99歳!来年百寿を迎える“映画の殿堂” 新宿武蔵野館
ラジカル鈴木の味わい映画館探訪記
行き交う人が世界一多い“元祖カウンターカルチャー”の新宿は、映画の街の名誉を賭けここ数年、渋谷と激しく攻防。歌舞伎町よりやや落ち着いたJR新宿駅中央東口前。地下通路出口からすぐ、ビックロの裏、双葉通りに大正から四元号をまたぎ来年令和2年6月で100周年を迎える“映画の殿堂・新宿武蔵野館”がそこにある。
今月の映画館「新宿武蔵野館」
1968年築の武蔵野ビル7Fに2003年まで、500席の「新宿武蔵野館」があった。僕は映画チラシを集めていて、1970年代の洋画に新宿武蔵野館の館名が入ったものが多く、特別な思い入れが……。
2002年、系列の「シネマカリテ」として営業していた3階からその場所を引き継ぎ、2016年、リニューアルオープン。一方、「シネマカリテ」は2012年に至近の駅前のビル地下で再開し、東口駅前は今、武蔵野興業株式会社運営の劇場が徒歩2分圏内に5スクリーンと、シネコンと勝負できる密度なのだ。
エレベーターで3階へ。ロビーはポップコーンの香りが充満し、これぞ映画館! 壁の棚にずらり並んだ輸入菓子。上映予定、上映中の作品を再現した大きなディスプレイが所狭しと飾られ、駅の待合室のようなスペースで流れる予告編を観ながら、映画の世界にどっぷり浸り上映まで待つ。
街をけん引してきた映画館
99年前の1920年、大正9年。新宿三丁目付近は“東京府豊多摩郡淀橋町角筈”、宿場町から始まった小さな商店街。現在のビックロ(元三越)の場所に、有志が600席の大劇場を建造。まだ映画に音はなく、弁士がセリフやストーリーを語っていた。
1923年の関東大震災で、被災したが1か月で営業再開し、連日超満員。有名弁士・徳川夢声が専属に。1928年、現在の場所に移転、音声付きのトーキー作品を初上映した。1931年、洋画ロードショー館となり、1942年の東京大空襲では全壊を免れ、焼け野原の中で復興のシンボルとなる。僕の故郷・埼玉には1955年、東口駅前に“大宮武蔵野館”を開館(この跡地が現在の大宮タカシマヤ)。
1957年、ロケで来日したハリウッドの大スター、ジョン・ウェインの訪問は、町をあげての大歓迎! 独立した劇場としては画期的だった。1968年、武蔵野ビルが完成し、東宝洋画系の女性向け作品を中心に上映。日本で大ヒットの『小さな恋のメロディ』(1971)のマーク・レスターも訪れた。以降、武蔵野興業が経営した映画館は、ほかに大井武蔵野館(1948~1999)、自由が丘武蔵野館(1986~2004)、中野武蔵野ホール(1985~2004)などがある。
1994年、3階にミニシアターシネマ・カリテ1・2・3がオープン。その後、2003年に新宿武蔵野館1・2・3と改名し、アート系の作品を中心に、レイトショーでB級サスペンスやホラーも上映した。2016年の休館前ラスト上映は『グリーン・インフェルノ』(2013)、食人族にふんしたスタッフが人肉(実はビーフジャーキー)!? を配布し話題に。
代表取締役・河野義勝さんと常務取締役・河野優子さんに訊く
「ディスプレイが好評です。設計は、地下1階、1階、2階に入っている“ZARA”の店鋪設計担当をされた方に依頼しました。新“シネマカリテ”もお願いしました」と語る、常務取締役・河野優子さん。棚に陳列された圧倒的な数の洋菓子は「わたしのアイデアです。女性やお子様が楽しめるように」と。また、座り心地抜群の椅子は、パリのオペラ座で使っているキネット社製を導入した(スクリーン2の緑色の座席は、映画館で初)。
「先日上映の『地上(ここ)より永遠に』(1954)は母が大好きでね。『私は貝になりたい』(1959)もわたしが選んだのですが、権利元がわからなかったり、許可が取れなかった作品もたくさんありますが」と話すのは3代目社長・河野義勝さん61歳。
「わたしをネットで検索すると、事業家よりも中国武術家で多く出てきます」と笑みを浮かべながら語る河野社長だが、ことのほか武術と経営は、結びつくという。
「業績の悪いときほど、企業を建て直すチャンス。己を見つめ直す機会なんです」と語り、さらに武術の修行には2つの大切な考え方があり、自分を見極めて精神を高めていくことと、それを社会にどう発信していくかを意識しているとのこと。
「易経の三易である不易(不変)、変易(変化)、交易(いろいろな要素が交わる)。これが自分の中心にあって、役立っています」(河野社長)
ドラマになり得るほどの面白い初代社長
河野社長の祖父・河野義一初代社長は、終戦後の混乱期に武蔵野館を引き継ぎ、豪快なエピソードには事欠かない。幼いとき、河野社長は歴史的人物に何人も会っている。
人情家で、面倒見もよかったという初代社長。生活に困っている人たちに「ウチで働け」「寝泊まりはここですればいい」と仕事や住むところを提供したりした。周辺にたむろしていた不良を更生させたこともあった。後年「あの方には助けられた、現在の自分があるのは社長のお陰」と最大級の謝意をあらわにする者が大勢いる。
「新しいこと何でもやろうとする人でね、スクリーンのどん帳にライトを当てて、七色に変化させろ、って作ったんだけど、装置はすぐ壊れちゃって」(河野社長)
また、客席が3階まであった当時、観やすい2階席を2人掛けの大きな椅子にした。今で言うペアシートだが、「“ロマンスシート”と名付けて話題になり、噂では“小田急ロマンスカー”のネーミングは、ここからヒントを得たんだそうです」と驚きの事実?
丸1年間開催!100周年記念イベント
100周年を迎える来年の6月まで、毎月テーマを掲げ、シネマカリテと同時に記念上映を実施中。6月は「語り継がれる名作バトン」として、サイレント作品を現代の弁士・澤登翠、坂本頼光の語りと生演奏での上映や12月公開予定『カツベン!』の周防正行監督のトークショーを開催。7月は「継承・日本の武道と中国武術」で『グランド・マスター』(2013)を上映時、武術家の河野社長自ら登壇し、演武と解説を行った。
8月は「愛と平和のものがたり」として、前述の『地上(ここ)より永遠に』などを上映、9月は「実りの秋の名作食堂」、10月は「東洋の恐怖と西洋の絶叫」、11月は「アートのきらめき」、12月は「スパイスはいかが~新宿名物! 内藤とうがらしとバスクを巡る旅」などの企画が決まっている。情報は更新されていくので、映画館公式サイトを要チェックだ。来場したお子様には、もれなくポップコーンのプレゼントがあるよ~。
名画から娯楽作品まで何でもござれが新宿流
最初に上映して火がついたケースがたくさんある。例えば1987年に中野武蔵野ホールで日本初公開した『死霊の盆踊り』(1965)もその一つ。
「アレは伝説になってます(笑)。また、水野晴郎さんの『シベリア超特急』(1996)を、どこもかけようとしなかったのを、初めて上映したのも、当時のシネマカリテでした」(河野社長)
『シベリア超特急』は、後にシリーズとして5作品も作られるほどの人気になった怪作だ。
リニューアルオープニング作品は、配給部門の武蔵野エンタテインメントで独自に発掘した香港映画『小さな園の大きな奇跡』(2015)。以降も中国映画『閃光少女』(2017)、イタリアン・ロマの少年が主人公の『チャンブラにて』(2017)などを配給し、好評を得た。
新宿は、年齢も性別も国籍も異なる多種多様な文化や職業の人々がいるため、ターゲットを絞り込まず、幅を広げて何でもやる。R指定の割合が多いけど、子ども向け作品もフォローしている。
情報の発信源として
100周年の記念グッズが充実し、人気だ。「手ぬぐいはわたしが提案しました」と河野常務。
また100周年コラボ商品もたくさん。
「内藤とうがらしは江戸時代、新宿の名物だったんですが、再び復活させるプロジェクトがあって、常設で販売コーナーを設けているのは武蔵野館だけです。サクマドロップスは100周年のデザインを入れて販売しています。“活動大写真”と書かれたハッピを着た売り子が座席を回る“おせん(煎餅)とキャラメル”の場内販売は、かつては当たり前でしたが、無声映画専門のマツダ映画社さんの上映会のときにやっていて、ウチもやろう! と思いました」(河野常務)
リニューアル前の7~8年前から販売して好評なのが“桔梗信玄餅アイス”。
「家系は山梨なんですが、現地で食べておいしかったので仕入れました。今はコンビニにもありますけど、ブームよりだいぶ前でしたね」(河野常務)
ちなみに、いま大ブームのタピオカドリンク専門店は、1階に2003年にオープンした「パールレディ」が同じく先駆けだった。
昔も今も、新宿と共に
変わり続ける新宿。タカシマヤ タイムズスクエアは23年前、続いて新宿サザンテラス、小田急サザンタワーができた。ニュウマンは3年前。シネマカリテの入る新宿NOWAビルは20年。しかし古い店も健在だ。2人がよく食べに行く天ぷらの老舗「船橋屋 新宿本店」は創業133年、「天春」は89年、伝説的な調理人である先代社長が開発したアイスクリームの天ぷらで有名な「つな八」も95年。ご存じ「新宿高野」は134年、「中村屋」も96年。「追分だんご本舗」は74年だ。
「新宿の街は、われわれの結束で作ってきましたが、年長者は、若い人を育てる使命があります。ウチで映画を観て、明日への活力にしてほしいです」(河野社長)
取材後、僕のいつものパターンで、紀伊国屋ビル地下のカレー専門店「モンスナック」(創業55年)へ。変わらぬカレーの味だ~。
映画館情報
新宿武蔵野館
東京都新宿区新宿3-27-10 武蔵野ビル3階
03-3354-5670
公式サイト
Twitter:@musashinokan123
ラジカル鈴木 プロフィール
イラストレーター。映画好きが高じて、絵つきのコラム執筆を複数媒体で続けている。