永瀬正敏とジム・ジャームッシュの28年にわたる絆
インディーズ映画を象徴する名監督、ジム・ジャームッシュの新作『パターソン』が8月26日に公開される。実在する小都市パターソンを舞台に、詩を愛するバス運転手の日常を描いたヒューマンドラマに唯一の日本人キャストとして参加しているのが永瀬正敏。出演したジャームッシュ作品が公開されるのは28年ぶりになる永瀬が、映画の魅力とジャームッシュとの長きにわたる交流について語った。
【動画】永瀬正敏がジャームッシュ作品で不思議な日本人に『パターソン』予告編
再び映画に引き戻してくれた恩人
1991年にアジア6か国の監督達と組んだ『アジアン・ビート』シリーズ、1995年にはアイスランドとアメリカの合作映画『コールド・フィーバー』、同年アメリカ、ドイツ、日本合作映画『FLIRT/フラート』、1998年にはアメリカ・イギリス合作『スリー・ビジネスマン』(日本未公開)、2014年には台湾映画『KANO ~1931海の向こうの甲子園~』に主演、今年中国・香港映画『明月幾時有』(『アワー・タイム・ウィル・カム(英題)/ Our Time Will Come』に出演するなど海外とのコラボも多い永瀬だが、そのきっかけになったのが1989年のジャームッシュ監督作『ミステリー・トレイン』。永瀬はメンフィスを訪れる日本人カップルにふんした。最初のオーディションでは服装や好きな音楽の話をしただけで「ああこれはダメだなと思いました」と振り返る。
すでにファンだったジャームッシュのオーディションと聞いて「レーザーディスクにサインでももらえればっていうくらいの気持ちでしたね」と笑う永瀬。「でも二次オーディションに呼んでいただき、帰りの飛行機で『やっぱり永瀬だ』と思って決めてくれたと聞きました。僕は過去に5年くらい映画に出ていない時期があって、お蔵入りになった作品もありました。でも僕を生んでくれた現場は映画なのでいつかまたやりたいと思っていた時に、映画に引き戻してくれた人でもあるんです」。
『ミステリー・トレイン』の現場には、当時世界的に注目を浴びていたジャームッシュの現場をひと目見たいと、さまざまな国からスタッフが押しかけてきていた。「誰かが8ミリフィルムで作品を作っていますと言うと、皆で試写会をしようとジムが進んで声をかけてくれる。近くでボブ・ディランがライブをやるという話を聞けば、その日は撮影が早く終わって、皆のぶんのチケットが買ってある。「なぜなら僕たちは音楽の映画を作っているんだから」だと。半日撮影がなくなると後が大変ですけど、ジムさんのそういう姿勢のおかげで、現場の隅々にまで自分たちが目指しているものが伝わるんです」。
『スター・ウォーズ』の大スターは一人でやってきた!
そうジムにほれ込む永瀬が新作『パターソン』で演じたのはアダム・ドライバー演じる主人公の前に現れる日本の詩人。ジャームッシュが永瀬を想定して書いたキャラクターだった。「君を思い浮かべて書いたシーンがあって、1シーンだけなんだけどやってもらえないだろうか、みたいなメールがご本人から来たんです。すぐ行きます! って伝えました(笑)」。
撮影はわずかに一日だが、脚本を読んで非常に重要な役だと気が付いたという永瀬。「最初は通行人Aでもいいくらいの気持ちだったので、これはちゃんとやらなきゃと。ただ相手役のアダムさんも本当にいい人で。僕が演じたキャラクターは拙い英語を話すんですけど、一生懸命間を持ってくれたり、微妙なところで助けてくれたりして本当にやりやすかった。『スター・ウォーズ』など素晴らしい監督と組んでいる大スターだからもっと偉そうでもいいはずなのに、現場にも一人で来ていました」。
完成した映画については「奇跡みたいな作品」と絶賛する。「バスの運転手の一週間の物語で、すごい出来事が起きるわけでもない。日々に転がっているちっちゃい幸せを積み重ねているだけなのに、こんなにも胸に来るっていうのはジャームッシュ監督ならではだと思いますし、その目線は昔からブレていないですね。あと犬が素晴らしいんです!(笑)」
イギー・ポップ、カウリスマキ…人脈に必要なこと
『パターソン』の撮影現場で感じたことは、『ミステリー・トレイン』の頃と変わらない」ジャームッシュの温かい人柄だった。「ジムさんは仕事をする人全員が気持ちよくいられる環境を作ろうする人。誰に対してもフラットで、皆をリスペクトしていて怒鳴り声もない。監督と役者、監督とスタッフいう立場を超えて、一緒にモノを作っていると感じさせてくれるんです」。
海外の映画人やアーティストとコラボしてきたキャリアは「全てジャームッシュ監督のおかげ」と言い切る。「『ミステリー・トレイン』で注目してもらえたことでいろんな仕事に繋がりましたし、彼がイギー・ポップ(ミュージシャン)とかアキ・カウリスマキ(監督)とか知り合いの方々を惜しみなく紹介してくれたことが自分の心の中の窓が大きく開くきっかけになったんです」。
海外で活躍し続けるために必要なことを訊ねると「出会いを大切にすることじゃないかな」と控えめに答える。『KANO~』出演のきっかけも、30年くらい前に知り合っていた故エドワード・ヤン監督のもとに当時見習いとしていたウェイ・ダーション監督がプロデューサーだったのが縁だという。
「例えば『ミステリー・トレイン』で一緒だったスパイク・リーの弟サンク(サンキー)・リーから急に電話がかかってくるんです。「ミュージックビデオを日本で撮るんだけど来週の火曜日空いてないか?」って。お金は全然ないけど昼飯は食べさせるって言われて出たりするんですけど、今度は僕がアメリカで仕事をする時にサンキーが助けてくれたりする。一つ一つの出会いを大事にしていれば、いいことが未来に繋がっていくんだなと、ここ2、3年でよく思いますね」。そして「出会いは利用するのではなく、自分の中で大切に育んでいくものなんでしょうね」と真摯なひと言を付け加えた。(取材・文:村山章)