略歴: 東京の出版社にて、月刊女性誌の映画担当編集者を務めた後、渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスターのインタビュー、撮影現場レポート、ハリウッド業界コラムなどを、日本の雑誌、新聞、ウェブサイトに寄稿する映画ジャーナリスト。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。
アルモドバル初の英語での長編映画ながら、とてもパーソナル。彼がずっと執着してきた「死」というテーマを、ふたりの女性の対照的な視点から見つめる。彼の母国スペインでは尊厳死が認められているので、この話は成り立たず、ニューヨークを舞台にした英語の映画で語る理由、必然性があったのだ。
ムーア演じるイングリッドはアルモドバル自身を、一方、スウィントンのマーサは、死ぬ権利を信じる彼の思いを反映。映画が進んでいくうちに、そのふたつは自然にひとつに重なっていく。全体の色やデザイン、それにアートや本をあちこちに織り込むのも、いかにも彼らしい。ふたりのオスカー女優の初共演は断然見どころだ。
静かで、物悲しくて、奥深い。“実在のミュージシャンについての映画“という言葉から想像するのとはまるで違う、選ばれた人ではなく、ごく普通の、この世の中にたくさんいる人たちの物語。才能を褒められ、家族にも応援され、夢と希望にあふれていた若い頃。もう忘れていたその頃が、突然目の前に現れたら。周囲は素直に喜んでくれても、その頃の歌を歌っていた自分と今の自分は違う。
表向きにはあまり大きなことが起きないストーリーを引っ張るのは、ケイシー・アフレック演じる主人公の内面の葛藤。せりふで説明しすぎることなく、正直かつ繊細に描かれる家族の関係もリアルで共感できる。小さいけれども、胸を打つパワフルな作品。
決してトランプを悪者扱いする映画ではなく、視点はとてもフェア。かと言って遠慮もしない大胆な映画だ。父に認められたいと願う若者が、くせ者弁護士コーンの影響で変化していく。“資質”はあったとはいえ、もしコーンに出会うことがなかったら、我々の知るトランプは存在したのか。ほかにどんな要素が貢献したのか。トランプが大嫌いでも、現実としてまた大統領になってしまった今、理解するために見ておくべき。脚本を書いたのはトランプに取材したこともある元政治記者。最初の妻イヴァナや実兄に対するショッキングな行動も含め、ここで描かれることは事実に根付いている。主演のスタンもだが、コーン役のストロングもすばらしい。
ジャンル的にはホラー、ゾンビものに入るが、怖さが売りではない。大切な人が亡くなったことをどう受け止めるのか。そしてもし、その人が生き返ってきたとしたら。そんなリアルな人間の心を探索するこの映画は、とても地に足がついていて、共感できる。今作で監督デビューを果たすテア・ヴィステンダールは、沈黙や「間」を取ることを恐れず、ゆっくりとしたペースで物語を展開。派手なことをやらずして、不穏、不安、緊張をしっかり高めていくのもうまい。今後が楽しみな女流監督。せりふの少ない中、今やハリウッドでも大注目のレナーテ・レインスヴェをはじめとするアンサンブルキャストは、リアルな演技を見せる。
限られた空間でふたりの人物がひたすら話すという設定で、元々舞台劇として書かれたというのは納得。トム・ハーディのひとり芝居でやはり車中が舞台の「オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分」のようなサスペンスでもなく、運転手と客のおしゃべりを通じてそれぞれの人生が少しずつ見えていくというゆったりした展開。話題は非常にプライベートな事柄にも及ぶが、2度と会うことがない相手だし、そこは無理なく受け入れられる。もう少し何か欲しかった気もしなくはないものの、この魅力的な俳優ふたりと一緒にしばしドライブを楽しめるのは素敵。最近プロデュースに乗り出したジョンソンが新たな才能の手助けをし続けていることにも拍手。