略歴: 映画評論家/クリエイティブディレクター●ニッポン放送「八木亜希子LOVE&MELODY」出演●映画.com、シネマトゥデイ、FLIX●「PREMIERE」「STARLOG」等で執筆・執筆、「Dramatic!」編集長、海外TVシリーズ「GALACTICA/ギャラクティカ」DVD企画制作●著書: 「いつかギラギラする日 角川春樹の映画革命」「新潮新書 スター・ウォーズ学」●映像制作: WOWOW「ノンフィクションW 撮影監督ハリー三村のヒロシマ」企画・構成・取材で国際エミー賞(芸術番組部門)、ギャラクシー賞(奨励賞)、民放連最優秀賞(テレビ教養番組部門)受賞
近況: ●「シン・ウルトラマン」劇場パンフ執筆●ほぼ日の學校「ほぼ初めての人のためのウルトラマン学」講師●「るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning」劇場パンフ取材執筆●特別版プログラム「るろうに剣心 X EDITION」取材執筆●「ULTRAMAN ARCHIVES」クリエイティブディレクター●「TSUBURAYA IMAGINATION」編集執筆
人間vs.ロボットではない。科学の可能性をめぐり3つの思惑がぶつかり合う。ロボットには忠誠を求める者、AI搭載自律型ロボットを開発する者、操作可能な巨大ロボを理想とするAI反対論者。そして心さえ持ったロボットの出現をめぐり、欲望が露わになる。これは意識を与えられたことで殺伐とした社会を放浪することになる、何にでも染まりやすい健気なチャッピー君の心の旅。日本人にとって親和性の高いモチーフだ。ジャパン・リスペクトに満ちたデザインと過激なアクションで魅せながら、ニール・ブロムカンプ監督は深遠な物語を掘り下げる。人間的なロボットが社会に投入されることで、人間性とは何かというテーマが立ち上がる。
モラハラなど知ったことかと言わんばかりの鬼教官の罵倒と暴力は、梶原一騎マンガ世代にとって郷愁をそそる。邦題はミスリードするが、“ムチ打ち”を意味する原題を知れば、作品の核心に近づく。スポ根映画でもジャズ映画でもない。教官は言う。「世の中甘くなった。ジャズも死ぬはずだ」。音楽をモチーフに、すっかり失われた「狂気」とめっきり衰えた「身体性」に関する過激な映像詩だ。何かを志し偉大になれなかった者が後進育成に回り、挫折しがちな若者に闘いを仕掛け、苛立ちをぶつける。そこに愛はあるのか。個人的な憤怒のみか。結論を出さず観る者に思考することを投げかける。巻き起こる論争も含め、映画は脳裏で激しく鳴り続ける。
かつてシンデレラとは“玉の輿”の代名詞だった。しかしここでは、じっと耐えながら理想の王子を待ち望む受け身のヒロインではない。しかも王子は「アナ雪」的な“無用の長物”ではなく、血が通っている。そんなふたりが惹かれ合う。近年おとぎ話を捻ってひっくり返してきたディズニープリンセスものにとって、この正攻法はかえって新鮮。格差・抑圧を描き、ファンタジーの意義を今一度問い直す。何も世の中が好転し希望に満ちあふれてきたわけじゃない。ふたたび黄金期を迎えたディズニーが、満を持して本来の「夢と魔法」を提示したのだ。吹替版シンデレラ役に歌唱力抜群の高畑充希を当て、エンドソングを歌わせるローカライズも技ありだ。
ホーキング博士が乗り移ったかのようなエディ・レッドメインの演技は神がかり的だ。形から入って内的苦悩を表現する。時間の真実に挑む若き物理学者に突き付けられた人生の残り時間。病は生をより濃密にするが、純愛に貫かれた難病ものなどではない。身体的不自由を強いられた男と、彼を支える妻の性的衝動の現実が赤裸々だ。天才も、家庭という小宇宙を持続するための方程式を組み立てることには失敗した。撮影も音楽も流れるように美しいが、ふたりを見つめる視点は冷徹だ。いわば、アンチ『ビューティフル・マインド』。存命中の偉人を描いても美談で済まさず、ひるまない。天才にも解明しがたい“性愛のブラックホール”は吸引力抜群だ。
短編小説の映画化は映像作家の実力を証明する最良のチャンスだが、ロバート・A・ハインライン作「輪廻の蛇」から、こんなにも豊かな“人間の宿命”が紡ぎ出されるとは驚きだ。バーテンダーへの自分語りで始まる、ある男の数奇な半生。物語に引きずり込まれると同時に、衣装に腕時計そして小粋な“時間旅行ガジェット”といった美術にも目を凝らしてしまう。これは禁断のタイムパラドックスを垣間見る、異端のタイムトラベル映画だ。おっと、これ以上の予備知識は不要。あとはスクリーンに身を委ね、ストーリーテリングの妙と卓越した映像センスに酔えばいい。メガホンを執ったマイケル&ピーターのスピエリッグ兄弟の今後の動向は要チェック。