略歴: 茨城県出身。スポーツ紙記者を経てフリーの映画ジャーナリストに。全国商工新聞、月刊スカパー!(ぴあ)、時事通信などに執筆中。
近況: 映画祭で国内外を飛び回っているうちに”乗り鉄”であることに気づき、全国商工新聞で「乗りテツおはるの全国漫遊記」を連載。旅ブログ(ちょこっと映画)もぼちぼち書いてます。
TVを見ていると日本の牧歌的な風景には『菊次郎の夏』、海外となると本作のテーマ曲と、ほぼ相場が決まっている。それ程までに曲を耳にしただけでイタリアの美しい風景が目の前に広がり、さらに身分違いの二人の友情物語が甦り目頭まで熱くなる。本作を永遠にしたのは間違いなく音楽。そしてマリオを演じたマッシモ・トロイージの存在だ。M・マストロヤンニと共演した名作『BARに灯ともる頃』と真逆ともいえる役柄を演じており、比較して見ると、いかにして彼がナポリ訛りの田舎の青年を細かい芝居で作り上げたかが分かるだろう。ご存知、本作が彼の遺作となった。曲を聞く度に早逝した彼のことも想い、また鼻の奥がツンとなるのだ。
『海角七号 君想う、国境の南』、『セデック・バレ』の魏徳聖監督が製作・脚本を手掛け、三度日本統治時代の史実を基にした大作。各作品とも負の側面だけでなく、そこには確かに人種を超えて育まれた交流もあったことを紡いでいるが、最たるがコレ。甲子園の歴史に刻まれる日本人・漢人・原住民の混成チームで躍進した嘉義農林野球部の奇跡を、1931年の彼らそのままに野球経験者の混成キャストで時間をかけて作り上げた。その負荷は確実に画面に表れており、汗も涙も泥もぐっちゃぐちゃになって試合に挑む野球シーンは、澱んだ心を浄化させてくれること間違いなし。こうして結ばれた絆の一つ一つが今に繋がっているかと思うと一層感慨深い。
国難に直面して露わになるリーダーの本質。この方だったら間違いなく国民の目線に立った政策をとっただろう。「大勢の国民に選ばれたなら、国民と同じ暮らしをすべき」と公用車にも乗らず、職務の合間に農業に勤しんだムヒカ元大統領だ。本作はボスニア紛争に巻き込まれたクストリッツァ監督らしく、ゲリラ活動を行い約12年投獄された経験を持つ元大統領の過去を掘り下げる。その獄中生活を描いた『12年の長い夜』(Netflixで配信中)と合わせて観賞すると、達観した思考に至った経緯がより鮮明に。語録だらけのインタビューを聞きながら、人の痛みを知り、自分の言葉を持っているリーダーは違うと改めて考えさせられるのであった。
溢れる知性と色気で、ハリウッドでも活躍したイルファン・カーン。彼の魅力が存分に生かされたのが本作。インドならではの弁当配達人などご当地色を盛り込みつつ、核となるプラトニックな不倫劇は米国映画『めぐり逢い』や『恋におちて』の影響を多分に感じる洗練さ。とはいえインドで不倫はご法度なワケだが、それを熟年寡の哀愁とダンディズムで観客に共感すら抱かせてしまうのがイルファンなのだ。また、気忙しい大都市で暮らす彼らが抱えている苦悩も、家庭不和に介護問題など私たちと変わりがない。グローバル資本主義で私たちは何を失ってきたのか。ムンバイの片隅で起こる小さなドラマを見ながら、我が身を省みずにはいられないだろう。
CGにリアルさを求める作品が多い中、とことん虚構を追求してロマンと笑いを生み出した喜劇王・周星馳の面目躍如たる笑撃作。この貫かれたバカバカしさを超える作品はなかなか表れず、今見ても新鮮。加えて万人に愛される作品となったのは、香港娯楽映画の衰退が叫ばれていた当時、その伝統を香港映画の代名詞とも言える少林寺での復活を試みた周星馳の香港愛と、落ちこぼれにスポットをあてて、彼らにありのままで生きることを説いた深い人間愛があるから。思えばクセ強めのバラエティーに富むキャラクターで、ダイバーシティを教えてくれたのも香港映画だった。いつの時代も娯楽映画は庶民の味方。心が弱っている時の何よりの特効薬である。