略歴: 映画評論家/クリエイティブディレクター●ニッポン放送「八木亜希子LOVE&MELODY」出演●映画.com、シネマトゥデイ、FLIX●「PREMIERE」「STARLOG」等で執筆・執筆、「Dramatic!」編集長、海外TVシリーズ「GALACTICA/ギャラクティカ」DVD企画制作●著書: 「いつかギラギラする日 角川春樹の映画革命」「新潮新書 スター・ウォーズ学」●映像制作: WOWOW「ノンフィクションW 撮影監督ハリー三村のヒロシマ」企画・構成・取材で国際エミー賞(芸術番組部門)、ギャラクシー賞(奨励賞)、民放連最優秀賞(テレビ教養番組部門)受賞
近況: ●「シン・ウルトラマン」劇場パンフ執筆●ほぼ日の學校「ほぼ初めての人のためのウルトラマン学」講師●「るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning」劇場パンフ取材執筆●特別版プログラム「るろうに剣心 X EDITION」取材執筆●「ULTRAMAN ARCHIVES」クリエイティブディレクター●「TSUBURAYA IMAGINATION」編集執筆
寡黙な人間達の生活の間合いから滲み出る可笑しみと哀しみ。弱者に寄り添うカウリスマキの視点は、近年、必然的にヨーロッパを覆う難民問題へ向かったが、ここでは北欧ヘルシンキに逃れてきた中東シリアの青年を見つめていく。妹と離ればなれになった彼が対峙するのは、人間性を欠いた移民局と排他的なネオナチども。決してドラマティックに煽らない。孤独と不安を抱える人間のミニマムな衣食住が映し出される。生きていくために必要なのは、ほんの少しのユーモア。“ジャパン・カルチャー”が緊張感をほどくワサビの役割を果たしている。カウリスマキのほろ酔い話法は洗練されて簡素さは極まり、より鋭く時代と社会の現在を射抜いている。
単なるファッション&サウンドのセンス抜群なラブロマンスにとどまらない。異星の美少女ザンとナードな少年エンの出会いは〈SF×パンク〉の化学反応をもたらし、大人や組織の論理という抑圧に対する抵抗の詩へと昇華していく。ライブ感が漲り、映画そのものが生きもののように躍動している。乳白色のエル・ファニングには、性や人種を超越した神々しくも愛らしい“宇宙人”という響きがよく似合う。ニコール・キッドマンの鋭利な存在感がスパイスだ。ザンとエンの逃避行は、ヘドウィグ同様にカルト化必至の道筋を辿ることだろう。
ソダーバーグの引退撤回作は、集団で金庫破りを企てるコミカルな強盗アクション。自ずと彼のヒット作を想起せざるを得ないが、カジノを舞台にドル箱スターが余技で演じてみせた『オーシャンズ』シリーズとは、あらゆる意味で対照的だ。忘れさられたような田舎町で、うだつの上がらぬ者たちが計画する、生活の懸かった不確かな犯罪を通し、人間味あふれる演技を堪能できる。とりわけ007から解き放たれたダニエル・クレイグの非道ぶりと、カイロ・レンことアダム・ドライバーのワンテンポ外した間合いは絶品。決して鮮やかな強奪劇ではない。時代や経済から取り残された者たちが悪戦苦闘の挙句、ほんの少し輝く姿こそが、この映画の真骨頂だ。
劇的な展開はなく成功譚でもないが、芥川賞の映画化にしてはモチーフが漫才だけに大衆性も兼ね備えている。不安と孤独に苛まれくすぶり続ける狂った十年を、一気に見せ切る力がある。映画であることを志向したNetflixのTVシリーズ版に対し、映画版にはTV的な感性が宿っている。最も体現するのが、桐谷健太と菅田将暉の日常の掛け合い。大阪弁による小気味よいテンポは神懸かり的で、笑いへの憧憬と敬意に満ちている。原作にない画でキャラクターの内面を表す術を板尾創路監督は心得えており、ライブ場面のテンションは尋常じゃないが、青春劇としては淡泊。主題歌を提供したビートたけしが監督していたならば…と夢想した。
庵野ゴジラは「終末」を食い止める闘いだったが、虚淵ゴジラは「終末後」に地球と人間の尊厳を取り戻すべく抗う濃厚なハードSF。絶望をもたらした進化の最終形態=ゴジラへの情念、ロジカルな殲滅作戦、異星人との共闘、地球生態の変容…精緻を極める世界観と高度な3DCGに驚嘆する、次世代ゴジラ映画だ。三部作といっても本作のみの完結感は弱く、TVシリーズ冒頭数話の趣。続きを観なければ語れない。動画配信を視野に入れた製作。ならば、虚淵監修による前日譚小説もアニメ化すべき。怪獣との闘争に明け暮れた黙示録は、従前の“ゴジラ脳”で作品を捉える世紀末世代にも間口を広げ、キャラへの愛と世界観への理解を深めるはずだ。