略歴: 茨城県出身。スポーツ紙記者を経てフリーの映画ジャーナリストに。全国商工新聞、月刊スカパー!(ぴあ)、時事通信などに執筆中。
近況: 映画祭で国内外を飛び回っているうちに”乗り鉄”であることに気づき、全国商工新聞で「乗りテツおはるの全国漫遊記」を連載。旅ブログ(ちょこっと映画)もぼちぼち書いてます。
日本映画はジャンルが幅広いと、海外の人がよく口にする。それを象徴するのが今村彩子監督の存在だ。本作の登場人物は耳のきこえない今村監督とアスペルガー症候群のまあちゃん。二人の、友人関係がギクシャクした要因を探る展開だ。しかし興味本位で見始めた人の多くが気付くはず。そのいざこざのほとんどが、日常生活で誰もが経験したであろう軋轢であることを。何より今村監督が捕らえたまあちゃんは独特のファッションセンスを持ち実に愛らしく、人種、国籍、障害、はたまた血液型まで何かのカテゴリーに分類して人と接しがな我々に、それがいかに人の本質を見つめることの足かせとなっていることかを教えてくれるのだ。
世界の潮流からすれば、”不甲斐ない夫を支える妻”という夫婦像は前近代的であり、極めて日本的とも言える。だが繰り返される失態と叱責も、ここまで極めれば夫婦漫才のごとく芸の粋。しかも足立監督にとっては初監督作『14の夜』に続いての、実体験に基づく性に振り回される男の物語だ。自身のどうしようもない煩悩をさらけ出して一つの作品として昇華させる、この逞しさと執念はあらゆる制作者の鏡。それが作品の圧倒的なパワーを生み、一周回ってあらゆる人に勇気を与える人間賛歌となっている。そんな足立夫妻の分身とも言える役を嬉々として演じた俳優たちの度量とプロフェッショナルな仕事ぶりに拍手!
”流され侍”=要は主体性のない優柔不断な男。恋愛対象としては最も嫌われるタイプだ。そんな男をスマートな立ち居振る舞いで嫌味なく演じられるのは、誰もが認める端正な容姿を持つ大倉忠義ならでは。その彼に魅了される濡れた瞳を持つ成田凌、夏生役のさとうほなみらドンピシャなキャスティングが光る。それにしても一昔前は、彼氏が同性愛の傾向があると分かったら、女性はショックで身を引くという展開がお約束だったが本作は引かない。これは原作の現代性によるところだが、新たな恋愛劇のカタチと人気俳優の覚悟の濡れ場に、あの『ブエノスアイレス』から23年、ようやく日本映画が世界標準に近づいてきたことを期待させる。
家庭内の性暴力という重いテーマが潜む。裁判の例を見るまでもなく日本では事の重大さが認識されていないようだが海外では重罪であり、映画で描こうものなら嫌悪感を抱く人も多い。恐らく企画した際、海外では売りにくいという声も上がったのではないだろうか。そこにあえて踏み込んでいるだけあり、母親との不和、周囲の不理解など取材に基づいたであろう丹念な脚本が光る。そして被害者の心の叫びを自分の痛みとして体現した芋生悠の存在が物語に躍動と力を与えた。未来ある女優が覚悟と勇気を持って挑んだ役だ。映画という枠を超えこのテーマへの議論が広がり、そして同じような苦しみの中にいる人への理解に繋がる事を願わずにはいられない。
シリア内戦のドキュメンタリーは多数公開され、爆撃の惨状はもちろん、『アレッポ 最後の男たち』のように登場人物たちがその後犠牲になり、重石のように心にずっと引っかかっている作品もある。これ以上の悲劇はあるのか? ”今”を伝えるには視覚に訴えるドキュメンタリーがベストじゃないか? だが、実写でしか伝えられない現実があることを気づかされた。それが性的暴力。連綿と続くも、なかなか表沙汰にならない戦争のもう一つの側面だ。本作でその蛮行は、扉を一枚隔てた空間で起きる。仲間を守るために。被害者の哀しみと怒りに満ちた目は、扉の内側で秘していた仲間たちだけでなく、間違いなく傍観者である我々にも向けられている。