略歴: 映画評論家/クリエイティブディレクター●ニッポン放送「八木亜希子LOVE&MELODY」出演●映画.com、シネマトゥデイ、FLIX●「PREMIERE」「STARLOG」等で執筆・執筆、「Dramatic!」編集長、海外TVシリーズ「GALACTICA/ギャラクティカ」DVD企画制作●著書: 「いつかギラギラする日 角川春樹の映画革命」「新潮新書 スター・ウォーズ学」●映像制作: WOWOW「ノンフィクションW 撮影監督ハリー三村のヒロシマ」企画・構成・取材で国際エミー賞(芸術番組部門)、ギャラクシー賞(奨励賞)、民放連最優秀賞(テレビ教養番組部門)受賞
近況: ●「シン・ウルトラマン」劇場パンフ執筆●ほぼ日の學校「ほぼ初めての人のためのウルトラマン学」講師●「るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning」劇場パンフ取材執筆●特別版プログラム「るろうに剣心 X EDITION」取材執筆●「ULTRAMAN ARCHIVES」クリエイティブディレクター●「TSUBURAYA IMAGINATION」編集執筆
表向きは往年のハリウッドを舞台にしたコミカルな誘拐劇。映画通はモデルとなった映画人を想起してほくそ笑む。決してパロディではない。新興勢力テレビに気圧され、大スクリーンならではの魅力を創出すべく製作された史劇やミュージカルの醍醐味を、コーエン兄弟は本気で再現する。誘拐犯は「ハリウッド・テン」を思わせる。悲劇の主役として語られがちな“赤狩り”の犠牲者への辛辣な眼差しが興味深い。裏社会と繋がっていたスタジオ上層部の揉み消し屋をヒロイックに描くところに屈折がある。崩壊の始まり「1951年」に時代設定し、黄金期の最後の煌めきを描いて、普通じゃない連中の夢と狂気の王国に対する深い愛惜の念を感じさせる。
麻薬カルテルが残虐非道の限りを尽くすメキシコ国境地帯。無謀ともいえる密着潜入によって、我々は銃弾飛び交う渦中へ引きずり込まれる。政府の無策に業を煮やして起ち上がる自警団。家族を守るべく、勇猛果敢にカルテルへ制裁を加える胸のすく様は、まるで勧善懲悪の西部劇のよう。だがその後の予期せぬ展開にこそ、このドキュメンタリーの真価はある。無秩序な正義は、カオスの中で腐敗し欲望を露わにしていく。高邁な理念を掲げても、人は脆い。声高に正しさを唱える独善的な者ほど、表面を綺麗事で固め、水面下で欲得に呑み込まれていきやすい。人間の哀れ、社会の矛盾。善悪の境界は、限りなく曖昧模糊としていることを思い知らされる。
パレスチナの現実を伝える政治ドラマでありながら、狡猾なイスラエル秘密警察のやり口を暴くサスペンスアクションであり、若者たちの今を映し出すラブロマンスでもある。主人公が壁を越えるシーンが繰り返し登場し、その勢いによって心情変化が表わされる場面が秀逸だ。高さ8メートルの壁は土地を分断するだけでなく、人々の心を引き裂いている。物語の鍵を握る脇役がヴィトー・コルレオーネ(マーロン・ブランド)の声真似をする場面は、世界標準としてのハリウッドへの敬意であり、娯楽作であろうと自覚する監督のサインであろう。深刻なテーマを商業的に成立させることは、悲劇を世界へ広く知らしめ、共鳴させることにつながる。
極めて日本的だ。天皇崩御報道にかき消された未解決事件は、忘却しがちな日本人に内省を訴えかけてくる。そのうえ前後編に分けねばならぬという事情もまた、日本的。NHK版以上に劇場版は家族の情念に視座を置くが、最大の見せ場はやはり組織vs個人。上層部とメディアの板挟みとなる県警広報官=佐藤浩市。共演陣とぶつかり合う佐藤の姿は、日本映画のありようや観客のリテラシーの現状に対決を挑むかのようだ。瀬々敬久の演出がそれを受けとめ切れず、佐藤の感情がドラマから浮き上がりがちな瞬間もある。しかし記者クラブを前にした9分間ぶっ通し対峙場面は、活字では不可能な映画ならではのダイナミズムとして後編へと見事に牽引する。
ジャ・ジャンクーが変わった。変わりゆく中国社会の歪みというテーマは同じでも、3つの時代を貫く物語は通俗的とも言えるほどで、語り口はエモーショナルだ。西欧化まっしぐらの象徴のように、「Go West」に乗せイケてない若者たちが屈託なく踊る1999年。実業家と結ばれたヒロインが授かる息子のアイデンティティのゆくえが、2014年と2025年の鍵を握る。豊かさに分断された家族の愛。時代とともに変化するスクリーンサイズに目を瞠る。人々の活力が凝縮された濃密なスタンダード画面の過去から、心の喪失を表わす荒漠たる空虚なスコープ画面の未来へ。この孤独な未来観は、我々にとっての現在であり近過去に思えてくる。