略歴: 東京の出版社にて、月刊女性誌の映画担当編集者を務めた後、渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスターのインタビュー、撮影現場レポート、ハリウッド業界コラムなどを、日本の雑誌、新聞、ウェブサイトに寄稿する映画ジャーナリスト。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。
渋滞で車が前に進まず、イライラしている時に起きた、ひとつの出来事。冒頭に出てくるそのシーンで、観客をいきなり物語に放り込んでいくのは効果的。自分たちと違うものを排除するのか、受け入れて共存するのかというタイムリーかつ普遍的なテーマを(『X-MEN』にも通じる)、人間が動物に変異するというメタファーを使い、寓話のような形で語っていく。そんな中、最も感情を揺さぶるのは父親と息子の関係なのだが、思春期の年齢である息子のアイデンティティ探しの話も入ってくるため、途中、父親がしばらく出てこなくなるのが残念。そこが違っていれば、ラストの感動はもっと強まったかも。このふたりの役者はどちらも優秀。
甘く、切なく、ほろ苦く、楽しく、悲しく、優しい。孤独、人とのつながり、人生は予期できないということについて考えさせる。せりふがひとつもないにもかかわらず、感情のローラーコースター。ラストはいつまでも心に残る。「パスト・ライヴス/再会」に重なるものがあるという感想を聞いたが、たしかに言えているかも。ビジュアルはシンプルなスタイルながら、地下鉄の駅やチャイナタウンの店、アパートの中などディテールがしっかり描かれており、その世界にすっかり入り込んでしまう。大人な話をあえて動物のキャラクターで語るのは、アニメーションだからこそできること。この芸術の奥の深さと可能性の大きさをあらためて実感した。
アダム・マッケイはディック・チェイニー元副大統領についての「バイス」を本人の許可なく作ったが、最大限事実にもとづくようにした。レア・ドムナック監督はシラクの家族と話さなかっただけでなく、フィクションを織り交ぜるというリスキーなアプローチを取っている。その結果出来上がったのは、どこまでが真実かはわからないものの、ユーモアがあり、女性のエンパワメントを感じさせる映画。夫からも世間からもリスペクトをもらえない(人前で話していると夫から『黙れ』というメモを渡される)ファーストレディ、ベルナデットが賢くイメージチェンジをし、次第にパワーを持っていくのだ。ラストシーンはとりわけ痛快。
設定は面白いものの、ストーリー展開があまりに都合良すぎて、信憑性に欠ける。コンサート中で大忙しの従業員が、今会ったばかりの客と無駄なおしゃべりをして秘密まで漏らす?あれだけ大勢のファンがいる会場でうまいことスターの叔父を発見し、簡単に嘘で丸め込むことができる?テイラー・スウィフト並みのスターは、ボディガードをつけていない?そもそも近年、チケットはオンラインで買うものでは?そういうことはほかにも多数。せりふにも現実味がない(あの状況でパイを食べましょうなんて言うか?)。まあシャマランとしては、娘サレカに見せ場をしっかり与えてあげられただけでもメリットがあったのかも。
プロデューサーは、スピルバーグ、キャスリーン・ケネディ、フランク・マーシャル、ロン・ハワードなど長年の親友(マーシャルとは父同士が軍隊仲間)。ゆえにひたすら礼賛の映画になってはいるが、彼らの話は実に面白い。サメをあまり出せなかった「ジョーズ」では音楽がその存在を観客に意識させ続けたのだとの言葉にも、映画における音楽の重要さを再確認。スピルバーグ、ルーカスの映画以外にも、クリス・コロンバス、オリバー・ストーンら多くの監督の作品や、オリンピックのテーマ曲も手がけていたことを思い出させられ、あらためて感心。名場面を見ながら意外な裏話を聞ける、映画ファンは見て損しないドキュメンタリー。