略歴: アクションとスリラーが大好物のフリーライター。『DVD&ブルーレイでーた』『SCREEN』『Audition』『SPA!』等の雑誌や、ネット媒体、劇場パンフレット等でお仕事中。
近況: 『ワイルド・スピード/ファイヤーブースト』『探偵マーロウ』『ドラキュラ/デメテル号最期の航海』他の劇場パンフレットに寄稿。「シネマスクエア」誌にて、正門良規さんに映画とその音楽について話を聞く連載を開始。
マルチバース設定がここまで一般化したのはMCUのお陰なのかどうかはともかく、この“ねじれ母子”の設定は面白い。
突拍子のない物語ではあるが、ベースとなっているのは親離れ・子離れという社会的な思考で、それは共感を引きやすいだけでなく人間味も宿る。SF展開で、ここまで描けたことに脱帽。キー・ホイ・クァンふんするダメ親父の活躍ぶりが、また刺さる!?
カンフーアクションも全開で、ヨー姐さんの熱演には絵的な迫力も加わって拍手喝采。A24の製作作品らしく米賞レースを席巻中だが、まずはそんな堅苦しい色眼鏡を外して、ブッ飛んだ世界を楽しんで欲しい
ヒロインと魔人、ほぼふたりの会話劇。舞台は屋内。設定こそミニマムだが、彼らが“物語る”ストーリーはイマジネーションを広く、大きく刺激する。
魔人が語る古代や中世ペルシャのビジュアルは絵本のようなカラフルさで、室内の閉鎖的な空気を突き抜け、ヒロインの愛の渇望は情熱をほとばしらせる。
台詞がしばし観念的になるのは仕方ないが、人はなぜ物語るのか?を考えさせるという点で興味深い。言葉ではなく肉体で描いた『マッドマックス 怒りのデス・ロード』とは対極にある、G・ミラー監督のまた別の到達点。演技派ふたりのかけあいも味。
人の命に値段をつけることは不可能だが、保険や補償の制度はそれをある意味、可能にしている。本作を見て考えさせられるのは、その間にある“何か”だ。
9.11はリッチなビジネスマンから警官、肉体労働者まで、さまざまな命を奪った。貧しい移民の遺族が補償に感謝する一方で、裕福な遺族は“もっとよこせ”と迫る。この現実だけでも主人公の立場に胃が痛む思いだ。
すべての犠牲者に数字では表わせない“ストーリー”がある。最初は政府側の人間だった主人公が、それを理解していくことこそ本作のストーリーの味。日本で同じ悲劇が起きたら、同じように理解されるだろうか? そんなことを含めて考えさせられる力作。
主従逆転のドラマを描くなら、うってつけの舞台は無人島。その逆転の過程を、イヤらしいまでの人間のマウンティング欲とともに描き切るオストルンド監督の手腕に唸る。
モデルカップルの口論を見据えた第一章からして不穏な雰囲気。第二章では豪華クルーズ船内で大富豪やセレブらとクルーの対比を冷徹に見据え、3幕目では逆転劇へ。痛烈なブラックユーモアと風刺が最後までついてまわる。
それにしても、この映画には“やさしさ”を持ち合わせた人が出てこない。人間には対等な関係などありえないと言われれば、それも社会の現実なのだろうと納得。ロバート・アルトマンが描くクルエル・ワールドの戯画にも似た味わい。毒気キツめ。
映画館を舞台にした点で、まず『ニュー・シネマ・パラダイス』風の映画愛の物語がある。一方には、1980年代初頭に英国で吹き荒れた人種差別に抵抗する者のドラマ。
映画館でテキパキ働くヒロインは中年の白人女性で、最初は頼もしく映るが、やがて意外な秘密が明かに。同僚となり、彼女と恋に落ちる黒人青年の好奇心旺盛さは社会の現実に砕かれる。それぞれにハンデを負う者たちの運命は悲劇的だ。
それでも映画館は彼らを受け入れる。職場の仲間たちの結束の固さに見える“寛容”。不寛容な現代に、この映画が作られた意味は大きい。冷静さと熱さをバランスよく取り入れてヒューマニズムを問うてきたメンデスの職人芸。巧い!