略歴: 茨城県出身。スポーツ紙記者を経てフリーの映画ジャーナリストに。全国商工新聞、月刊スカパー!(ぴあ)、時事通信などに執筆中。
近況: 映画祭で国内外を飛び回っているうちに”乗り鉄”であることに気づき、全国商工新聞で「乗りテツおはるの全国漫遊記」を連載。旅ブログ(ちょこっと映画)もぼちぼち書いてます。
『最強のふたり』は格差や人種を超えた友情が話題となったが、仏の失業保険制度の盲点を突いた切り口に監督たちの才気を感じた。本作も視線がいい。法や制度からはみ出てしまった人たちに光を当て、見て見ぬ振りをしている我々に人としてどう行動すべきかを考えさせる。Docにする選択もあったと思うが自閉症者を起用して劇映画にしたことに前作のヒットに甘んじない姿勢に野心作を感じた。その彼らの試みに反して、安全策をとった副題は頂けないが。タイトルにはJ.Y.パークのいう「一人一人が特別でなかったら生まれてこなかった」の意味もあるだろう。観賞後、そこに込められた監督たちの思いを考えずにはいられない奥深き作品である。
惹句通り、本作は日本の政治の縮図だ。いや、より中央の問題点を色濃く写し出す。権力を笠に増長した保守大国は完全なる男社会で、女性議員の少なさに愕然。そして彼らの顔色を伺い見て見ぬふりどころか、不正に加担していることの自覚すらない人のなんと多いことか。不正が発覚して涙ながらに謝罪する市議たちの姿は滑稽だが、日本の政治が、社会が変わらぬ理由が詰まっているようで、暗澹たる気持ちにさせられる。要因の一つにメディアの問題もありラストで匂わす。ただ自戒を込めてこのタイトルにしたのなら、もっと自分たちにカメラを向けるべきでは? 東海テレビの「さよならテレビ」に匹敵する傑作になったであろうに、残念でならない。
見どころの一つが世界遺産シントラの町だと分かっていても、想像の遥か上をいく映像美に震える。撮影は、ミゲル・ゴメス監督『熱波』、怪作『鳥類学者』を手掛けたポルトガル出身フイ・ポーサス。エリック・ロメール作品を研究したそうだが、夕日、雨、靄といった自然を生かしたシーンと物語の進行がシンクロしていて、計算され尽くした映像に唸るしかない。脚本も素晴らしい。大御所女優フランキーの呼びかけで、なぜ親戚や友人たちがこの地に集まったのか? イザベル・ユペール様でしか許されない粋な大人のセリフの応酬で徐々にその理由が明かされていく。ラストシーンの美しさも相まって、良質な欧州映画を堪能したと満足することウケアイ。
「ロマンス編」でモナコ役の織田梨沙がおきゃんな魅力を発揮したように、今回も関水渚、柴田恭兵らゲストが物語を彩るだけでなく、彼らのキャリアの中でも記憶に残るような存在感を見せている。各キャラクターが立っている脚本をはじめ、ゲストを迎える制作陣のチームワークの成せる技だろう。撮影も、前回は物語の設定もあってはりぼて感があったが、今回は実際のリゾートホテルや豪邸を使用しているとあって説得力が違う。映像の力は侮れない。ただ宣伝でも謳っているように今回は”詐欺じゃない”ってことで、なのにまたこんな大掛かりなことをしちゃってよろしくて?とツッコミたくもなる。だが、こんな時代なのでこれもアリってことで。
SPドラマはスピンオフ感があったが、劇場版は王道の勢力争い。山本舞香に栄信と本物っぽい方々が新たに参戦してアクションも満載なのだが、お馴染みのロケ地に、良い意味で成長のないキャラクターたちが変わらぬ笑いを提供し、大風呂敷を広げていないところが良い。何せどんなに彼らが街中で暴れていようが、これが街の日常であり、”今日俺”の世界。その世界観を構築するために、喧嘩にも素知らぬ顔で通り過ぎる通行人のエキストラにまで目配りが効いている事に感心する。そして改めて実感するのが清野菜名のアクションの素晴らしさ。クライマックスでは野郎どもの中に一人飛び込んで戦うが、俊敏さで群を抜く。世界に飛び出して欲しい逸材。