略歴: 映画評論家/クリエイティブディレクター●ニッポン放送「八木亜希子LOVE&MELODY」出演●映画.com、シネマトゥデイ、FLIX●「PREMIERE」「STARLOG」等で執筆・執筆、「Dramatic!」編集長、海外TVシリーズ「GALACTICA/ギャラクティカ」DVD企画制作●著書: 「いつかギラギラする日 角川春樹の映画革命」「新潮新書 スター・ウォーズ学」●映像制作: WOWOW「ノンフィクションW 撮影監督ハリー三村のヒロシマ」企画・構成・取材で国際エミー賞(芸術番組部門)、ギャラクシー賞(奨励賞)、民放連最優秀賞(テレビ教養番組部門)受賞
近況: ●「シン・ウルトラマン」劇場パンフ執筆●ほぼ日の學校「ほぼ初めての人のためのウルトラマン学」講師●「るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning」劇場パンフ取材執筆●特別版プログラム「るろうに剣心 X EDITION」取材執筆●「ULTRAMAN ARCHIVES」クリエイティブディレクター●「TSUBURAYA IMAGINATION」編集執筆
マット・デイモンが何故か『マンチェスター・バイ・ザ・シー』を蹴って主演した中国歴史大作は、レジェンダリー産怪獣映画だ。万里の長城は、『ワールド・ウォー Z』的に群れを成して襲撃してくる中国神話の凶悪な怪獣を撃退するために築かれたという設定に腰を抜かして以降、物語は膨らまず、ただ西洋人が中国軍と共闘するだけ。二転三転した難産プロジェクトは、時としてこうした異形を生む。ヌンチャク型のバチでマッドマックスばりに太鼓を叩きながら臨み、色鮮やかな甲冑に身を包みダイブして戦う美少女戦士という戦国絵巻に、微かにチャン・イーモウの刻印が。大スクリーンで観ないと意味がない、憎みきれないろくでなしである。
怒り狂うモンスターの如き炎がマーク・ウォルバーグの演技を食うほどだ。安全を軽視した利益第一主義の上層部vs.現場を熟知するベテランという対立構造は、『タワーリング・インフェルノ』由来ともいえるパニック映画の基本だが、群像劇に付きものだった、甘ったるいロマンスやコメディ要素を捨象し、カタストロフに向けたシンプルなカウントダウン構成がサスペンスを倍加させる。爆発大好きなファンを堪能させるのはもちろん、社会派エンタメとしても堅実な作り。近過去の未曽有の事故を描くヒーローなき実話ディザスター。ハリウッドの懐の深さを感じる。
後編の見どころは、より濃密になる人間ドラマ。零を迎え入れる川本家との交流が、人としての成長を描く上で効いてくる。そして何より、この映画の風格を決定づけたのは、ラスボスとしての宗谷名人=加瀬亮だ。場の空気と一体化したような、一切の虚飾を削ぎ落とした、存在感なき存在。“なで肩の棋聖”加瀬が醸し出す内宇宙が、将棋と本作の奥深さを無言のうちに体現する。主人公だけではなく誰もがもがき苦しんでいる。孤独・精進・自我の追求…。今の日本映画を支える観客の中心層にとっては、目を背けたいもののオンパレードかもしれない。それでも、表情を味わい、行間を読み、自己を高めるためにこそ映画は在るのだ、と本作は抗っている。
JK専用イケメン映画だろうと思い込み、父役・吉田鋼太郎に近い世代の視線から不安げに見始めたが、いい意味で実にバカバカしく痛快だ。上を目指し策をめぐらし、騙し騙される。設定は昭和でも本質的には今も変わらない。この国の学歴主義と民主主義のシステムを揶揄しつつ、笑いの間を心得て運ぶ演出は滑っていない。選挙における情緒的駆け引きを笑い飛ばす奇策「マイムマイム事変」の挿入も絶妙だ。振り切れても乱れない菅田将暉の多面的な表情には驚かされる。ウザい野村周平と清々しい竹内涼真の起用法も正しい。昭和世代なら植木等の「日本一シリーズ」現代版としても楽しめる。赤場帝一が首相になってからの忖度コメディを早く観たい。
原作は出発点にすぎない。復讐譚という柱はあるが、まるで映画草創期の時代劇のように、劣勢に立った主人公が膨大な数の相手を向こうに回し、斬って斬って斬りまくる。テーマ性よりも不良性感度高き肉体性への執着。三池崇史は「何をやっても木村拓哉」をポジティブに捉え、昨今のキムタクにまとわりつくダークなイメージさえもキャラづくりに取り込む。傷ついて斬られても死なない/死ねない疲弊感と厭世観が奏功している。次々と現れる敵キャラのキャスティング配置も見応えあるが、戸田恵梨香の活劇はもっと観たかった。珍獣ぶりを発揮する杉咲花は、唯一無二の女優になりつつあるが、喚きながらのセリフ回しは聴き取りにくい。