『レヴェナント』に黒澤明作品の影響 イニャリトゥ監督、深田晃司監督と感激のスピーチ
第35回東京国際映画祭
「第35回東京国際映画祭」黒澤明賞の授賞式が29日に帝国ホテルで行われ、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督と深田晃司監督が出席。イニャリトゥ監督は、自身の3つの作品が黒澤映画に影響を受けたことを明かした。
今年、14年ぶりに復活した黒澤明賞。同賞は、日本が世界に誇る故・黒澤明監督の業績を後世に伝え、新たな才能を世に送り出していきたいとの願いから、世界の映画界に貢献した映画人、そして映画界の未来を託していきたい映画人に贈られる。これまでスティーヴン・スピルバーグ、山田洋次、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)といった著名監督が受賞してきた。今回は山田洋次監督、俳優の仲代達矢、原田美枝子、映画評論家の川本三郎、市山尚三東京国際映画祭プログラミング・ディレクターら5名の選考委員の協議により、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督と深田晃司監督に授与されることとなった。
選考理由としては、イニャリトゥ監督は「長編デビュー作『アモーレス・ペロス』(1999)で世界の目をメキシコ映画に向けさせ、その後アカデミー賞をはじめとする多くの賞を受賞しながらも、作品ごとに常に新しい試みに精力的に挑戦している姿勢が評価に値する」、深田監督は「作品性が若手映画監督として優れている点や、世界に向けて将来の活躍が期待される日本人監督である点などに加え、映画制作活動以外での精力的な活動についても評価の声が高い」としている。
前日の夜に、ニューヨークから来日したばかりだというイニャリトゥ監督は「今日は東京にいられることを光栄に思っています。このような意義のある賞を、深田監督と一緒に受ける機会となり、光栄です」とあいさつ。「わたしが東京に来たのは22年前。その時は若い映画作家でした。デビュー作の『アモーレス・ペロス』は運に恵まれ、グランプリ(最優秀監督賞)を獲得しました。低予算映画であるにもかかわらず、10万ドル相当の賞金をいただきました」と第13回(2000年)東京国際映画祭の思い出を述懐。「7年後には『バベル』(2006)という作品の一部を撮影するために来日して、5か月近く。短い時間ではありましたが、キャストやクルーに恵まれ、この美しい日本で過ごすことになったのは、自分の人生の中でも幸せな瞬間の一つでした。その後も東京国際映画祭の審査委員長にお声がけしていただいて東京に来たこともありました」とゆかりの深い東京への思いを語った。
さらに日本の文化にも非常に深い影響を受けたというイニャリトゥ監督は、「今回、黒澤明賞という、映画界の巨匠、神とも呼べる方ですが、世界中の映画作家が黒澤監督の作品を大事に思ってきました。黒澤監督は、人間性の複雑さというものを描いていて、わたし個人としては3つの作品に影響を受けてきた」とのこと。『アモーレス・ペロス』が『羅生門』(1950)から。『レヴェナント:蘇えりし者』(2015)が『乱』(1985)と『七人の侍』(1954)から。『BIUTIFUL ビューティフル』(2010)は『生きる』(1952)からの影響があったと紹介した。
なお今回の賞金は、イニャリトゥ監督が故郷メキシコのモンテレイ大学と一緒に立ち上げたスカラーシップファンド「ReconoceR」に寄付するという。
続いてトロフィーを受け取った深田監督は「今日はイニャリトゥ監督という、偉大な先輩と一緒に賞をいただき、とてもうれしく思っています。わたしはまだまだ黒澤明監督には遠く及びませんが、今後もより頑張れという叱咤の意味合いがあると思って頑張っていきたいと思います」とあいさつ。自身は10代の時に、地元の市民映画会で『野良犬』(1973)を鑑賞したのが黒澤作品との出会いになり、「そこから古い映画を観るようになって。小津(安二郎)、黒澤、溝口(健二)、成瀬(巳喜男)といった当時の優れた映画監督の映画を観て育ち、映画の業界に入っていった」という。
だが現代の映画業界は、映画黄金時代と違い、撮影所システムが崩壊。安定した雇用形態ではなくなり、不安定な状況で働くことを余儀なくされてきたが、さらに2020年代以降はコロナ禍に見舞われ、厳しい状況が続いていると切々と訴える深田監督。「そうした中で彼らの心の健康をどう守るのかということが課題となっています」と語ると、「残念ながら行政は、フリーランスの表現活動を守るためのセーフティネットに至っていません。そういった中で、(一般社団法人)日本芸能従事者協会という団体がメンタルケアサービスを開いています。自分もそこに少し関わっているんですが、11月に期限が切れて終了になるので、この相談窓口の存続のために寄付したいと思います」と賞金の使い道について語るひと幕も。最後に「一番好きな黒澤映画」として『どですかでん』(1970)を挙げていた。(取材・文:壬生智裕)