略歴: アクションとスリラーが大好物のフリーライター。『DVD&ブルーレイでーた』『SCREEN』『Audition』『SPA!』等の雑誌や、ネット媒体、劇場パンフレット等でお仕事中。
近況: 『ワイルド・スピード/ファイヤーブースト』『探偵マーロウ』『ドラキュラ/デメテル号最期の航海』他の劇場パンフレットに寄稿。「シネマスクエア」誌にて、正門良規さんに映画とその音楽について話を聞く連載を開始。
前作のようなエスターのホームインベージョンをなぞるだけかも……という不安は、中盤で吹っ飛ぶ。詳しくは見て欲しいが、このヒネリはナイス。
すでに観客はこの娘が危険であることを知っているので、殺りく描写は序盤から遠慮なし。ここで彼女の手ごわさをしっかり描いていることが、“ヒネリ”後のドラマにも効いてくる。 “フリーク(=バケモノ)”と呼ばれざるをえないエスターの不幸を伝える意味でも、上手い。
インターポールのヒット曲“Evil”が、なぜその場面に!?……と思ったが、見終わって納得。前作以外の前情報を、極力シャットアウトして見てみて欲しい。
舞台劇の映画化ということもあり、一週間の物語はすべて屋内、主に居間で展開される。そこに磁場を築いているのが、言うまでもなく体重270キロ強の主人公。
死期の近い主人公は不仲の娘との関係をやり直したいと願うが、娘はとにかく逆らい続ける。磁場への強烈な抵抗。それがドラマとして成立する面白さに唸らされた。
磁場を築くだけでなく、それを揺さぶられる主人公にふんしたフレイザーは、アカデミー賞も納得の演技をみせる。主人公の不器用なドラマに妙を見いだしたアロノフスキーの硬派演出も、もっと評価されてよいのでは?
あれ、こんなにあっけない話だったっけ!?……と第一印象で思ったのは、黒澤版が強くこびりついていたせいか。英国映画らしい削ぎ落しの美学は、極端に寡黙な主人公像からも見て取れる。
感情をほとんど表に出さず、静かに“生きる”英国紳士らしさ。日本版のようなエモさはないが、黒澤が描きたかったことを西洋風に咀嚼して簡素化した旨味がイイ。言葉に頼らない好演を見せたビル・ナイは、言うまでもなく素晴らしい。
黒澤の『生きる』こそマスターピースと信じる年配の方には無理に勧めないが、同作を未見の方にはぜひふれて欲しい。前にのめる生き方、すなわち情熱の美が、そこにはあるのだから。
よくもまあ、ニコラス・ケイジを口説き落としたもんだ……という第一印象。きちんと敬意を持って、彼を笑いの素材にしている点がイイ。
ニコケイの出演作へのオマージュをまぶしつつ、架空のニコケイを主人公にした物語はアクションとギャグに彩られ、目の離せない展開に。大人になり切れない大人という設定が共感を引きつけるうえで生きた。
当初の脚本で主人公はダメ親父キャラだったが、当人からの要望を受け、子どもへの深い愛情をうまく表現できない父親に変えたとゴーミカン監督は語る。そんな彼の最愛のニコケイ映画は『赤ちゃん泥棒』とのこと。信用できるじゃないか!
ナレーションはない。ファンならば時系列を追っていることはわかるが、それが何年の映像かと特定をしない。あるのはボウイの肉声と彼が遺したビジュアルのみ。
時間に関する概念や、愛、社会に関する貴重な発言と名曲、そして彼のビジュアリストとしてのセンスが一体に。それは彼の頭の中を覗くような体験だ。
“単にバイオグラフィをたどる映画はドキュメンタリーではない。ただのインフォマーシャルだ”とB・モーゲン監督は切り捨てるが、観れば納得。“ムーンエイジ”は人類の初月面着陸やアーサー・C・クラークが活躍した時代にも符合する。ボウイが愛した『2001年宇宙の旅』にふれる気持ちで体感して欲しい。