略歴: アクションとスリラーが大好物のフリーライター。『DVD&ブルーレイでーた』『SCREEN』『Audition』『SPA!』等の雑誌や、ネット媒体、劇場パンフレット等でお仕事中。
近況: 『ワイルド・スピード/ファイヤーブースト』『探偵マーロウ』『ドラキュラ/デメテル号最期の航海』他の劇場パンフレットに寄稿。「シネマスクエア」誌にて、正門良規さんに映画とその音楽について話を聞く連載を開始。
実話を基にして告発を描く社会派ドラマの多くは、法廷での勝利がクライマックスとなる。そこに着地しないのが本作のユニークな点だ。
アメリカの“ミナマタ”というべき大企業を相手取った公害裁判。和解を経ても訴えた側の戦いは続く。大企業はつねに権力を味方に付け、庶民を苦しめる。そこに社会のいびつな構造が浮かび上がる。
アート指向の強いT・ヘインズが社会派劇を撮ったのは意外だったが、化学物質がもたらす人体の異変を『SAFE』で描いていたことを思えば腑に落ちる。自分の身は自分で守るしかない。そのためには無知ではいられないし、戦い続けなければならない――そんなテーマを含めてズシっと来る力作。
インタビューで多くの人が口にする“エネルギーの放出量がすごい”。それがベルーシのパフォーマンスの魅力を何より物語っている。
伝記本のために撮られたインタビュー音声を生かし、写真やフッテージ、アニメでベルーシの生涯をたどる構成。お笑いや音楽、演技の才能はもちろん、活動的でリーダーシップもあり、運動神経は抜群。受け手の期待に応えるために力を出し惜しまず、そのストレスから薬物に走る、そんな人間像が見えてくる。
要所に妻への手紙が差し込まれるが、そこで吐露される葛藤や弱音はベルーシの内面の表われ。彼はブルース・ブラザースとして歌った。しかし真のブルースは、最愛の者にのみ歌われていたのだろう。
E・ライトがホラーを撮ったら、こうなった。恐怖の焦点がミステリーとサイコに絞られているのが妙味。
ヒロインが狂気にはまり込む過程はポランスキーの『反撥』を彷彿させ、青春映画の甘酸っぱさを漂わせつつ、英国ホラーの伝統を受け継ぐ。ナイフに写る顔や鮮血の描写にはジャーロ映画へのオマージュも。いずれにしても、監督のオタクっぷりを再確認できる。
起用楽曲を1960年代、スウィンギン・ロンドンを象徴するナンバーで固めるこだわりも、さすがオタク監督。そんな中で一曲だけ、70年代のゴス曲が流れるのだが、それが恐怖を引き立てている妙。ライトのセンスの良さを再確認できる点でもファンは必見。
私事で恐縮だが、学生だった頃、デビュー時からザ・スミスを追いかけ、解散時にショックを受けた身には、他人事と思えない。
スミスは鋭い内省によって、ロックの可能性を開いた革新的なバンドだった。世の中にうまくコミットできない若者の気持ちをすくい上げるバンド。そのファンは、こんな人たちでした……というカタログ的視点はドキュメンタリー監督キジャックらしさだ。
記録映像でスミスの紹介を交え、そのフラットな目線のままでフィクションを紡ぐ。誰もが思春期の地獄を生き延びなきゃならない。一部の人間にとってスミスとは、そのためのサウンドトラックであったのだ。
最近のマーベル作品はディテールに凝るあまり、150分前後の大作になるケースが多く、それはそれで面白いのだが、そんな中で本作の尺は100分弱。潔い。そして、オモシロい。
主人公エディとヴェノムの二重自覚的な葛藤はユーモラスで、悪役カーネイジの覚醒はスリルを高める。一方ではエディと彼の元恋人とのドラマが。それらが絡まり合い、物語はアップテンポで突き進む。
モーキャプの名優A・サーキスにとって、これは監督第3作目となるが、情感に溺れず速いリズムを突き詰めた視点が光る。マーベル作品はいろいろだが、このようなスピード重視の作品はあっていいと思う。