映画からもただよう香り……伝説のフランス香水
映画に見る憧れのブランド
古代からわたしたちの心を虜にしてきた香り。17世紀初頭のフランスでは、調香師(パルフュムール)という仕事が誕生しました。そして、パリの手袋製造業たちが香りつきの手袋、石鹸、ポマードやフレグランス・ウォーターをお店で販売するように。今回は、そんな歴史に残るフランス香水の名品が登場する映画を紹介しましょう。
1:ゲラン 「ミツコ」(1919年)
1919年、クロード・ファレールのベストセラー小説「ラ・バタイユ(戦闘)」のヒロインの名にちなんで創られたのがゲランの「ミツコ」。日露戦争下、神秘的な日本人女性ミツコにフランス海軍士官が抱く恋心を描いた物語です。実はこの小説のほかにも、調香師ジャック・ゲランをインスパイアしたと考えられる、もう一人の“ミツコ”が実存しました。
明治維新中の東京でオーストリア=ハンガリー帝国の貴族ハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギー伯爵と出会い、結婚した青山みつ(後のクーデンホーフ=カレルギー光子)です。東洋から嫁いだ彼女はヨーロッパの上流階級で有名となり、ゲランの「ミツコ」のモチーフになったと噂されています。
この小説を映画化したエドゥアール・ヴィオレ監督作『ラ・バタイユ』(1923)には、青山みつのように海外で活躍した日本人女性が出演していました。本作でミツコを演じた青木鶴子は、幼い頃にアメリカへ移住し、無声映画時代にアメリカとフランスで成功した日本人女優です。1910年代のハリウッドでトップスターだった日本人俳優の早川雪洲と結婚し、アジア人女優で初めて主役級の映画に出演しました。
第一次世界大戦後には、戦時中男性の代わりに労働に従事した女性が、髪やドレスの丈を短くし、ジャズ、ワイン、煙草や酒を楽しみ、戦前の伝統的な女らしさから解放されようとしていた時代。香水“ミツコ”は、伝統的な価値観と新しい価値観がぶつかり合う怒涛の新時代に産み落とされたのです。
2:シャネル 「N°5」(1921年)
「香水をつけない女性に未来はない」という名言を遺したココ・シャネルが初めて、1921年に発表したフレグランスが「N°5」。マリリン・モンローが愛用したことでも有名ですが、クチュリエ自身の名前がつけられた世界初の香水でもありました。
当時シャネルが、愛人であったロシアの亡命貴族ドミトリー大公から紹介された人物がエルネスト・ボーでした。モスクワ生まれの彼はロシア宮廷ご用達の香水製造業者でしたが、第一次世界大戦後はフランスへ移住。この時代、香料の数は少なく、原料も自然の植物が主だったことから、香りが強すぎる上に長持ちもせず、生産コストも非常に高いという欠点がありました。
こういった理由から、シャネルと出会う以前より、合成香料を用いることを構想していたボー。何か月もの試行錯誤後、試作品に1から5、20から24までの番号がうたれた10本のガラスの小瓶をシャネルの前に並べました。そして、シャネルが選んだのが、「N°5」だったのです。ボーが名前を聞くと、「このままにしましょう。わたしは5月5日にコレクションを発表するから、5という番号は縁起がいいのよ!」と答えたのだそう(『フランス香水伝説物語』ダヴィス/スタブレ共著)。“花の匂いではなく、シャネルの香りがして、長持ちする香り”ーー香水史上初めて脂肪族アルデヒドを高い濃度で用いた香水が誕生したのです。
この様子は、ロシアの作曲家イゴーリ・ストラヴィンスキーとシャネルの短く激しい恋を描いたヤン・クーネン監督作『シャネル&ストラヴィンスキー』(2009)に描かれています。コルセットを追放しスカートの丈を短くして、シンプルで動きやすい自由なエレガンスを女性に与えたシャネルは、自分の下着やスーツ、カーテンにまで「N°5」をつけていたほど、誰よりもこの香水を愛していました。
ちなみに、ナタリー・ポートマンがアカデミー賞主演女優賞を受賞した、ダーレン・アロノフスキー監督作『ブラック・スワン』(2010)には「N°19」が登場。「N°19」はシャネルの生存中に創られた最後の香水です。
3:ゲラン 「シャリマー」(1925年)
1925年、ジャック・ゲランがインドを旅したときに生まれた香りの「シャリマー」。ムガル帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンと妃ムムターズ・マハルのラブストーリーにインスピレーションを受けて生まれました。愛妃マハルが14人目の子供の出産後に亡くなり、嘆き悲しんだ皇帝が15年もの歳月をかけて建築した霊廟が世界遺跡のタージ・マハル。
バカラのクリスタルを使用し、タージ・マハルの大理石の模様をデザインしたラベルを貼ったボトルに包まれた、エロティックでオリエンタルな香りの「シャリマー」は瞬く間に上流階級でひっぱりだこになり、当時のヨーロッパ人の植民地世界へ憧れが表現されています。
80年代に台頭するキャリア・ウーマンの成長と恋を描いたマイク・ニコルズ監督作『ワーキング・ガール』(1988)では、投資銀行で働く秘書のテス(メラニー・グリフィス)が憧れる、M&A部門の重役キャサリン(シガーニー・ウィーヴァー)が、セクシーなランジェリー姿でつける香水が「シャリマー」。
また、7分間のサイレントムービーから生まれたゾンビ映画、ベン・ハウリング監督作の『カーゴ』(2017)にもこの香水が登場します。感染すると48時間後に死んでしまうという未知のウイルスに侵された父(マーティン・フリーマン)が幼い娘を抱っこして歩きながら、妻が使っていた「シャリマー」をリュックから出して嗅ぎ、「ママの匂いがするよ」と娘に語るシーンがあり、この香水が忘れられないフレグランスであることを物語っています。
4:ニナ・リッチ 「レール・デュタン」(1946年)
ジョナサン・デミ監督作『羊たちの沈黙』(1991)で刑務所にいるハンニバル・レクター博士(アンソニー・ホプキンス)がガラスのドア越しにクラリス(ジョディ・フォスター)の匂いを嗅ぎ、石鹸や香水のブランドを言い当てる、あのゾクッとするシーン。クラリスがつけていたのが、フランスのクチュリエール、ニナ・リッチが1948年に創った初めての香水です。
様々なオートクチュールの店でモデリスト(クチュリエのために型紙、作品見本やデザインを作る職人)として長年働いたニナは息子ロベールと1932年に自分のメゾンを創業しました。ショートカットやパンタロンに特徴されるボーイッシュなギャルソンヌ・ルックが大流行中でしたが、ニナは女性らしくロマンチックなドレスを展開し、大成功を収めました。第二次世界大戦後の1946年、ロベールはニナの名前を広めマス市場を開拓するために「レール・デュタン」を発表しますが、スパイシーカーネションの香りが前衛的すぎて不評に終わってしまいます。
ところが、2年後の1951年に白い2羽の鳩のキャップがついたボトルに変わって以来、世界のどこかで5秒に1本の割合で売れているほどの名作に。“時の流れ”という名づけられたこの香水には、この香りをまとい夢を実現してほしいという願いが込められています。FBI捜査官になるために、たゆまぬ努力を重ねるクラリスにふさわしいフレグランスなのです。
5:ジヴァンシィ 「ランテルディ」(1957年)
偉大なクチュリエであるユベール・ド・ジバンシィとオードリー・ヘプバーンが出会ったのは1954年。前年に公開された『ローマの休日』でアカデミー主演女優賞を受賞した彼女は、ビリー・ワイルダー監督作『麗しのサブリナ』の衣装を選ぶために、ジバンシィのアトリエに訪れました。
同じヘプバーンでも、大女優のキャサリン・ヘプバーンが来るものだと思い込んでいたジバンシィは、新人女優のオードリーを見てがっかりしたそう。しかし、オードリーの気品あるエレガンスに瞬く間に魅了され、ジバンシィが「結婚のようなもの」と語ったほどの親交を深めました。『パリの恋人』(1957)や『ティファニーで朝食を』(1961)などの映画を始め、レッドカーペットやパーティー、オードリーの2度目のウェディングドレスまでジバンシィが手がけるほどの強い絆を結んだ2人は、ファッションと映画に偉大な功績を残しました。
オードリーの魅力を知り尽くしたジバンシィが彼女のために創った香水が「ランテルディ」。この香水が市販されることを知ったオードリーが「あら、それはランテルディ(禁止よ!)」と声を上げたことから名づけられたのだとか。ちなみにオードリーは香水のミューズになった初めての女優です。
6:ラルチザン パフューム 「シャッセ オ パピオン」(1999年)
20世紀のビューティ業界の牽引者といえばジャン・ラポルト。1972年に友人と化粧品ブランド「シスレー」を立ち上げた彼は、自然をモチーフにしたエレガントでシンプルな香りで新しい嗅覚を提供したいという願いから、会社を売却し、1976年にラルチザン パフューム(香りの職人)を設立しました。それまで香水は、老舗の香水専門店や高級ファッションブランドでしか販売されていませんでしたが、ジャンは販売店のネットワークを統合して販路をコントロールし、ニッチな香水市場を開拓することに成功しました。
ゴールドに塗装された7面のキャップと7面のボトルがユニークなラルチザンの「シャッセ オ パピオン」は、テア・シャーロック監督作『世界一キライなあなたに』(2016)に登場します。事故のせいで四肢麻痺になってしまったハンサムな若い富豪ウィル(サム・クラフリン)を介護するキュートなルー(エミリア・クラーク)の恋をコミカルに描きながらも、障害者の自殺幇助(ほうじょ)や安楽死に問題提起する物語。安楽死を選んだウィルは、ルーにパリのラルチザン パフュームのお店で「シャッセ オ パピオン」を買い、「果敢に生きろ」という遺言を残します。「蝶を追いかけて」と名づけられたこのフレグランスは、夢を追いかける勇気のある女性のシンボルなのです。
人間の根源的な感情を揺さぶる不思議な存在、香水。香りが漂わなくとも多くのスクリーンに香水が登場する理由は、ゲランの調香師であるシルベーン・ドラクルトのこの言葉に要約されるのではないでしょうか。「名香は世代から世代へと受け継がれるため、愛する人との思い出を呼び起こします。そして、あらゆる人の情緒面の扉を開いてくれます」(『世界の香水 神話になった65の名作』マリ・ベネディクト・ゴーティ著)
【参考】
※1…原書房 『フランス香水伝説物語 文化、歴史からファッションまで』 アンヌ・ダヴィス/ベルトラン・メヤ=スタブレ著 清水珠代訳
※2…原書房 『世界の香水 神話になった65の名作』 マリ・ベネディクト・ゴーティ著 佐藤絵里訳
※3…原書房 『レアパフューム 21世紀の香水』 サビーヌ・シャベール/ローランス・フェラ著 島崎直樹監修 加藤晶訳
此花さくやプロフィール
映画ライター。ファッション工科大学(FIT)を卒業後、「シャネル」「資生堂アメリカ」のマーケティング部勤務を経てライターに。アメリカ在住経験や映画に登場するファッションから作品を読み解くのが好き。
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