<作品批評>『博士と彼女のセオリー』
第87回アカデミー賞
彼はひとつの理論を追求した、宇宙論でも、そして人生でも
モチーフは実在の“車椅子の天才物理学者”ホーキング博士だが、天才の伝記映画ではない。本作は、ひとりの人間による、ある探求を描く。(文・平沢薫)
原題は「すべてのものの理論(The Theory of Everything)」。存在するありとあらゆるものは、充分な距離をおいて、ある視点から眺めたときに、そのすべてが“ひとつの理論”によって貫かれている。そして、その理論は美しいーーー主人公はこの信念のもと、新たな宇宙理論を追求する。そして、自分の人生もまた、この信念に貫かれていたことに気づく。彼は、予期せぬ出来事に見舞われ続ける人生という混沌についても、この理論を見い出そうとするのだ。
この主人公の信念ゆえに、スクリーンの上で、夜空に輝く花火が、このうえなく美しい。花火もまた、博士が求める理論同様、至近距離では火薬の発火に過ぎず、遠く彼方から眺めたときにだけ、それぞれが集まって描く全体の形が見えて、その美しさが分かるものだからだ。
そして、この花火と同じような現象が、主人公の意識にも起きる。スクリーンの上で、彼が学術理論で時間を原点まで巻き戻したのと同様に、彼が体験してきた時間のすべてが原点まで巻き戻され、彼の脳裏にこれまでの体験の数々が一気に想起されていく。彼はそのすべてを貫くひとつの理論を見い出し、その美しさに心を打たれるのだ。
この物語の見事さゆえに、映画賞レースで多数ノミネートされてきたのが、脚色賞。この賞は、主演男優賞、主演女優賞の華やかさの陰に隠れてしまいがちだが、アカデミー賞でもしっかりノミネート。原作はスティーブン・ホーキングの元妻による回想録を原作だが、本作の脚本は、実話を元に常人とは異なる天才を描こうとするのではなく、実話から人間というものについての普遍的な物語を紡ぎだそうとする。
脚本のアンソニー・マクカーテンは、ニュージーランド出身で英国在住、小説家でもあり、自作を脚色して監督したニュージーランド映画とアイルランド映画、ドイツ映画があるが、本作が初の大作となる注目株だ。
また、夜空を彩る花火など、物語のキーとなるシーンを際立たせるのが、そこに流れる音楽の切ない美しさ。音楽は『悪童日記』『プリズナーズ』のヨハン・ヨハンソン。ゴールデン・グローブ賞で音楽賞を受賞。アカデミー賞にも同部門でノミネートされている。
そして、この見事な物語に生命を吹き込んだのが、アカデミー賞でも主演男優賞にノミネートされている、エディ・レッドメイン。その演技が素晴らしいのは、病気による症状をリアルに演じたからではない。それをリアルに演じながら、そんな身体状態にもかかわらずチャーミングでもある人物を体現したことにある。彼が演じる主人公は、その重い疾患にもかかわらず、彼ならいっしょに生きようとする女性がいても不思議ではないと思わせる魅力に溢れているのだ。
本作のように、その風貌を誰もが知っている実在の人物を演じることは、俳優にとっては難関だが、レッドメイン自身の顔立ちや細い身体が若い頃のホーキング博士に似ていることや、彼が博士と同じケンブリッジ大学出身なのも役作りに役立ったのではないだろうか。
その主人公の最初の妻ジェーンを演じたフェリシティ・ジョーンズも、オスカー主演女優賞にノミネート。ジェーンは、その行動のせいで被害者にも加害者にも見られかねない難しいキャラクターだが、ジョーンズは抑制のきいた演技で、彼女を観客に愛される人物に作り上げている。
ちなみに監督は、2008年のオスカーで長編ドキュメンタリー賞受賞の『マン・オン・ワイヤー』のジェームズ・マーシュ。彼のノミネートがなかったのは、主演俳優たちと脚色が注目を浴びたせいだろうか。
こうしてアカデミー賞でも脚色賞、作曲賞、主演男優賞、主演女優賞にノミネートされた本作が、作品賞にノミネートされたのは、これらの魅力が総合的に評価されたからだろう。これまでの賞レースの結果を見ると、作品賞は『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』と『6才のボクが、大人になるまで。』の一騎打ちになりそうだが、本作の主演男優賞、脚色賞は、受賞の可能性が高い。
実在の“車椅子の天才物理学者”がモチーフだが、天才の映画でも難病の映画でもなく、人間の映画。この映画の花火の輝きは、映画が終わった後も、ずっと心に残る。