略歴: 映画評論家。1971年和歌山生まれ。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『21世紀/シネマX』『シネ・アーティスト伝説』『日本発 映画ゼロ世代』(フィルムアート社)『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。「週刊文春」「朝日新聞」「キネマ旬報」「Numero TOKYO 」などでも定期的に執筆中。※illustrated by トチハラユミ画伯。
近況: YouTubeチャンネル『活弁シネマ倶楽部』でMC担当中。11月2日より、ウェストン・ラズーリ監督(『リトル・ワンダーズ』)の回を配信中。ほか、想田和弘監督(『五香宮の猫』)、空音央監督(『HAPPYEND』)、奥山大史監督(『ぼくのお日さま』)、深田晃司監督(『めくらやなぎと眠る女』日本語版演出)、クォン・ヘヒョさん(『WALK UP』主演)の回等々を配信中。アーカイブ動画は全ていつでも観れます。
OPの「SHOT ON KODAK」クレジットにまず痺れる。世界的な新潮流にもなっている16mmフィルムの魔法。『未来少年コナン』をこよなく愛する新鋭監督ウェストン・ラズーリ(90年生)が描くダートバイクキッズの日常冒険譚。特にアートワーク&デザインセンスの良さが光り、サイケデリア感覚も効いている。
70年代辺りのインディ映画ともテレフィーチャー調とも呼べる質感の中、『隠し砦の三悪人』『紅の豚』や大友克洋など日本ものの引用も楽しい。77年の全米ヒット曲、プレイヤーの「Baby Come Back」という唐突な選曲も絶妙。実はカルト集団に生まれ育った少女を救出するお話だったりするのも興味深い。
『フィールズ・グッド・マン』が扱った凶悪なインターネット・ミーム化したカエルのペペ――。それに近い程、T・フィリップス監督にとって前作『ジョーカー』が引き起こした現象は想定外の域だったのか。社会に抑圧された者の怒りや悲しみから、テロルの回路を無邪気に開いてしまう「隙」。その事態を重く見た彼は自分達が生んだ漆黒の神話を破壊する裏返しの続編を放った。
基本はジュークボックス・ミュージカルだが、同時に前作と対の形に設計されているのがよく判る。“My Shadow”の側を体現するレディー・ガガも良し。そしてジョーカーが生んだものをアーサーという無垢な人間の側に戻していくホアキンの演技がやはり圧巻だ。
J・ロージー監督の『愛と哀しみのエリザベス』(75年)以来、2度目の夫婦役で名優同士が共演。昨年87歳で逝去したグレンダ・ジャクソン(労働党の政治家として活躍する前、1970年頃は英国の新しい女性像を体現する俳優だった)は遺作に、3歳年長のマイケル・ケインは引退作に。それでも全く気負いのない姿に感動せずにいられない。
老夫婦の物語としては『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』と共通する要素を持ちつつ、戦争のPTSDが主題となる。平易なフラッシュバックを用いて語られるD-DAYの記念式典という祝賀の裏にある消えない巨大な痛み。歴史/現実を語り継ぐ大切さが主演2人の素晴らしく個的な在り様に重なる。
日本で劇場公開される事の稀なパキスタン映画から傑作が届いた(2022年作品)。91年生の新鋭監督サーイム・サーディクの自己投影も大きい物語で、封建的な家父長制の抑圧を痛烈に描く。主人公ハイダルの葛藤を主軸にしながら、旧来の男性性を批評的に対象化する複数の視座が強く浮かび上がる構造だ。
『モンキーマン』にも登場したヒジュラのコミュニティの様相が、トランスジェンダーのダンサーのビバを通して提示される。ハイダルとビバの恋愛にまつわる性的な軋轢の描き方も微に入り細を穿つものだ。ハイダルと妻ムムターズのパートナーシップにも新しい愛の形の可能性がある。欧米型よりむしろ先進的要素が多いようにも思える一本。
ある村で教師のグルーミング容疑が立ち上がる、とのくだりは『偽りなき者』を連想させもするが、本作の美術教師サメットが取る偏狭な怒りの態度は曖昧な薄汚さを加速させる。フォトジェニックに撮られた極寒の辺境。壮大な自然と閉鎖的な環境の中で浮かび上がるのは、人間という生き物の卑小さ。しかし彼らの生態はまさに我々の事だと、ブーメラン的に跳ね返ってくる距離感が絶妙で震える。
とりわけサメットと政治活動家でもある英語教師ヌライの“ある一夜”は見所。両者白熱しながらも平行線をたどる議論の先にあるものとは――。『雪の轍』のヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督は人間の渇きを見据えながら、何より言葉の空虚さを射抜くのだ。