略歴: 茨城県出身。スポーツ紙記者を経てフリーの映画ジャーナリストに。全国商工新聞、月刊スカパー!(ぴあ)、時事通信などに執筆中。
近況: 映画祭で国内外を飛び回っているうちに”乗り鉄”であることに気づき、全国商工新聞で「乗りテツおはるの全国漫遊記」を連載。旅ブログ(ちょこっと映画)もぼちぼち書いてます。
もはや五輪を復興五輪と名付けていたことすら忘れられがちだが、その大義名分に違和感を抱いた理由が本作でくっきり。避難指示解除された震災6年目の広野町の人々に密着した本作。復興をテーマに舞台制作に挑む高校生たちは復興のイメージが描けず苦悩し、復興の足掛かりへと伝統行事を復活させようとする大人たちは紛糾する。現地で活動を行なっていたという島田監督ならではの被写体との近しい距離が、政府の思惑と現実の解離を赤裸々に映し出す。
制作は、役場からの依頼だという。町の再生に何が重要か。記録映像を通して情報を共有し、後世に伝えようとするこの取り組みそのものに、何よりの光を見るのだ。
原題は道を意味する「The Way」。本作ではサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼者の路を指すと同時に、「道は自分探しの旅」だという。『百万円と苦虫女』の鈴子は「探さなくたって、イヤでもここにいますから」と安易な自分探し旅を否定するが、とはいえ人間は過酷な状況に追い込まれないと心と向き合わないもの。本作では道中死亡した息子の意志と遺灰を抱えて、父親が旅に出る。かと言って分かりやすい感動はない。だが自然に身を投じ旅仲間と交流を重ねるうちに、生き抜くためにつけていた鎧や傲慢さが少しずつ剥ぎ取られ自分の弱さや過ちが見えてくる。これぞ旅の醍醐味。何よりスペインの風景が、旅情に浸らせてくれるのだ。
『スラムドック$ミリオネア』でオスカーを獲得したA.R.ラフマーンの音楽が全編に渡って冴え渡るインドの娯楽映画の王道。現地情報を知らぬ我々は当時、”スーパースター”の表記と坂上二郎似の主演俳優とのギャップに戸惑い、年の差美女との恋愛劇に違和感すら抱いたが、怒涛のアクションとダンスで思考は完全に麻痺し、悪を質していく姿に”遠山の金さん”を見るが如くカッコイイとさえ思わせてしまう。これぞマサラ映画マジック。気づけば166分、表情筋は緩みっぱなし。カースト制度の残るインドで、なぜ本作のような娯楽映画が綿々と受け継がれているのか。その理由が今こそ分かるだろう。
さすが、主演であり製作も兼務しているマーゴット・ロビー。自分の活かし方を知っている。『スキャンダル』の貪欲女子も悪くはなかったが、やはり彼女は、同じく製作も務めた『アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル』しかり、スクリーンで大暴れしている姿が様になる。#MeToo運動の延長線上にある作品として語られる本作。だが、説教臭さを軽減させているのは、女性キャラクターたちの突き抜けた悪童ぶりであり、往年の香港映画を彷彿とさせる小技を効かせた泥臭いアクション。普通の女優なら華麗さを見せたがるところなのに。好き放題やっているようで、相当したたか。製作者としても優秀。
親子関係に悩む男女が建物探訪を通して心を癒していく。同様の体験を現代建築の街・ビルバオで味わったことがある。夕方になるとビルバオ川にかかるズビズリ橋から磯崎ゲートに続く道が、通勤客と観光客と散歩する市民の往来で賑わう。人々の生活を考えた動線の美しさに建築の粋を感じ、無性に涙が溢れてくるのだ。本作でも2人は自然と建物が調和した精神病院に安らぎを感じ、夜の銀行の大きなガラス窓から漏れる灯に人の息遣いを感じて孤独感を埋める。劇中、「建築が人の心を癒すのと言っているのは建築家の幻想」というセリフもあるが、間違いなく本作に登場する建築は観客の心を捉えるだろう。その魅力を引き出した撮影と脚本が素晴らしい。