住みたい街吉祥寺駅徒歩1分の老舗映画館「吉祥寺オデヲン」
ラジカル鈴木の味わい映画館探訪記
桜の季節です。お花見で一番行ったのが、焼き鳥屋いせやと井の頭公園。住みたい街全国1位を何度も獲得した吉祥寺。新宿、渋谷駅へ電車一本の便利さ。昭和風情の飲み屋がひしめくハモニカ横丁、対照的に最新のお店も毎月開店する。商業地と住宅がグラデーションのように見事に融合、井の頭自然文化園(動物園)、三鷹の森ジブリ美術館も近く、文化が混ざり合い、独特の雰囲気を醸す。
「オデヲン」の名前を継承する最後の劇場
垣根は薄れているが今回は名画座でもミニシアターでもなく、昔ながらのロードショー館。66年の歴史を持つ吉祥寺オデヲン。以前取材のアップリンク吉祥寺を含め現在吉祥寺の3館(計9スクリーン)の中でも最古参。JR、京王井の頭線吉祥寺駅東口から南へ徒歩1分、アトレ東館とスーパーのライフの間の角、複合商業ビル・吉祥寺東亜会館の2F(224席)、3F(251席)、5F(246席)だ。
珍しい瓶コーラの自販機や、受付にお菓子もあるが、持ち込みもOKなので買って行くもよし。おお、スクリーンがちゃんと湾曲している! 内装やシートは4年前に全て替えられ、清潔で快適。列ごとに半分ずつ横にずれているので、前の頭が邪魔になりにくい。ブザー音で上映開始。
オデヲンとはギリシャ語で劇場のこと。1949年、東亜興行株式会社が創業、同時に阿佐谷オデヲン座が開業。続いて中野オデヲン座、新宿オデヲン座、荏原オデヲン座、下北沢オデヲン座、そして1954年、吉祥寺オデヲン座が。歌舞伎町には1955年グランドビル、のちの第一東亜会館にグランドオデヲン座が1975年に開かれる。最盛期は運営する系列館が10館以上存在していた。吉祥寺東亜会館は1978年に建てられ、オデヲン座、スカラ座、セントラル、東宝と、4つのスクリーンに別の名前があった。2012年、スクリーンを3つにして吉祥寺オデヲンに統一。
「チェーンの時代はフィルム買取りだったから、まさに『ニュー・シネマ・パラダイス』(1988)みたいに自転車で隣町の系列館にフィルムを運んでいたらしいです。穴が空いちゃっても困ったときの『トップガン』(1986)ってストックから手堅くお客さんが入るのをチョイスしてかけてました」と副支配人の大橋泰介さん。
映画制作よりも興行に興味が強く…
大橋さんは神奈川県出身の1979年生まれ。
「日劇などの親劇場がなくなりブロックブッキング制(特定の配給会社の作品だけを上映すること)がなくなってから、動員が見込める作品を上映しやすくなりました。そのため動員は増えています。2015年にTOHOシネマズ新宿さんが、2017年に調布にイオンシネマ シアタス調布さんができて、吉祥寺バウスシアターさんがなくなってアップリンク吉祥寺さんができて……お客さんの流れも変わりましたね」
もちろん映画が好きだったが、制作よりも興業に興味を持ってこの世界に飛び込んだ大橋さん。
「ただ観てるときは考えなかったのですが、働き始めてからこの映画、いくらになるんだろう?って。好きな作品でも、全然お客さんが入らなかったり。芸術だけではないですよね、映画って。メイクマネーです、そこが面白いから、この業界にいるのかな」
ゼロからの再生ゲーム
大橋さんは2001年に東亜興行に入社、『千と千尋の神隠し』が公開した年。
「最初の1年間、新宿勤務だったのですが、3か月目の9月に、あの歌舞伎町ビル火災があって……非常線が近くまで迫ってきて、一帯は本当に地獄絵図だったなあ」
その惨劇は記憶に深く残っているようだ。
また歌舞伎町のまん真ん中では、あらゆる特殊な人々との、毎日ある意味闘いで新宿は無法地帯だったため吉祥寺に異動したときは、客層が良くて、ホッとしたという。
「昔の記録を見たら、立ち見もやっていて、約250席で1日4回転だと1,000人じゃないですか、なのに入場者数2,400人って、どれだけ詰め込んでいたんだろうって(笑)」
まだそんな1970~80年代の空気が濃厚に残っていた当時、「モギリは年配の方ばかりで、やる気が全然なくて、もうこれ以上ないってくらいの場末になっていました……こんな駅そばなのに」とその頃はいろいろなことがあり、経営状態は厳しかったようだ。
やがて状況も変わり、できるところから立て直しをすることに。「僕が全部変えていったんです。まず壊れたところをきれいに修理するとこから手を付けて……かなり大変でゲームで例えるなら、上級クラスのステージから始めちゃった、みたいな気分でしたよ(笑)」と振り返る。
そんな努力の結果、新規顧客の獲得につながり、ファミリー層も増えていった。今でも試行錯誤をしているそうで、「ウチのカラー? ないですねえ(笑)、それを探って必死ですよ。バウスシアターさんは音楽っていう柱があった。先駆的にいろんなジャンルの音楽ものをやって、爆音上映につながって。アップリンクさんはアートを中心に、政治の色が濃い。今ウチは、そういう色をつけていかなきゃいけない段階で。古いところを残しつつ、街の映画館として新しいものもやっていかなきゃいけないから、いろんな方向を試しつつ、ごった煮でやっていくしかない。いま、ミニシアターもチェーン化していって、そこのポリシーを感じられないこともある。それじゃ意味ないですよね」。
地元の活性化を応援
『PARKS パークス』(2016)は、100周年を迎えた井の頭公園でオールロケ。吉祥寺バウスシアターの元総支配人、本田拓夫さんの製作。バウスシアターは前身のムサシノ映画劇場からだと、オデヲン同様に約63年もの歴史だが、吉祥寺の街への恩返しが製作の動機だという。舞台あいさつは瀬田なつき監督、そして吉祥寺でスカウトされ女優になった永野芽郁が登壇、それぞれの吉祥寺のお気に入りスポットを挙げ、地元のお客さんと一体になった。
「こういった作品はできる限り上映していますね。それがウチ独自のカラーにもなりますし」
同じく井の頭公園・吉祥寺ロケの『火花』(2017)、『ひるなかの流星』(2017)、『音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!』(2018)も上映。
「ライブと一緒で、イベントを打って、若い人が来場しないといけない。来るメリット、意味を提示していかないと」と、地域の活性化に一役買いたいという。
珍名物は、今のうちに!?
公式Twitterのアイコンにも使われている、こちらの名物、130円のお金を入れるとカップが下りてきて、そこにポップコーンが注がれる自販機。他では見たことないが、いつから設置されているのか、聞いてみた。
「埼玉にマルエス商店っていう、映画館専門にお菓子を卸していた会社があり、昔は結構同じものが各館にあったんですよ、バウスシアターさんにもあったし。どうも進駐軍のお下がりらしいんです。各階に2台ずつ6台あったけど壊れちゃって、いま2台しか残っていません。マルエス商店は15年くらい前に廃業しちゃったので修理もできない、清掃やメンテも大変ですが、常連さんが残せって言うからやめるにやめられない。壊れたらおしまいですね(苦笑)」
街の形成に必要なピース
1937年から劇団前進座があるのを始め、ジャズ喫茶、ライブハウスも多数、ロック、フォークなど、音楽の街でもある。楳図かずお、大友克洋、江口寿史、いしかわじゅんなどといった多数の漫画家の在住も有名。
「かつて中央線沿線に住んでいた、故・丹波哲郎さん、作家の故・安部譲二さんはよく観にいらっしゃいましたね。映画監督も多く住んでいるようで、街でよく見かけます。集う飲み屋も知ってます。そんな訳で、その方々にちなんだ作品は積極的に上映します」
近年の街の変化は?
「老舗が減っています。商店街に魚屋、八百屋、肉屋がないとダメなのと同じで、街には本屋、映画館、ギャラリーや美術館がないとダメ。そういう文化が街を作り、クリエーターさんたちが住むようになっていく。近郊には、成蹊学園、東京女子大学ほか学校など文教施設も多いですし。国立には、映画館こそないけどギャラリー、古本屋、喫茶店は(多摩地域最大級のターミナル駅)立川に比べて多いですしね。高円寺は、ライブハウス。そういう文化を残していかないと。イラストレーターさんならわかると思うけど、ギャラリーがない街はダメでしょ、やっぱり!?」
僕がイラストレーターということに反応していただいたのは、吉祥寺ならではかな。
「古本屋のバザラブックスさん、百年さんは良いですよ。飲むなら南口のもつ焼きカッパさんを薦めます」
吉祥寺には2軒の銭湯もある! 弁天湯は音楽イベントをやるので吉祥寺らしく有名だが、キャバクラなどが密集する歓楽街、駅の至近にあるよろづ湯は、よく残っていたな! と驚く激渋さ、味わい深いぞう~。
映画館情報
吉祥寺オデヲン
東京都武蔵野市吉祥寺南町2-3-16
0422-48-6521
公式サイト
Twitter:@kichijyojicine1
ラジカル鈴木 プロフィール
イラストレーター。映画好きが高じて、絵つきのコラム執筆を複数媒体で続けている。