2年ぶりに復活したシネクイントの今
ラジカル鈴木の味わい映画館探訪記
僕の地元・渋谷に戻ってきた! 渋谷PARCO・パート3に1981年、多目的ホール「SPACE PART3」が出来、1999年「シネクイント」になり17年間。2016年、建て替えのため休館していたが昨年7月、2年ぶりに復活! ロフトの向かい、公園通りと井ノ頭通りの間。ここは長年親しんだ渋谷シネパレスの場所。シネパレスも昨年5月 の閉館は悲しかったが、こうしてすぐ再開し、2館が合体したかのようでダブルで嬉しい! シネクイントはかつて間近にあった2016年閉館のシネマライズと共に1990~2010年代渋谷の多数のミニシアターの象徴。以降、映画の街は衰退したかに見えたが……。
今月の映画館「シネクイント」
落ち着いた雰囲気を残しつつ、床、座席を新調。弧を描く階段で、最近は珍しい2階席へ。スクリーンを見下ろし、全く疲れないここが好きで、よく一番前に陣取った。2階全ての席がペアシートになり、家族やカップルで手をつないだり、もたれたり、デートにはピッタリ。今回もこの位置で、スパイク・リー監督の『ブラック・クランズマン』を鑑賞。コカ・コーラとポップコーンのセットは必須。売店のラインナップは、ブルックリン ラガー、東京ホワイトというクラフトビールもそろい、かつてベルギービールが充実していたのを思い出す。ジェラートも美味しい。スクリーン2は下の6階に。
渋谷のミニシアター全盛期
1980年代は渋谷の街全体が、アートの公募展「グラフィック展」などでPARCOを中心にカオス的に盛り上がっていた。僕も搬入の為、大きな作品を担いでスペイン坂を登った。当時のチラシを引っ張り出すとSPACE PART3は演劇上演の他にPFFアワード1986で園子温、橋口亮輔、成島出監督の初期の作品を上映していたり、山川直人監督の商業デビュー作『ビリィ★ザ★キッドの新しい夜明け』(1986)、石井聰亙(現:岳龍)監督『水の中の八月』(1995)、その他ドキュメンタリー映画など、前回取材のアップリンク吉祥寺に近い、ジャンルを超えた多様なカルチャーの発信地だった。
1999年、シネクイントになり、単館系では異例のロングランヒットのオープニング作品『バッファロー'66』(1998)、クリスティーナ・リッチ他どのキャストも良かった。ミュージシャンで、絵を描いたり写真も撮る監督・脚本・音楽・主演ヴィンセント・ギャロの、アバンギャルドなセンスに夢中になって2回観た。他は、PARCOが製作に関わっている『下妻物語』(2004)、『さくらん』(2007)、また『ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男』(2005)など。至近のシネマライズとは共通の割引きやサービスを実施していたので、ハシゴした。
番組編成・配給担当、堤静夫さんに訊く
「苦しくて閉館したのではないので、1年後に『ここでやりませんか?』というお話をいただき飛びつきました。シネパレスさんとはあまり交流がなかったのですが『PARCOさん、お願いします』と託されました」
堤さんは入社26年の60歳。1982年に大学を卒業、雑誌「STUDIO VOICE」の出版社に就職。アメリカのロックバンド、トーキング・ヘッズのドキュメンタリー『ストップ・メイキング・センス』(1984)に感銘を受け、映画に携わりたくなる。何度も観に行って、配給会社の社長に嘆願し入社、場所は渋谷。スタッフは3人、無休は当たり前の大変な生活を3年経て、手掛けた『バグダッド・カフェ』(1987)が大ヒット。7年勤務した。
堤さんはシネクイントの父だ。1993年にPARCOへ。1980年代はTHE SEED HALL、スタジオ200、三軒茶屋のスタジオams、スパイラル: Spiral、と多目的スペースが爆発的に出来た時代。「映画の上映はたった3、4日。予告も流せないので観客は定着しないし、なかなかヒットしない。可動式の椅子は、どうしても雑音が出て上映には向かない。あそこにかかり映画はかわいそう、なんて言われる始末。僕が上に『本格的に映画をやるなら、映画館にしませんか?』と提案したんです」
PARCO、そしてシネクイントのカラー
1990年代、渋谷はミニシアター全盛期。PARCOは自社の厚木、津田沼の映画館を他社に移管したばかりでタイミングは良くなかったが、「渋谷でいまミニシアターの需要はこれだけあります」と3度提案し、やっと許可が降りる。代表格だったシネマライズとは、スペイン坂の上にお客様を呼ぼうとお互い奮闘しました。「シネマライズの最後の3年は、我々が番組編成をしていましたが、残念ながら地域シネコン化までは至りませんでした」
当時は『メメント』(2000)など、ロングランの作品は多々あったが、マーケットは大きく変わった。「お客様が食い付く感が凄かったけれど、いまは淡白なので、どうヒットに繋げるかです」。
業界のネットワークを培うことが出来たのは会社のお陰で、その恩義を還元したいという。「この世界は特に人との関係が大事です。今後それをどうやって後輩に引き継いでいくかです。PARCO映画を存続させたいんです。『search/サーチ』(2018)は、全編パソコンの画面だけで展開する映画で、クイント的な作品で大勢のお客様が来ました」
音楽映画に力を入れたい
先日上映した『ビサイド・ボウイ ミック・ロンソンの軌跡』(2017)のような音楽映画に力を入れていきたいという。ザ・スミス関連の作品2本が控えている。1本は5月31日公開『イングランド・イズ・マイン モリッシー,はじまりの物語』。モリッシーがいろんなトラブルを乗り越えてザ・スミスを結成するまでの劇映画。「事前にお断りしますが、バンドが出来るまでの話なのでザ・スミスの音楽はかかりません(笑)。ファンの食い付きが凄く、改めて人気があるなあ、と」。もう1本はザ・スミスの解散の日にアメリカ・オレゴン州の若者たちに起きたさまざまな出来事を描いたドラマ。こちらはふんだんにザ・スミスの音楽が使われています。9月のトロント映画祭でお披露目する予定。「直訳すると“世界の万引き家族”っていう意味だったりしますが(笑)」
イベントもどんどんやっていきたいという。『バンクシーを盗んだ男』(2018)は、日本出没がワイドショーに出て、一般にもPR出来るチャンス到来し、ライターの鈴木沓子、社会学者の毛利嘉孝、漫画家のしりあがり寿各氏のトークショーを開催。また会社には映像、演劇、音楽、出版と4部門あるのでメディアミックスも。「ホラー映画『ハロウィン』の上映に先駆け、ウチのCLUB QUATTROを使ってゲームイベントをやりました。『Dead by Daylight』っていうPS4のゲームにブギーマンが出てくるんですが、ユーチューバーと観客が戦う。満員で、女の子が多かったのに驚きました」
渋谷の輝きを再び
こっちは歳をとったが、30年前も今も若者があふれ、歳をとらない街。雑多で敷き居が低く、映画、音楽、本、ファッション、何でもあるが、近年レコード屋と本屋が無くなり、買い物は池袋、新宿ですませようと遠方のお客が減っている。サッカーやハロウィンの時の暴動とか、ネガティブな面ばかり注目される。「原因の一つは盛んにやっている駅前の再開発、あれだけ大工事しているのに、街のこっち側があまり変わらない、これではヒトは流れてきません」
劇場での映画鑑賞は、決まった時間に電車で足を運び、2時間集中し、現代人にはすごく面倒だが、観た後、喫茶店や居酒屋で連れと作品についての話が出来る、配信にはない醍醐味だ。「駅前の『のんべい横丁』は、いま外国の人ばかりですね。『千両』って居酒屋が行きつけなんですが、最近はイヤに混んじゃって。この街を再び、かつてのように魅力的にしたいですね」。僕と堤さん、長い渋谷歴の2人はいつの間にか、神泉、円山町、百軒店の話で盛りあがる。終了後は、創業昭和26年の「ムルギー」へ。これぞ変わらぬ渋谷の味。変化しても、ずっと大好きなホームタウン!
映画館情報
シネクイント CINE QUINTO
〒150-0042
東京都渋谷区宇田川町20-11渋谷三葉ビル7階
TEL:03-3477-5905
スクリーン数:2スクリーン
席数:162席/115席+車椅子スペース各1
公式サイト
Twitter:@cinequinto
ラジカル鈴木 プロフィール
イラストレーター。映画好きが高じて、絵つきのコラム執筆を複数媒体で続けている。