赤木圭一郎生誕80周年、ファンの心の中で生き続ける和製ジェームズ・ディーン
“和製ジェームズ・ディーン”と称された日活のアクションスター赤木圭一郎さんの生誕80周年を記念して「ポスター集 赤木圭一郎は生きている」(諸星日出男・編。赤木圭一郎を偲ぶ会/日活株式会社・協力)がワイズ出版から刊行される。それを記念して7月12日~16日、横浜市港南区民文化センターのひまわりの郷ギャラリーで大ポスター展も開催される。赤木さんが21歳の若さで急逝してから58年。多くのファンの心の中で赤木さんは生き続けている。
ポスター集を編集し、ポスター展の主催も手がけるのはコレクターの諸星日出男さん。1948年に神奈川県逗子市に生まれた諸星さんは、幼少時代から映画館に入り浸り、中でも地元が生んだ大スター・石原裕次郎さんのファン。好きが高じて、高校時代に裕次郎さん宅を訪問したところ、母親の光子さんからサイン入りブロマイドをもらったことをきっかけに、日活映画のアイテムを収集することに。その中に赤木さんのポスターもあった。
赤木さんは1958年に日活ニューフェイスの第4期として日活へ入社し、長門裕之主演『銀座の砂漠』(1958)で本名の赤塚親弘名義で初めて名前がクレジットタイトルに掲載された。赤木圭一郎として初出演したのが小林旭主演『群衆の中の太陽』(1959)で、事故死する1961年2月14日まで活動期間はわずか4年。それでもエキストラ出演したノンクレジットの作品も含めると44本に出演しており、諸星さんのコレクションもポスターだけで約120点に及ぶという。
諸星さんは「日活映画、特に裕ちゃん、旭、赤木、和田浩治の日活ダイヤモンドラインの出演作が好きで集めていたらこの数になりました。ポスター集では全てを掲載できなかったのですが、ポスター展では初めて全種類を公開します」と説明する。
全種類とはただ出演作を並べたというだけではない。当時日活では、日活本社が封切館向けに制作したポスターと、地方の劇場や二番館向けに制作したものではデザインが異なる。例えば、赤木さんが4番手で出演した石原裕次郎主演『鉄火場の風』(1960)なら、地方版には裕次郎さんだけがドンとメインで描かれ、赤木さんの顔写真すらないものもあるという。他に立看板に、表がポスター裏がプレスシートになっているスピード(簡易)ポスターなどもある。
圧巻は『俺の血が騒ぐ』(1961)のB2サイズ16枚分(約3.2m×2.3m)の8シートと呼ばれるポスターで、ポスター展でも目玉となりそうだ。このように1つの作品で実に多種多様に存在することから、コレクター心をくすぐったのだろう。またポスター集には、1960年と1961年の2回だけ登場した日活カレンダーの写真や、雑誌「日活映画」で4回飾った表紙写真も収録されている。
諸星さんの自宅には他にも、赤木さんたちが掲載されている1950年代の「明星」や「平凡」といった貴重な芸能雑誌も保管しているそうだが「家族は全く関心がないようです。あきれているかもしれませんね」と笑う。
赤木さんを知るファンも高齢化し、赤木さんの死因となった、ゴーカートの試乗で衝突事故を起こした日活撮影所内の大道具倉庫も、撮影所の縮小により土地の一部が売却されて今はない。それでも諸星さんも所属している「赤木圭一郎を偲ぶ会」では定期的にファンが集まり、交流を重ねているという。
諸星さんは「裕ちゃんは何を演じても裕ちゃんはという本物のスターだったけど、赤木さんはまだ若く、どの役も一生懸命演じているという印象だった。演じていたキャラクターと素顔は違ったのかも。もう少し経験を積んだら、また別の魅力が出てきたのかもしれません」と故人を偲んだ。(取材・文:中山治美)
「ポスター集 赤木圭一郎は生きている」(諸星日出男・編 赤木圭一郎を偲ぶ会/日活株式会社・協力)はワイズ出版より発売(3,500円+税)
「赤木圭一郎 生誕80周年記念 大ポスター展」は7月12日~16日、横浜市港南区民文化センター「ひまわりの郷」ギャラリーで開催