略歴: 茨城県出身。スポーツ紙記者を経てフリーの映画ジャーナリストに。全国商工新聞、月刊スカパー!(ぴあ)、時事通信などに執筆中。
近況: 映画祭で国内外を飛び回っているうちに”乗り鉄”であることに気づき、全国商工新聞で「乗りテツおはるの全国漫遊記」を連載。旅ブログ(ちょこっと映画)もぼちぼち書いてます。
悔しいかな、HBOドラマ『チェルノブイリ』との格差を感じざるを得ない。その差は何か。原発事故を人類への教訓とすべく当時何が起こったのかを被爆の脅威も隠すことなく事実を検証したドラマに対し、本作は事故の対応に当たったのも一人の人間であるという人間ドラマの方にフォーカス。彼らの決死の行動に敬意はあれど、世界から見たら放射能汚染を拡大させた当事者であり、そもそも全く解決していない問題だ。ここからどう歩むべきか。ラストの一文でまとめて良いのか疑問だ。ただ新型コロナウイルスの対応を巡る政府の動きを見ながら、あの日から何も学んでいないことを思い知る良い機会となったことは間違いない。
齊藤工監督が遂に作品を通して心の奥底にある闇や怒りを創造のエネルギーに変える術を見いだしたようだ。オムニバス形式で2人の気鋭監督を起用したのは、この逸材を埋れさせなるなという日本映画界への提言だろう。そして自身の監督作で、とりわけスポンサーへの配慮で役者が取材にまともに答える事が出来ない窮屈さがある中、表現の自由なんてあったもんじゃないというエンタメ界の現状をアイロニーを込めて表現した。まさに齊藤監督でしか描けない世界。テーマを掘り下げれば『パラサイト』級の、ミニマムな視点から世相を反映する傑作が生まれるのではないかという期待すら抱く。ただ如何せん”撮って出し”の乱雑さが。そこが惜しい。
プロデューサーはベトナムの歴代興行記録を塗り替えた『ハイ・フォン』の女優ゴ・タイン・バン姐さんで、監督・主演も長編映画初というベトナム映画界の新しい波を感じさせてくれる本作。それはベトナム版『さらば、わが愛/覇王別姫』とも称されるボーイ・ミーツ・ボーイというテーマ性だけではない。映像がスタイリッシュで1カット1カットが美しい。そのこだわりに、彼らの今後の活躍を期待させるのだ。監督が米国育ちで写真家の顔を持つなら、カメラマンBob Nguyenも海外で映画教育を受け、本作以降ハリウッドで引っ張りだこの模様。今、日本映画がなかなか国際映画祭に出られないのはなぜか。答えはココにある。
映画監督たるもの新たなジャンルに挑みたいもの。『テラフォーマーズ』も『ラプラスの魔女』も進化には必要な過程だったでしょう。だがやはり三池崇史監督と言えば頭のネジが2、3本ぶっ飛んだ輩が大暴れする裏社会モノであり、常識破りのアクションであり。勝手ながら、これが見たかった!と深い安堵すら覚える。撮影困難といわれる歌舞伎町を、我が物顔で作品の舞台にできるのは三池監督ならではだろう。ただ過去作を知る者にとっては想定内の三池節。唯一、ベッキーは想像を超える怪演で、仲里依紗同様、三池作品で女優が覚醒する瞬間を目撃するに違いない。ちなみに海外版は日本版より8分短い。そっちの方が断然テンポが良い。
ホラー、サスペンス、現代版『楢山節考』と鑑賞者によって幅広い解釈を持たせる本作。中でも人はなぜカルトにハマるのか?という心理的な側面から見ると実に興味深い。人の弱った心に近づき、俗世界から隔離した場所で次々とアメとムチを与えるが如く迫害と共鳴を繰り返して人心掌握していく。美術から衣装まで作り上げた世界観といい非常に緻密な脚本だ。同時に、同様の手段で誘惑するカルト集団は幾多あるわけで、良くも悪くも彼らは創造力溢れたストーリーテラーなのだと思い知る。怖いのは人間の心。そこには過剰な効果音も大胆なカメラワークもいらないのだ。