『ノマドランド』が男女格差を描いた女性映画でもある理由
第93回アカデミー賞
『ノマドランド』は第78回ゴールデン・グローブ賞で作品賞(ドラマ)と監督賞の2冠に輝き、第93回アカデミー賞では作品賞をはじめ6部門にノミネートされ、オスカー大本命と言われる超話題作だ。原作はニューヨークのジャーナリスト、ジェシカ・ブルーダーのノンフィクション「ノマド:漂流する高齢労働者たち」。家を持たずにキャンピングカーで生活し、季節労働の現場を求めてさまよう現代の遊牧民「ノマド」を3年かけて取材・執筆した衝撃のルポタージュだが、ノマドには高齢者、特に女性が多い。それはなぜなのか? 原作者のジェシカ・ブルーダーへの取材を元に、その謎を解明する。(文:此花わか)
フランシス・マクドーマンドがほれ込んだ原作とクロエ・ジャオ監督
まずは、この映画が女性により生まれた背景を説明したい。2018年のアカデミー賞授賞式で『スリー・ビルボード』に主演したフランシス・マクドーマンドが2度目の主演女優賞に輝いた際の受賞スピーチで「今夜伝えておきたいたった2つの言葉はInclusion Rider(インクルージョン・ライダー)です」と発言し、大きな話題となったことを覚えているだろうか。
インクルージョン・ライダーとは、映画の出演者やスタッフの性別や人種比が、その撮影場所の性別や人種比を正しく反映するべきであるという付加条項を指す。力のあるフィルムメーカーやスターたちが雇用契約にこの条項を盛り込むことができれば、白人男性至上主義だと呼ばれるハリウッドに多様性が生まれるし、映画の物語性や出演者がより現実にそったものになるとのもくろみだ。実際に、マクドーマンドの発言後、ブリー・ラーソンなど役者たちが続々とこの条項を出演条件に盛り込むことを決めたと言われている。
そういった流れもあったのか、2024年度からアカデミー作品賞の選考基準として、ダイバーシティの新項目を含めることを発表した。フランシス・マクドーマンドはダイバーシティ&インクルージョンの運動を牽引する存在なのだ。
才能ある女性とノマドが結集して生まれた
そんな彼女が惚れ込んだのがジェシカ・ブルーダーの渾身のルポタージュだ。ブルーダーは自身もキャンプ場のトイレ掃除からアマゾン倉庫の製品スキャンまで、短期労働の現場をノマドとして渡り歩いた。移動距離はメキシコからカナダ国境まで、なんと24,000キロ以上。ノマドコミュニティーの内側からブルーダーが綴ったこのノンフィクションは、人口構造の変化により、既存の社会保障制度からはじき出されてしまったベビーブーム世代の貧困を浮き彫りにしている。その根底にあるのは、アメリカ政府が社会保障よりも企業の利益を優先し、格差を拡大し続けているということだ。
ブルーダーの本が出版された同年に、早速映画化権利を買ったマクドーマンドは次に中国生まれの女性クロエ・ジャオ監督に白羽の矢を立てた。ジャオ監督は本作で長編映画3作目。マーベルの新作映画『エターナルズ(原題)』(2021年10月29日より日本公開予定)の監督にも抜てきされた新鋭監督で、ニューヨーク大学大学院に在学中の2015年に発表した長編作『ソングズ・マイ・ブラザーズ・トート・ミー(原題) / Songs My Brothers Taught Me』がインディペンデント・スピリット賞初監督長編作品賞を受賞し、注目を集めた。
彼女に転機が訪れたのは2018年公開の第二作目『ザ・ライダー』。落馬事故でロデオの道を断たれた若きカウボーイの再生物語で、主役には同じ境遇をもつ本物のカウボーイを起用した。ドキュメンタリーと詩的な映像美を見事に融合したカメラワークと演出で世界中から大絶賛されたジャオ監督の、この映画を観たマクドーマンドはいたく感動し、ジャオ監督に『ノマドランド』の監督と脚本を依頼したという。
ジャオ監督は『ノマドランド』にも同じアプローチをとった。多数の本物のノマドを出演させたり、キャストやスタッフにも車中で生活をさせたりすることで、物語性にいっそう真実味をもたせたのだ。本作は神秘的な自然とリアルな映像が絶妙に溶け合い、フィクションとドキュメンタリーの垣根を軽々と超えた、実に心に迫る作品に仕上がっている。
無償労働で労働市場から撤退させられる女性たち
原作にはフランシス・マクドーマンド演じるファーンは登場しない。それをブルーダー本人に聞くと、「ファーンは演じたフランシス自身のスピリットや個性、そしてノマド初心者としての私の経験も反映されている、フィクションのキャラクターだと思います」と説明する。
原作ではノマド世界への案内役としてブルーダー自身が登場しているが、映画ではファーンがその役割を果たす。ファーンの目を通してノマドを経験し学ぶことについて「ナレーションでノマドを説明するよりも、ファーンの経験を通して視覚的にノマドを描いたアプローチは非常に効果的です」と劇中でのファーンの役割を説明するブルーダー。ファーンが、マクドーマンド、ブルーダーやほかのノマドが複数混じったようなキャラクターだという点も、ノマドをより重層的に描写する。
興味深いのは、ノマドたちはもともと貧困層出身ではないことだ。原作には博士号を取得した女性もいるし、ファーンも臨時教員としても働いたことのある中流階級の女性という設定だ。なぜ、多くの中流出身の高齢女性が貧困に陥ってしまうのか。ブルーダーによると「私が出会った多くのノマドの女性は本来ならば、定年退職する年齢。現在60代や70代の女性は、大人になったら専業主婦になり、育児に専念するという社会規範で育った世代です。彼らが生まれた1950年代は夫の収入だけで一家を支えられましたが、時代が変わり、共働きでないと生活が送れない時代になりました」とキャリアよりも家庭を重視してきた高齢者の女性が貧困に陥っている現状を語る。
仕事よりも家庭を優先すべきという選択をした女性たちは、育児や介護でキャリアを中断してしまう。そうした女性は賃金をもらう期間が男性よりも短くなる上に、男女の賃金格差に輪をかける。ワシントンD.C.拠点の非営利団体・女性と家族のための全国パートナーシップによる調査では、アメリカでは男性が1ドル稼ぐのに対し、女性は88セントしか稼げない。アメリカの年金システムは個人が収めた税金額に基づくため、女性のほうが年金受給額が低くなるのだ。
女性の長い寿命が女性のノマドを加速する
「育児や介護といった無償労働はアメリカでは経済的にも社会的にも過小評価されている」と問題提起するブルーダーは、女性は男性よりも平均寿命が長いことも女性高齢者の貧困に繋がると言う。厚生労働省の発表によると、アメリカの男性の平均寿命は76.1歳、女性は81.1歳(2017年)で、日本の男性平均寿命は81.41歳、女性は87.45歳(2019年)。世界的にみても女性の寿命は男性よりも数年長い。つまるところ、ジェンダー規範の変化、無償労働、賃金・年金の男女格差、女性の長い寿命、社会保障制度の欠如などが、女性高齢者がノマド化する現象の理由なのだ。
人種で分断されたアメリカ社会の闇
不思議なことにノマドの女性には圧倒的に白人が多く、映画に出てくる本物のノマドにも有色人種はほとんど見かけない。この点についてブルーダーが数々のノマドに取材したところ、当事者たちにもその理由が分からない、と戸惑っていたそうだ。彼らのコミュニティーは決して白人優位主義者で構成されているわけではないのに、黒人のノマドはごくごく少数派だ。
ブルーダーはキャンピングカーの不自由な生活を楽しむためには、ある種の白人の特権的地位が必要なのだろうと推察する。白人でさえあっても車上生活をするのは大変だが、例えば住宅地で非白人が車上生活をしようものなら、たちまち警察に怪しまれてしまう。ブルーダー自身も車上生活中に警察に尋問を受けたことがあるが、口頭注意のみで無罪方面だったそうだ。
だが、これが非白人女性で警官が人種差別者であったら……? どんな扱いを受けてしまうのか分からない。こういった理由から、ノマドの選択もできない非白人の貧困女性はシェルターに身を寄せるかホームレスになるしかないのが現状だ。このようにして本作は、経済・ジェンダー・人種で分断されたアメリカ社会の闇を多角的に突きつける。
ノマドの未来と日本人女性の未来
劇中、ファーンを含むノマドたちは、砂漠で非消費主義のコミュニティーを作り上げる。物々交換をしながらサステイナブルに生きるファーンを、彼女の妹は現代の西部開拓者と呼ぶ。映画も原作も、ノマドの過酷な実態を映し出すが、同時に、彼らを支える社会保障制度さえ整えば、ノマドのライフスタイルは、現代の行き過ぎた自然破壊と経済至上主義社会の解決策となるかもしれない。
厚生労働省の人口動態統計によると、2050年までに日本の人口の4割が65歳以上になることから十分な年金を期待するのは難しいだろう。2019年の日本人女性の寿命は男性よりも6年長く、賃金格差は男性100に対して女性は74.3で、アメリカよりも格差がある。『ノマドランド』は私たち日本人女性にとっても、決して他人事ではない物語だとも言えるのではないだろうか。
第93回アカデミー賞授賞式は、4月26日(月)午前8時30分よりWOWOWプライムにて生中継