クリスチャン・ベイルの激変とマッケイ監督の型破りな演出に注目!『バイス』
第91回アカデミー賞
ドナルド・トランプ米大統領が登場したことで最近では悪い印象がかなり薄れてしまったが、任期中、ジョージ・W・ブッシュは、過去にまれに見るひどい大統領だと受け止められていた。『ボウリング・フォー・コロンバイン』(2002)がオスカーを取ったとき、マイケル・ムーアは舞台で「ブッシュよ、恥を知れ」と叫んだし、米NBCの人気バラエティー番組「サタデー・ナイト・ライブ」ではウィル・フェレルがおバカなブッシュを名演して、ファンを増やしたものだ。(文:猿渡由紀)
当時言われた、ブッシュが「世界を知らない」「考えが浅い」「おぼっちゃま」という批判は、今も多くが認めるところ。でも、彼は、トランプのような根っから性悪の策略家ではなかった。その役目を務めていたのは、いつも黙ってそこに居ただけのように見えたディック・チェイニー副大統領だったのである。
この映画は、その謎に満ちた男に焦点を合わせるもの。副大統領(vice president)と悪徳(vice)を掛けているタイトルからして、すでに痛快だ。映画は全編その調子で、コメディー劇団出身のアダム・マッケイならではのウイットをちりばめつつ展開する。例えば、映画のちょうど半ばで、一度チェイニーが政界から遠ざかって田舎に引っ込むところでは、エンドロールが回る。観客は、「えっ、これで終わりなの?」と一瞬驚くが、実は、そこからが本番。チェイニーが副大統領になるのは、その後なのだ。そして、「ああ、現実の世界でも、あそこであのまま終わってくれていたらよかったのに」と思わされるのである。また、映画にはナレーターがいるのだが、いったい彼が何者なのかは、最後の方までわからない。その正体は、おそらく、あなたも想像できないはずだ。
アメリカ同時多発テロ事件の前後、実は何が起こっていたのか、そして今のトランプのはちゃめちゃ政権につながる土台はそれ以前からどんなふうに築かれていたのか。それらの全てももちろんだが、何より恐ろしいのは、それを操っていたこの男が、もともと政治に興味もなく、イデオロギーも持たない人物だったということだ。そこはトランプも同じ。ただ、目立ちたがりやのトランプとは逆に、彼は表に出なかったので、なおさらタチが悪い。
この映画がさらにすごいのは、チェイニーのひどい男ぶりを容赦なく暴露しながらも、彼をちゃんと人間としても描いていることである。そもそも彼がこの道に入ったのは、愛する妻に見捨てられたくなかったから。そして彼はまた、実の娘がレズビアンだとわかったときに、政治的立場と親としての立場の間で悩むことにもなる。その夫婦を、今日のハリウッドでも最高の演技派であるクリスチャン・ベイルとエイミー・アダムスが名演する。
マッケイの型破りな演出は多少、好き嫌いが分かれるようだが、筆者はこれを断然、新鮮でオリジナリティーあふれる映画だと絶賛したい。何よりも感心するのは、そもそもこういう映画が作られたという事実だ。こんな映画は、まず絶対に日本では作られない。マッケイと、彼を支えた人々全てに拍手を送りたいと思う。
クリスチャン・ベイルが激変!映画『バイス』予告編