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第22回:『いとこ同志』(1959年)監督:クロード・シャブロル 主演:ジェラール・ブラン

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いとこ同士の青年を演じるジャン=クロード・ブリアリ(左)とジェラール・ブラン(右)
いとこ同士の青年を演じるジャン=クロード・ブリアリ(左)とジェラール・ブラン(右) - Interama Video / Photofest / ゲッティイメージズ

 田舎からパリに上京した真面目な青年と、自宅アパートに彼を迎え入れる遊び人のいとこ。そこに1人の女性が絡み、恋愛と挫折を描く青春映画『いとこ同志』(1959)。名匠クロード・シャブロル監督が第2作にして第9回ベルリン国際映画祭金熊賞を受賞し、同年の『大人は判ってくれない』とともにフランス・ヌーヴェルヴァーグの大躍進を遂げた作品だ。(冨永由紀)

 物語は主人公シャルルがパリに到着したところから始まる。駅でタクシー運転手にさえオドオドしっぱなしで、純朴なもの馴れない性格が瞬時にわかる。シャブロルの監督第1作『美しきセルジュ』でも主演を務めたジェラール・ブランが演じている。同い年のいとこポールのアパートに着いた彼を迎え入れるのはポールの悪友クロヴィスだ。だいぶ年上のようだが、全身から嗜虐性を漂わせた男で、小馬鹿にしたような笑顔で嫌みを言いながら、突然大きな声や物音を立てる。ポールは、この男に金を渡していろいろな厄介事を片づけてもらっているらしい。ひげをたくわえ、お洒落な部屋着姿で気取った物言いのポールを演じるのは、やはり『美しきセルジュ』にも出演しているジャン=クロード・ブリアリ。ポールは、ブリアリが最も得意とした洒脱な男性像の原型だ。

 ポールの住まいは学生2人で暮らすにも広すぎる造りで、メザニン(中二階)があり、インテリアや調度品も凝っている。そこかしこに、ストーリーの伏線がしのばせてあることが次第にわかってくる。印象深いのは、シャルルがこの豪勢なアパートにも、ポールとクロヴィスの2人がかりのこけおどしにも、さほど気後れしないことだ。彼は常に状況を受け入れるが、流されずに自己を守り続ける。折りにふれて立ち寄る書店の年配の店主との交流や母への手紙を欠かさない律儀さ、勤勉さに、「アリとキリギリス」の寓話を思い出す。もちろん、本作は違う方向へと進むが、製作当時の“今”を切り取った一種の訓話とも取れる。

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 うぶな若者が周囲に影響されて堕落……とはならず、「僕はガリ勉タイプだから」と壁を隔てた向こう側で乱痴気騒ぎが繰り広げられようと、シャルルは勉強を続ける。だが、恋愛は別だ。彼は上京してすぐ、ポールの車でパリ案内をしてもらった際、クラブに現れたフロランスにひと目惚れした。いとこがフロランスを気に入っていると知って、歓迎パーティーに呼んだポールだが、2人が意気投合しているのを見るや、ちょっかいを出す。いとこ2人の性格や恋愛模様、スノッブで享楽的な若者像など、1950年代の日活映画みたいな雰囲気だが、実はシャブロルは中平康監督の『狂った果実』(1956)を見ていて、影響を受けたという説もある。

 パーティーのBGMはジャズやモーツァルト、そしてワーグナー。「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲を流しながら、ポールがドイツ軍の軍帽をかぶり、ドイツ語の詩をそらんじる姿に、戦後の青春を感じる。シャブロルとブランは当時28歳、ブリアリは25歳だった。パーティーの翌朝、酔いつぶれた客を起こすため、ポールは眠りこけている男の耳元で「ゲシュタポだ!」と叫ぶ。男は雷に打たれたように飛び起きる。普段はお調子者のその男は去り際に「さっきは怖かったよ」とポツリと言う。彼はユダヤ人なのだ。時代は1950年代後半。第二次世界大戦当時に幼かった者のトラウマ描写は直接ストーリーには関わらないが、なぜか心に残る。

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いとこ同志
ヒロインは、『顔のない眼』などで知られるジュリエット・メリエル(C)Interama Video / Photofest / ゲッティイメージズ

 シャルルとフロランスはパーティーで意気投合したものの、初めてのデートは約束の時間と場所の勘違いですれ違い、シャルルの不在のアパートをフロランスが訪ねたことで状況は一変する。いとことの交際をやめさせようと説得するポールに、クロヴィスが加勢するのだが、この場面でクロヴィスという怪物の恐ろしさが露わになる。彼はフロランスに、ポールこそふさわしい相手だとけしかける。そこで彼は2人の肌について言い募る。「肌が合う」ということを、俳優たちの服も脱がさずに表現する官能。催眠をかけられたような2人にクロヴィスが投げかける「愛し合うんだ、私の仔羊たち」という言葉の何と悪魔的な響き。その後、メザニンの階段を下りるフロランスの裸足のショットともども、直截な描写なしに匂わせるだけの、とてつもなくエロティックな表現だ。

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 シャルルは待ちぼうけを喰らった形で帰宅し、そこでポールとフロランスから「同棲することにした」と宣言される。いつも不遜なポールが心底申し訳なさそうな様子、2人に向けたシャルルの言葉、そして奇妙な3人の同居生活が始まることにも驚かされる。これは日仏の文化の違いなどではなく、この3人の関係が異様なのだ。

 享楽的に過ごすポールと、ややマザコン気味で努力家のシャルルはやがて試験の日を迎える。要領よく立ち回る都会っ子と愚直な田舎育ちの構図は最後まで変わらない。ひと足先に試験を終えたポールが早速アパートでパーティーを始めても、シャルルは自室に籠もって翌日の試験勉強だ。そこに、結局ポールとはすぐに別れたフロランスがやって来て、いろいろ話しかけてくる。そこでシャルルは初めて感情を爆発させる。2人のやりとりと、パーティーの余興の大道芸、乱れるシャルルの心を表すように部屋の中で高速回転し続ける映像のコンビネーションの妙に見入る。

ここから映画はゆるやかに加速する。試験を終え、結果を噛みしめながら街をさまようシャルルは、カフェで男2人といるフロランスを見つける。この時、彼女と一緒にいる1人が誰なのか。その男の台詞に、いとこ2人のパリの日々が結局何だったのかが総括されてしまうように感じるのは穿ちすぎだろうか。シャルルにその言葉は聞こえていない。だが、見た光景だけで十分絶望した彼は悲劇へと突き進んでいく。「トリスタンとイゾルデ」の「愛の死」が鳴り響くラスト。フロランスもクロヴィスも関係ない。これはシャルルとポール、いとこ同士の物語なのだ。

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