略歴: 茨城県出身。スポーツ紙記者を経てフリーの映画ジャーナリストに。全国商工新聞、月刊スカパー!(ぴあ)、時事通信などに執筆中。
近況: 映画祭で国内外を飛び回っているうちに”乗り鉄”であることに気づき、全国商工新聞で「乗りテツおはるの全国漫遊記」を連載。旅ブログ(ちょこっと映画)もぼちぼち書いてます。
山間地帯を行き来するレトロなゴンドラ。その圧倒的な画力から着想を得て制作された本作。前作『ブ ラ!ブラ!ブラ!胸いっぱいの愛を』同様セリフなし。だが言葉に頼らずとも、子供たちの通学だけでなく、棺や牛も運ばれるというゴンドラを通して描かれる日常が、ジョージアの小さな村に暮らす人々の生活を想像させ、ゴンドラがすれ違う時に交わされる主人公たちの眼差しと遊び心が恋の始まりを予感させる。そしてセリフなしが可能にした、前作に続いてのボーダレスなキャスティング。無国籍キャストによるファンタジーを得意する監督だったが、術を得たかのよう。新作は猿が主演だし。歳を重ねてますます自由になる監督の伸び代が眩しい。
シネコンが浸透する一方で、希少な存在となっている”映画館”という単体の建物と、劇場を飾る大きな手描き看板。特に映画看板は、役目を終えれば消える運命にある広告に過ぎないのに、街の風景と共に鮮明に脳裏に刻まれる。何故か? 答えは本作にあった。「スパイダーマン」の看板があっという間に「スラムダンク」に塗り替えられ、フリーハンドでタイトルが加えられる驚愕の技術と手描きの妙。似てる、似てないも含めて、心を動かされずにはいられない。顔さんは今も台南の映画館で看板を描いている。しかも路上で。本作は、失われつつある映画文化と、台南の古き良き時代を伝える貴重な記録である。
分かりやすい映像ギミックを駆使しているワケではない。カメラアングル、照明、演出等、長年の経験と豊富な映画の知識で得たシンプルな技法を使って、得も言われぬ世界を醸しだす黒沢監督の巧みさは、本作のような実験的な企画でこそ際立つ。普通に思えた日常が、暴力によって突然歪んでいく脅威。その渦に取り込まれるように、抑制していた感情が漏れ出し、他者に狂気を向ける人の心の危うさ。映像や音で恐怖を煽らずとも、ただ人間を描くことが一番怖いことを黒沢監督は知っている。しかも主演は、感情が読みづらい俳優・吉岡睦雄だ。黒沢作品の中に吉岡睦雄が居る。妖気漂うそのショットだけで、ただならぬ作品であることを予感させるのだ。
脚本は『苦役列車』のいまおかしんじ、共同監督は短編映像でコラボした久野遥子。山下監督は近年、味でもある”何も起こらない話”から、『カラオケ行こ!』などエンタメ色の濃い作品を手がけてチャレンジングな活動を続けてきたが、それらの点と点が繋がって本作で見事に結実。脱力系漫画と山下監督の相性の良さは言わずもがな、山下監督ならではの間やテンポをアニメーションに活かした久野監督の職人技、日仏共同で作り上げた色彩設計は、日本のアニメ界にも新風をもたらすに違いない。何より原作の世界観を壊すことなく、オリジナルキャラクターを溶け込ませて、普遍的な少女の成長物語に仕上げた脚本に唸る。これぞ映画化の醍醐味。
悲痛な叫びのようなタイトルが、本作の全てを物語っている。原発事故後から13年経った今も増え続けている遅発性PTSDなどを抱えた人たちと向き合う医療従事者に密着。その行為からは、「生きて」という必死の願いが聞こえてくるようだ。しかも医療従事者のみならず、患者の方もモザイクなし。両者のこの現実を伝えたいという覚悟が観客の目をスクリーンに釘付けにさせる。興味深いのは、メンタルクリニックの院長は沖縄での診療を続けており、遅発性PTSDは沖縄戦でも見られるという。原発と戦争。”お国のため”の大義名分ではじめたことの犠牲は市民が受ける、この負のスパイラル。復興五輪を唱えた人たちは本作をどう見るのだろうか?