小泉今日子、なんてったってアイドルから華麗な転身!映画女優への道
第23回東京国際映画祭
23日深夜、六本木ヒルズで開催中の東京国際映画祭「映画人の視点~小泉今日子の世界」が行われ、女優の小泉今日子が登壇。年代ごとに彼女のターニングポイントになったと述懐する『怪盗ルビイ』『風花 kaza-hana』『トウキョウソナタ』の関係者(黒沢清監督、俳優の小柳友、イラストレーターの和田誠、カメラマンの町田博)らを招いて、じっくりとトークを行った。
深夜に開催されるオールナイトイベントであるにもかかわらず、この日は多くの観客が来場。会場には小泉と同世代と思われる観客だけでなく、若い観客の姿も多く見受けられるなど、いまだ変わらぬ小泉の人気の高さをうかがわせた。
さて、現在は女優として活躍している小泉だが、もともとは中森明菜やシブがき隊などと同期にデビューした「花の82年組」と呼ばれるトップアイドル。当時はシングル曲「なんてったってアイドル」を大ヒットさせるなどその人気はすさまじいものがあった。そんな小泉の女優デビュー作は1983年の犯罪映画『十階のモスキート』。本作は小泉だけでなく、崔洋一監督にとってもデビュー作となる犯罪映画だったが、小泉にとってはそのときが演技初経験。いきなり撮影現場に連れてこられ、監督を筆頭に、内田裕也、安岡力也といった強面(こわもて)の男たちに囲まれたそうで、「芸能界って怖い。大丈夫かしらと思いました(笑)。でも、それまでお芝居をしたことがなかったんですけど、言われた通りにやったら映画が完成して。映画って面白いなと思いましたね」と述懐していた。
しかしその当時は「映画撮影の合間に歌番組の中継車が来ていたし、映画とはわからずに、アイドルの延長としか考えていなかった」と振り返る小泉。だが、1988年、20代のときにイラストレーターの和田誠監督の映画『怪盗ルビイ』に出演したことで意識は変わったのだそうだ。「監督の絵コンテがすごくかわいいんですよ。それよりもかわいくできるのかしら、なんて考えながら演技を考えるのが楽しかったんです。映画というのは、すてきなうそをいくらついてもいいんだなと思いました」と笑顔になっていた。
そして30代の転機となった作品だと語るのが2000年の映画『風花 kaza-hana』だ。故・相米慎二監督は女優に厳しいと評判で、100回以上リハーサルをさせるなど鬼のしごきが伝説となっている監督だが、「わたしは人とは、会うべきときに会う気がするんです。相米監督に10代で会ってしまったら、自分がやっているアイドルという存在についても考えすぎてしまったかもしれない」と振り返っていた。それは小泉と共演していた浅野忠信にとっても同じだったようで、「音楽をやったりと交友関係が広がってる時期で、最初は役者に対して斜に構えてるところがあったんですけど、撮影が終わったときに、発言や態度なんかも変わっていたんです。だからいいものが見れたなと思いますね」とコメント。その後、浅野のビデオコメントが流されたが、そこでも「相米監督が亡くなってからは抜け殻のようになりました。今でもあのときの状態を求めているけど、まだつかめていない」とコメントする通り、それまで自然体の演技をモットーとしていた浅野が、初めて演じるということに目覚めた転機になった作品として、彼の役者人生にとっても大きな影響力があったようだ。
そして30代、40代を迎えた小泉は、映画『陰陽師~おんみょうじ~』や『雪に願うこと』など脇役として出演することも増えてきた。「あまり主演にはこだわっていないです。むしろいろいろな役をやりたいんです」と語るとおり、その役柄も幅広い。『トウキョウソナタ』の黒沢清監督も、「チャンスがあれば、あの手この手を使ってお声がけをしたい。今度はぼくが思う一番恐ろしい犯罪者の役なんかもいいですね」と今後の小泉との再タッグにラブコールを送っていた。
アイドルから映画女優へと見事脱皮した小泉の軌跡を振り返るトークショーもあっという間に時が過ぎた。最後に小泉は「映画女優と呼ばれることはまだ恥ずかしいんですけど、映画は大好きなんで、これからも頑張っていきたいです」と“なんてったって映画女優”宣言。『マザーウォーター』『毎日かあさん』などの撮影を終え、「本当は年内に2、3本映画の予定があったんですが、世の中不況なんですかね。全部延期や中止になりました。おそらく来年の春ころには1本撮影に入れるのがあるかもしれないです」と新作の予定を明かしていた。