活で児童映画の配給に携わったのち、生協で働く。50歳のとき、自分の好きな事、一番大切なことにシフトし、「深谷は40年間以上映画館が無く、その寂しさには本当に耐えられなかったです」。仲間を募り、活動開始。現在は埼玉県内のミニシアターを応援するNPO「埼玉映画ネットワーク」、「北関東コミュニティーシネマ連絡会」の理事も務める。
いま埼玉県は映画館のない都市が7割。「街には必ず1つの映画館が必要です。文化コミュニティーの中心として、必需なんです。集客率が問題ですが、小さな街でも可能であることを証明しました。各街で復活させようとという動きが広まっています」。運営法を編み出し、同好の志に与えた影響は計り知れない。遠くは広島県の「尾道シネマ」、関東では前回の「川越スカラ座」、群馬県の「シネマテークたかさき」。茨城県の「あまや座」は30席の映画館。「代表の大内靖さんは深谷出身で自分でも映画を撮る人。頑張っていますね」。また栃木県足利市は映像のまち推進課をつくり、市が運営する劇場設立を検討中。「市長さんと課の皆さんがうちに見学に来ました」。
最初は洋服店の2階を借り1年間、近所のおばあちゃん達のリクエストで『愛染かつら』(1938)を上映し、1,150人を集めた。昭和12年、日中戦争の前夜に大ヒットした作品で、「当時庶民は戦争ではなく、恋を支持した」という評論家の佐藤忠男の宣伝文句がぐっとくる。「上映後、知らない人同士でお茶を飲みながら話がはずみ、皆さん帰りませんでした。映画の力って凄いなって思いましたよ」。
あの映画も、あのドラマも!名作&ヒット作のロケ地
2004年から映画祭開催と同時に、レトロで懐かしい情景に映画やドラマのロケを多数誘致。月に数回、年間50本程の撮影がされる。深谷出身の入江悠監督『SR サイタマノラッパー』シリーズ、『ギャングース』『ビジランテ』、園子温監督『希望の国』、深川栄洋監督『いつまた、君と ~何日君再来(ホーリージュンザイライ)~』、沖田修一監督『モリのいる場所』、鈴木卓爾監督『ゲゲゲの女房』や『七つの会議』『あの頃君を追いかけた』『春待つ僕ら』『HiGH&LOW』『DESTINY 鎌倉ものがたり』『ラスト・ホールド!』『14の夜』『64』など。テレビでは「破獄」「とと姉ちゃん」、北野武監督「オモクリ監督~OーCreator's TV show~」などなど。塚本晋也監督『野火』は毎年8月に上映され、今年は併せて『ヒルコ 妖怪ハンター』(1991)をフィルムで上映する。
「誘致の“深谷フィルムコミッション”の強瀬誠さんは、深谷シネマ立上げのメンバーです。ねぎ農家をやりながら活動してます。入江監督は、うちの次男の同級生で『SR~』でブレイク以前、「ふかや・インディーズ・フィルム・フェスティバル」第1回でグランプリを取って以来応援してます。いつか彼に深谷の名士、渋沢栄一の若き日を撮ってもらいたいんです」。
映画作家・大林宣彦さんが「まち遺し」に賛同
名誉館長は大林宣彦さん。初めて訪れた際には、移転候補のこの地を気に入り「これは遺さないとね」と。常々監督は「街は作るのではなく今あるものを雑巾がけしてでも守るもの。だからまち遺しというのが基本」と唱え、「映画館運営だけでなくまち遺しが目的という意図に賛同していただき、毎年イベントにいらしてます」。
「映画館がない街の人が、違和感に気がつかないのかなあ? と思うんです。映画はパブリックな芸術で、当たる、当たらないという尺度だけでなく、文化を取り戻すアイデンティティです。深谷の人たちはそこに気づいてくれました。映画館に来るのが生活の一部になった方が沢山います。映画が観られる街は元に戻ると信じています」。深谷シネマが出来てから商店街は確実に活気づいた。
表へ出て映画を観よう! 「映画を観たら良い話がいっぱい出来て、お年寄りにはボケ防止に有効です。想い出の名画を観たら一気に若返りますよ(笑)。いろんな効果があるはず。ふらりと寄れる映画館があり、一杯やりながら映画の話をする、最高です。住んでいる人が本当にいい街だと思えば、外からも人が集まる。隣りの熊谷まで行けばシネコンはありますが、ちょっと遠いし、商業作品が中心で、案内も機械の音声だったり、コミュニケーションが希薄な感じがする。うちは『いま何かかってんだい?』なんて電話がきます(笑)。受付での挨拶や会話も大事にして、お客様との間に信頼関係があります。ドキュメンタリーや日本の古い映画等をやり、棲み分けてシネコンと共存しています。7月4日には『港町』の上映で想田和弘監督がいらしてトークがありますので、是非」。
七ツ梅内にはお店を出したいという人が参加し、今はほぼいっぱい。「『シネマ』には年間2万5,000人のお客さんが訪れますが“にぎわいの里”トータルでは5万人が訪れます。今度、土地を所有者から引き継ぐことにしました。そのために新たに寄付を募っていきます」。映画を観た後、敷地内の古書店「須方書店」で映画の本を購入し「シネマかふぇ七ッ梅結房。」でなんと300円で名物のシネマカレーをいただける。家庭のカレーといった優しいお味。丸一日、この里でのんびりタイムスリップしたい。帰途「ふっかちゃん横丁」の、その名も「立呑み屋」で一杯ひっかける。次回はちょっと足を伸ばして、日本煉瓦資料館や、渋沢栄一ゆかりの誠之堂・清風亭も見たい。7月6~8日には深谷七夕祭りもある。にぎわいの里、中山道商店街と合わせてお出かけください!
映画館情報
深谷シネマ
住所:埼玉県深谷市深谷町9-12
TEL:048-551-4592
客席数:60
定休日:毎週火曜日
URL:fukayacinema.jp
Twitter:@fukaya_cinemama.jp
ラジカル鈴木 プロフィール
イラストレーター。映画好きが高じて、絵つきのコラム執筆を複数媒体で続けている。