略歴: アクションとスリラーが大好物のフリーライター。『DVD&ブルーレイでーた』『SCREEN』『Audition』『SPA!』等の雑誌や、ネット媒体、劇場パンフレット等でお仕事中。
近況: 『ワイルド・スピード/ファイヤーブースト』『探偵マーロウ』『ドラキュラ/デメテル号最期の航海』他の劇場パンフレットに寄稿。「シネマスクエア」誌にて、正門良規さんに映画とその音楽について話を聞く連載を開始。
老いにより自分らしく生きられなくなったときのひとつの決断、いわゆる尊厳死に切り込むも、社会派映画のような重さはない。ここで描かれるのは、逝きたい者とその家族の葛藤。
S・マルソーふんするヒロインのとまどいに、主にスポットが当てられており、ドラマの軸は彼女の心の変化。いらだちや怒り、悲しみの一方で、気の重い時間の中にも宿る瞬間的な喜びなどが細やかに観察される。オゾン作品らしいクローズアップ映像の妙。
もちろん役者にも表情の繊細な演技が求められるがソフィはもちろん、自由の効かない父を演じるA・デュソリエも、無言で多くを語る母役のC・ランプリングもさすが。ある意味、“顔”の映画だ。
主人公バードリックの視点で見れば受難のストーリーであり、ちょっと引いて見れば不条理劇。さらに俯瞰してみれば、ユーモラスで残酷な寓話が見えてくる。
話自体はふたりの男のいがみ合いのてん末を描いたもので、そこに他者の反応から霊的な預言まで、多種のドラマが絡む。監督によれば、この争いは島の向こうで起こっているアイルランド紛争と背中合わせとのことだが、今世界で起きていることと照らし合わせることも可能。指や動物の意味など想像力を刺激する、そんな寓意こそが本作の最大の味と言えるだろう。
朴訥さを漂わせる役者陣の好演も含め、深みのある秀作。全米の賞レースを賑わせているのも納得。
ヤクザの世界でスジを通して生きてきた男が、抗争のなかでスジを否応なしに曲げられる。『仁義なき戦い』にも通じる、その果ての凄惨を活写。
信用できるのは親分か、兄貴分か、親友か?謀略が渦巻く世界では正しい道筋が見えるはずもなく、そこにスリルが生じ、悲痛さをまとっていく。“かっこいいヤツよりもクズの方が生き残る”というセリフが重い。
スローモーションの映像や音楽に頼っていた前半のエモさは、後半に向かうほどリアルかつソリッドに研ぎ澄まされていく。この見せ方は巧い。日本ではなかなか見られなくなった硬派な極道ドラマが韓国から飛び出した。
『トランスポーター』の女性版と思いきや、大人と子どもの逃避行、悪徳刑事の衣装や芝居がかった振る舞いなどの『レオン』の色も混じる。そんなベッソン作品的なロマンとスリルが妙味。
しかし、なんといっても本作の見せ場はカーアクション。韓国の庶民的な街並みを猛スピードで駆け抜け、大通りから路地まで遠慮なく突き進む豪快さはむしろ“ワイスピ”風。P・ソダムの凛としたキャラも生き、ドライビングテクにも説得力を与える。
設定的にはツッコミどころがあるものの、スピード感とエモーションで押し切る潔さは買い。ヒロインの上司や国家情報院の女性エージェントなど、脇キャラの濃さも魅力。
銃殺は手間だからガス室を……というナチスのユダヤ人政策を決定した悪名高きヴァンゼー会議を、議事録に基づいて再現。それだけでも本作が作られたことは意義深い。
官僚や軍人らがそれぞれの立場で論じるのは、よくある会議の風景。しかし、“ユダヤ人は死んで当然”という共通認識のうえで成り立っているのが恐ろしい。そんな彼らも、おたがいの家族の話をフツーにしたりするのだ。
ユダヤ人と異人種のハーフやクォーターの扱いや、それによる庶民感情も討論の的になるなど、当時のドイツの情勢が生々しく見て取れる。第一次大戦を知る者と、知らない若き強硬派との世代間ギャップも興味深い。