橋口亮輔監督、袴田吉彦を号泣させる ゲイを理解されず苦しんだ『二十才の微熱』の裏側
『ぐるりのこと。』(2008)、『恋人たち』(2015)などの橋口亮輔監督が18日、渋谷のユーロスペースで行われた『二十才の微熱』(1992)上映後のトークショーに来場。周囲から「なぜ男性同士で?」という疑問の声が続出するなか、繰り返し脚本を書き直し、2年半近くギリギリの生活を送ったという当時を振り返った。
「<ミニシアターセレクション>35mmフィルムで蘇る!PFFスカラシップ傑作選」内のプログラムで上映された本作。日本映画界を牽引する監督たちの商業デビュー作を世に送り出してきた、ぴあフィルムフェスティバル(PFF)の映画製作プロジェクト「PFFスカラシップ」は1984年の創設。今年はPFFスカラシップ作品の新作『猫と塩、または砂糖』(7月23日公開)と、『裸足で鳴らしてみせろ』(8月6日公開)の公開を記念して特集上映を実施。李相日、石井裕也、荻上直子、内田けんじ監督らが手掛けた過去のPFFスカラシップ作品の名作を、35mmフィルム上映で振り返る。
第6回PFFスカラシップ作品『二十才の微熱』は、橋口監督の長編映画監督デビュー作。東京で大学生活を送る一方で、少年売春クラブでアルバイトをする大学生・樹と、彼をとりまく人々との触れ合いやすれ違いなどをリアルに描き出した青春映画。主人公・樹を演じた袴田吉彦の俳優デビュー作であり、毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞を受賞した。
「当時はゲイという言葉もアメリカにはありましたが、日本には流通していなかった時代。そんな時代にこういう作品を作りたいと言っても全く理解されなかった」と当時を振り返った橋口監督。周囲からも「なぜ男性同士で?」という疑問の声が続出したとのことで、その都度、理解してもらおうと何度も脚本を書き直す羽目に。この間は当然、ギャラは発生せず、むしろアルバイトは休まなくてはならない。苦しい状況の中、ただひたすらにシナリオを書いては直して、というギリギリの生活を2年半近く過ごしたという。
「ただこの時間は自分にとってはいい時間だったなと思っていて。当時の僕はプロになろうなんて思っていなかったですから。とにかくこの作品を作りたいという思いだけで、何度も何度も台本を書き直していました。普通なら金も出ないし、もういいよ、となるところでしょうが、粘り強いのが僕の取り柄。助監督経験もない、シナリオ学校にも行ったことがない。ただどうやったら内容が伝わるかということだけを必死にやり続けたことで、書く力が上がった」
本作の主演に、1991年に第4回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストでグランプリを獲得した袴田吉彦が抜てきされているが、当時、400人くらいが集まったというオーディションには意外な人物も来ていたのだとか。「この間、大森南朋さんにたまたまバッタリ会った時に、『実は僕、18歳の時にオーディションを受けていたんですよ。でも生意気だったから落とされました』と言われて。エーッ! と」
主演の袴田をはじめ片岡礼子、遠藤雅ら共演者たちにとってもスクリーンデビュー作となった本作。「台本には自信がありましたけど、だけどやはり撮るまでに2年半かかって。やっと撮れるようになっても、周りからはずっとゲイのことが分からないと言われ続けてきたため、スタッフにも俳優にも説明したって分かってもらえるはずがないと、自分自身心を閉ざすようになった。だから撮っていても全然手応えがなくて。本当につらかった。一体誰の映画を撮っているんだと思うようになって」と振り返った橋口監督。「僕自身、プロになろうなんて思っていない、ただの自主映画の兄ちゃんでしたから。今ならもっと俳優から上手く引き出せると思うんですけど、当時は新人の子たちからうまく引き出してやろうなんて気持ちは頭になかった」という。
だがそうした状態は長く続かず、途中で撮影を中断。主演の袴田を呼び出して話し合うことにした橋口監督は、「実は僕はゲイなんだと。こういうモチーフがあって、これこれこういうことなんだと、こんこんと説明したことがあったんです。それを言ったら袴田が『僕にはできないです』と号泣したんです」と述懐。だが、それをきっかけに袴田の芝居が非常に良くなってきたとのことで、「最初はロボットのようだったんですが、そこからは段々と袴田もああいう切ない感じになって。調子が良くなった」と、裏側にあった意外なやりとりを明かした。
本作は海外映画祭にも出品され、高い評価を受けた。「海外に行くといつも、ゲイは西洋だけの文化だと思っていたというようなことを何回も言われました。そのたびにわたしは、元来、日本は同性愛に寛容な国だった。タブーになったのは明治以降。西洋の文化が日本に入ってからですよと言うと相手は黙りましたね」と笑いながらコメント。
そんな橋口監督も今月13日でいよいよ還暦に。「この映画、自分が出ているので最後まで見返せないですが、これを30年前によく撮ったなと思います。今の映画みたいですよね。特にその後に撮った『渚のシンドバッド』(1995)も年代関係なく普遍的に観られる映画になっていますし、『ハッシュ!』(2001)なんかもゲイのカップルと女性が子供を作って、家族って何だろうという話で、非常にとんがった映画だったんだなと思いますけど、あれももう20年前なんですね。機会があったらご覧ください」と切り出した橋口監督は、「そんじょそこらのジェンダームービーとは違う。こっちは60年やってきて年季が入ってますから」と笑いながら付け加えた。(取材・文:壬生智裕)
「<ミニシアターセレクション>35mmフィルムで蘇る!PFFスカラシップ傑作選」は7月22日まで渋谷ユーロスペースにて開催