津川雅彦&行定勲監督、マレーシアにゆく~“東洋の真珠”ペナン島滞在記~
第29回東京国際映画祭
一つのテーマのもとに国籍の異なる3人の監督がオムニバス映画を共同製作するプロジェクト「アジア三面鏡」。記念すべき第1弾『アジア三面鏡2016:リフレクションズ』は、「アジアで共に生きる(Living Together in Asia)」をテーマに、フィリピン、日本、カンボジアの3監督が集結。その中の一編『鳩 Pigeon』でタッグを組んだヒットメーカー、行定勲監督と名優・津川雅彦が予期せぬハプニングの連続だったマレーシアロケを振り返った。(取材・文:イソガイマサト 撮影:高野広美)
そもそも、なぜマレーシア?
津川:監督に聞きたかったんだけど、『鳩』はどんな動機でスタートしたんですか?
行定:東京国際映画祭から「東アジアで映画を撮って欲しい」という話をいただいたところからスタートしたんですけど、僕は“越境する”ことに興味があるんです。日本で映画を撮っていると守られた環境の中で、自分のスタイルが段々確立していきますよね。でも、越境して映画を撮ると、追い込まれるし、自分の思い通りにはならない。ただ、それでも映画は意外と完成するものなんだなということが何か国かでやってきてわかったんです。
津川:これまでどこで撮られたんですか?
行定:韓国(『カメリア』の一編でソル・ギョング&吉高由里子主演の「Kamome」)と中国(『真夜中の五分前』)です。
津川:なるほど、難しい国でやっておられるんですね。
行定:そうなんです。でも、日本の俳優と一緒に越境して、思い通りにならない状況で映画を撮ったらどうなるんだろう? ということに興味があって。特に今回はベテランの俳優さんとご一緒したいと思っていたので、津川さんにお願いできなかったら(この映画は)成立しなかったと思います。
津川:それは光栄の至りです。でも、実は僕は外国があまり好きじゃなくて(笑)。それは飛行機に長時間乗るのが苦手だとか、言葉が通じなかったり、食べ物が合わないのが煩わしいといった生活習慣が理由なんですけど、台本を拝読したときに鳩との交流は素敵だな~と思って、出していただこうかなと決心しました。
行定:そうなんですか!?(笑)
鳩の神秘と秘密
津川:僕は犬を飼っているんですけど、犬は無垢だし、人間以上の感性を持っている。愛情も交換できるから、人間と付き合うよりも楽しいんです。ホッとするし、尊敬もできて、一緒にいる時間が充実するんですよね。それと同じようなことをこの映画の鳩にも感じて。鳩って何百キロも先まで飛んで行っても、自分の巣へ戻ってこられるんですよね。人間には期待しなくなった老人が、そんな鳩に期待するところに彼の寂しさが感じられたし、自分にもフィットしたんですね。
行定:僕がこの話を考えているときに津川さんがたまたまテレビに出てらして、そのときに“あっ、うちのおじいちゃんに似てるな”と思ったんですよね。九州の男ですけど、鼻の形とかすごく似ていたんです。それに国際映画祭で映画を作るにあたって、津川雅彦という日本を体表する俳優の最新主演作にしたかったんです。
津川:今思えば、監督には申し訳ないけど鳩が飛ばなかったのはショックだったですね(笑)。
行定:そうなんですよ! 向こうには日本のような訓練された鳩がいなくて、扉を開けても飛ばないんですよね。
津川:だから、「オマエたち、このまま一生この場所で一緒に暮らすのか?」ってかわいそうになって……(笑)。
行定:津川さんの表情が一瞬「飛ばないな……」って素になっていたぐらい、飛ばなくて、あのシーンは苦肉の仕掛けで撮り上げました(笑)。
国籍も世代も異なる2人の『グラン・トリノ』的ストーリー
津川:台本を最初に読んだときに、クリント・イーストウッドの『グラン・トリノ』を想起しました。あの作品では、イーストウッドの演じた主人公が肉親でなく、隣に住むモン族の少年に愛車のグラン・トリノを譲るんだけれど、この作品でも孤独な老人が息子ではなくてモン族のマレーシアの少女に自分が宝だと思っているものを渡しますからね。
行定:この物語には、祖父が「マレーシアに行きたい、行きたい」って言いながら亡くなったことが大きく影響しています。祖父の2人兄はマレー海戦で亡くなったので、その亡くなった場所に想いを馳せていたんでしょうね。その想いを映画でかなえてあげたいなと思ったんです。
主演女優が津川雅彦を「怖い」と号泣
行定:津川さんがマレーシアの現場に入られたときに、すごく痩せられていましたよね。その前に日本でお会いしたときに津川さんから「この老人は何歳ぐらいですか?」と聞かれたので、役のために減量されたんだなというのがわかって、スゴいな~と思っていました。ただ、僕らは普段の明るい津川さんを知っているから、それが役作りであるのがわかるけれど、マレーシアの俳優やスタッフは役に成り切っている津川さんしか知らないので、皆体調を心配していて。主演のシャリファ・アマニなんて、撮影の2日目に「おはようございます」って明るく挨拶したのに、「無視された」と脅えていました(笑)。「すごく怖い。津川さんはわたしのことを嫌っているし、わたしたちと一緒に映画を作ることを完全に拒否しているみたい」って泣いていたんですよ。
津川:そりゃかわいそうなことをしたなぁ。監督がおっしゃる通り、僕は基本的には明るい性格なんですよ。ただ、この作品のような老人の寂しさを表現するときには、その明るさが邪魔になるんですよね。ですから、周りとのコミュニケーションを断つということを意識的に心掛けていました。しかも、これが日本だと僕の性格をみんな知っているから、「津川さん、どうしたんですか?」なんて笑われちゃうけれど、彼女らに対してはそれが成り立つのでね、怖がらせてしまって申し訳ないけれど雰囲気は作りやすかったですね。
行定:だけど、マレーシアの人たちは映画は楽しいものだから、楽しみながら一緒に作るという考え方なんですよね。それこそ最初から一緒に記念写真を撮りたいっていうムードなんです。津川さんの役作りが真に迫っていたから、余計にアマニは脅えたんでしょうね。だから僕は「アマニ、今日撮るシーンを考えてごらん? この老人が少女のことを認めてなくて、頑としてコミュニケーションをとらないようにしている場面だから、津川さんは最初からそういう姿勢でいるんだよ」って説明したんです。それでも、最初のうちは理解できてなかったようで……(笑)。
津川:申し訳ないことをしたなぁ。繊細な子だったんですね。
行定:彼女の家は芸能一家で、母親も女優なんですけど、ああいう役作りを初めて目の当たりにしたんだと思います。(津川演じる主人公の息子を演じた)永瀬正敏さんのスタイルにも驚いていたけれど、津川さんはあの偏屈な老人そのものになっていましたから。クライマックスの海のシーンの撮影のときになって、ようやくスタッフのみんなが(津川さんの)全てが演技だったんだと知って、驚いていました(笑)。
津川雅彦、ドリアンから伊丹十三作品のトラウマを回想
津川:マレーシアでは一切、現地のものは食べなかったですね。
行定:日本から日本食を持参されていましたね。劇中で津川さんが食べていた「トンポヤ」はドリアンを発酵させたもので、現地の人でも「こんな臭いもの食えない」って言ってるぐらいで……。
津川:食べ物に関しては、結構好き嫌いが多くてね。昔、伊丹十三さんの映画に出たときに北京ダックを美味しそうに食べるシーンがあったんだけど、僕、北京ダックが……鶏が苦手なんですよ(笑)。
行定:ダメなんですか?(笑)。
津川:今だから話してしまいますが、実は鶏を別の肉に変えてもらって、それを北京ダックのように食べたんです(笑)。
海外は苦手と言いつつ、最後に「現地では、異国情緒の中で楽しく撮影できました。長い突堤がある水上生活をしている人たちの街と景色は未だに忘れられないですし、マレーシアはバイクが多くて驚きました」となつかしそうに振り返った津川。そして、名優・津川を前に、まるで映画少年のように目を輝かせていた行定監督。本作は、異国の地マレーシアに魅せられ、世代を超えて共鳴し合った2人の情熱がほとばしる意欲作となっている。
11月3日 10:50~ 会場:TOHOシネマズ 六本木ヒルズ SCREEN1
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