再生したハマの映画館
ラジカル鈴木の味わい映画館探訪記
アイムバック、ヨコハマ!! 第7回と11回も取材しましたが、やっぱり大好きな横浜。特に「伊勢佐木町ブルース」が脳内に流れ出す野毛~関内~伊勢佐木町~長者町~黄金町辺りがタマリマセン。京急線の日ノ出町駅で降りて中華・第一亭で裏メニューのにんにくをたっぷり使った麺パタンで腹ごしらえ。大通りの根岸道路をブラブラと5分。長~い商店街イセザキ・モールとの、ニューオデオンビルがある交差点。一本裏の路地に、64年の歴史の映画館が。JR京浜東北線関内駅からも徒歩5分、ブルーラインの伊勢佐木長者町駅から2分。
昔、海外からの新作は封をした缶に入り横浜港に到着し、日本で最初に公開した横浜ヲデオン座。その封を切るので"封切館"と呼ばれ"封切り"という言葉が生まれた。界隈は全盛期40軒、20年前も大小約20軒の映画館があったが徐々に減り、今年6月に横浜ニューテアトルが閉館。周辺は以前取材したシネマ・ジャック&ベティと、横浜シネマリンの2館のみに。関内では唯一の映画館。築60年のレトロなビル、1階はこれまた昭和の匂い漂う喫茶店「あづま」。地下へ降りると奇麗な受付にロビー、落ち着ける木製のベンチ。
今月の名画座「横浜シネマリン」
1955年、吉本興業経営の大映専門館「横浜花月映画劇場」として開館。1964年、とんかつ店がオーナーとなって「伊勢佐木シネマ」となり東宝系を上映、日活ロマンポルノがメインの時期もあった。1986年に「横浜シネマリン」に改名、松竹系作品を中心に上映。幾多の変遷を経てきたが、デジタル化の波により、幕をおろさざるを得ない危機が迫る。
横浜の映画サークルで活動していた八幡温子さんに、経営の話が舞い込む。"横浜に映画の灯を消したくない、観たい作品を地元で"という想いから即承諾。それまで培った関係者に相談し、映像・音響、内装・照明、番組編成は元・吉祥寺バウスシアターの西村協(かなう)氏それぞれのプロフェッショナルにお願いし、再生計画が始動。場内は細長く、165あった席の前4列を撤去し、102席にして舞台挨拶やトークの為のスペースを確保。評判の良い座席は、列でずらし前席の人の頭が邪魔にならないよう設置した。スクリーンを大型に替え、位置も調整。2014年、小津安二郎の誕生日で命日の12月12日に、前日に床の張替えを終えるというスリリングなスケジュールで何とかリニューアルオープン。
横浜のミニシアターが次々と閉館したあの頃
「去年から自分で選定をやるようになりました。以前からかけたい作品は自らとっていましたが、メイン作品はほぼ西村さんがとっていたので、わたしと映画会社との信頼関係はゼロからのスタートです。苦労はまだありますが、固定ファンは確実に付いてきています」
八幡さんは横浜市出身。1992年に結婚を期に茅ヶ崎市に移住。当時シネコンはまだなく、町の名画座は潰れ、映画館がなかった。「マイカル松竹シネマズ本牧とか、横浜まで観に来ていました。掲示板で茅ヶ崎市にも映画サークルがあるのを知って入会し、いつの間にか事務局長にまでなっていました。介護をテーマにした劇映画の上映では、1日で800人もお客さんを集めたこともあります」
その後、自身が親の面倒を見ることになり横浜に戻る。「介護の合間に映画に行くつもりが、再生前のジャック&ベティも含む同じ経営の5館が同時に潰れてしまって」。そこで働いていた人やファンと、映画館を再建する目標で横浜キネマ倶楽部を立ち上げる。なくなった一館、「関内アカデミー」が特にお気に入りだったと言う。「東京でやっているトンがった作品をかけていて、貴重な存在でした。今は当たり前かもしれないけれど、受付とモギリと映写を、1人のスタッフがやっていましたね」
シネマリンを引き継いだものの、築60年のビルは配管が痛んでいたり、水漏れやシミ、あっちもこっちも痛み、空調機からはカビがまき散らされる始末。やめたら? という意見もあったが、諦めなかった。修繕費は膨らんだが、デジタル上映環境と、35mm映写機2台を導入、ドルビーサラウンド5.1にし、女性トイレを増設。明るく快適な空間として再生した。
アルタミラ・ピクチャーズ桝井省志さんは小中学の同窓生
コミュニティシネマ会議イン横浜で出来たつながりで、横浜の映画活動を盛り上げようと"横浜シネマネットワーク実行委員会"を結成。「11月17日、一日限りの3本の作品の特集上映〈昭和の怪女優 浪花千栄子〉特集をやります。コミュニティシネマセンター代表の、大分のミニシアター・シネマ5の田井肇さんに来ていただき、彼女がいかに凄い女優か、みっちり解説してもらいます(笑)」
また『Shall we ダンス?』(1996)、田中麗奈の映画デビュー作『がんばっていきまっしょい』(1998)や『ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム』(2004)の映画製作会社アルタミラ・ピクチャーズの桝井省志さんは、在学中は知らなかったものの八幡さんと同じ小中学校の同窓生だったことが判明し、以降いろいろ協力してもらっている。オープン3周年記念上映作品は、昨年に亡くなったミュージシャン遠藤賢司さんの『不滅の男 エンケン対日本武道館』(2005)も。「亡くなって全国で最初の公開でした。35mmのフィルムで上映して、本当にたくさんのお客様が来られました」。また、桝井さんの教え子の芸大の卒業生製作の『心魔師』が11月17日から上映される。
特集を組むのが大好き
「特集はメジャーな作品以外も紹介できるし、自分も観られます。プログラムを組むのはとても楽しいです。曜日を縦軸として、ある特定の曜日しかお仕事がお休み出来ない人がいますよね、その曜日の縦軸を観て行けば、大体すべての作品をまんべんなく観られるようにして、また、時間帯を横の軸として、仕事や子育て、介護と忙しい時以外で毎日同じ時間帯に来ていただければ大体すべての作品を観られるようにも配置します」。あるお客様から「フルタイムで働いていますが上手に組んでくれたので9作品も観られました、感謝しています」と言われ、それが一番嬉しかったという。「プログラムを組み終わったら、特集はわたしの中ではある意味終わっています(笑)」
夏にやった「ベルイマン生誕100年映画祭 デジタル・リマスター版」は、三大傑作を含む、配給権を持った2社から選りすぐりの13作品を上映した。
シネマ・ジャック&ベティとの密な関係
劇場同士の結束について訊く。近かったので横浜ニューテアトルとは結構相談したり、『どうよ?』って愚痴をこぼし合ったりしていたそうだ。「支配人に随分アドバイスいただいていたので、閉館する事態になる前に誰かに相談出来なかったんでしょうか。話して欲しかったですね、本当に残念です」。今一番密に協力し合っているのがシネマ・ジャック&ベティ。「Life worksというチームで横浜ロケの短編を製作、2館のみで予告編の時間帯に1日1回上映しています。『ヨコハマメリー』(2005)の中村高寛監督と、横浜在住の利重剛監督が中心となって運営し、有名な監督から若手監督まで様々な監督に製作していただいています。4週間に1本を上映して作品ごとに舞台挨拶もあります。シネマ・ノヴェチェントさんは独自路線ですね。オーナーの箕輪さんは、面倒くさいからいいよ、とかいいながらも、昨年のコミュニティシネマ会議イン横浜には参加していただいています」
地元の作品もどんどん応援していきたいという。神奈川の大和市が舞台の基地問題を扱った作品『大和(カリフォルニア)』(2016)は、シネマリンとジャック&ベティで取り上げた。先日上映したオール横須賀ロケの『スカブロ』(2017)は、「横須賀はいま、人口流出が止まらないらしいのですが、矢城潤一監督がその魅力を伝えようと作った力作です」
支配人・八幡さんおすすめのお食事処
「伊勢佐木町、長者町は外国人も多くて人種のるつぼ。お洒落して出かけるような町ではなく、庶民の商店街で気軽に来られます。眠らない夜の町でもあります。最近、洋服の老舗がなくなったり、耐震工事で建替えのビルも多く、シンボルだったニューオデオンビルに大手ディスカウントショップが入ったのは象徴的な出来事でした。でも、まだまだ良いお店は健在です。中華料理店『龍鳳』さんは小さいのに本格的な中華料理屋さんで、招いたゲストとよく行きます。インド映画上映にちなんで、25年やっているインド料理の老舗『モハン(MOHAN)』さんに映画の半券提示割をしてもらったり、天ぷら、お刺身が美味しい『登良屋(とらや)』さんはボリューム満点のランチが最高で、Life worksで撮影もしています。映画を観がてら散策してみてください」
取材後、ここに入らにゃあと、1Fの喫茶あづまへ。懐かしい味のナポリタンをいただきながら、大勢の人が行き交う大通りを眺め、かつてのハイカラな映画街に想いを馳せました。
映画館情報
横浜シネマリン
〒231-0033 横浜市中区長者町6-95
TEL : 045-341-3180
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ラジカル鈴木 プロフィール
イラストレーター。映画好きが高じて、絵つきのコラム執筆を複数媒体で続けている。