略歴: アクションとスリラーが大好物のフリーライター。『DVD&ブルーレイでーた』『SCREEN』『Audition』『SPA!』等の雑誌や、ネット媒体、劇場パンフレット等でお仕事中。
近況: 『ワイルド・スピード/ファイヤーブースト』『探偵マーロウ』『ドラキュラ/デメテル号最期の航海』他の劇場パンフレットに寄稿。「シネマスクエア」誌にて、正門良規さんに映画とその音楽について話を聞く連載を開始。
トランプ政権2期目の始まりに合わせてタイムリーに日本公開される本作。新大統領の若き日、すなわち壮絶な“修行時代”を描いている点で、じつに興味深い。
若きトランプが弟子なら、彼に帝王学を仕込む非情な弁護士は師匠。道徳なんてどうでもいい。情は無用。大切なのは、つねに勝つこと。それを実践したあげく、師をも容赦なく打ちのめすほどの怪物となる、主人公の変ぼうに圧倒される。
MCUのバッキーと同一人物とは思えないほどの、S・スタンによるトランプへのなりきり具合もおみごと。つくりは軽やかだが、こういう生き方がスタンダードになったら世も末か……と思わせる、ある意味ホラーでもある。
大泉洋に時代劇のヒーローが務まるのだろうか?……という不安もあっさり吹き飛ぶ快作。
室町時代の反乱という題材的な点でも時代劇としてはレアだが、いつの時代にも不条理な権力に対する民衆の怒りは沸騰するもの。その中心に大泉洋を置いたことで、反逆がヒロイックではなく大衆的、つまり我々大衆の物語として映るのがいい。
“目”のクローズアップや音楽にセルジオ・レオーネ風マカロニウエスタンのテイストを匂わせつつ、娯楽に徹する潔さにも好感。長尾謙杜のアクション演技にも目を見張った。エキサイティングな逸品。
絶対的なスター俳優が現われなくなって久しいが、そういう意味では軽い懐かしさを覚えるスター映画。もちろん、よい意味で、だ。
C・ディアスの10年ぶりの復活というめでたい話題に加え、彼女と3度共演しているJ・フォックスとのかけあいも楽しい。彼らのアクション演技にも目を見張るばかりか、ファミリームービーとしての魅力をも備え、安心して楽しめる。
このようなザッツ・ハリウッド的な王道のアクションエンタテイメントが配信公開というのは寂しい気もするが、コロナ禍や俳優スト後の激変期には、こんな作品が出てくるのも仕方なし。フォーマットはむどうあれ、多くの観客の目に届くことを願う。
1974年の『エマニエル夫人』はファッションポルノの先駆けとして有名。50年後の今、そのままリメイクされても……という不安もあったが、そこは『あのこと』のA・ディワン監督、有閑マダムではなく、今を生きる女性の物語を原作小説に則って構築する。
企業社会を生きるキャリアウーマンを主人公に据え、仕事と性欲という二本の柱の間を行き来させる。女性の社会的なポジションを見据えつつ、ヒロインの心情を揺さぶるのが物語の面白さ。
官能の点もファッションにとどまらず、生々しくリアルに責めてくる。主演のN・エルランは『燃える女の肖像』以上の大熱演。オリジナル以上にドラマチックなポルノグラフィーだ。
主人公のはつらつとした独白に導かれる冒頭こそ韓国製ラブコメのように軽妙だが、彼が女性の死体を見つけたことで物語は急展開。シリアスなミステリーへと観る者を導く。
真相を追ううちに罠にはまっていく主人公の苦境はもちろんスリリング。背景にあるSNSの闇も興味深く、その底無し感に戦慄を覚えざるをえない。
これがデビュー作となる監督のキム・セフィは30代。インターネットが当たり前のようにある時代のリアルを冷徹に検証しながら、ミステリーを緻密に組み立てた。中盤でナレーションのヌシが変わる構造や、役者たちの熱演にも目を見張るものがある。