略歴: 東京の出版社にて、月刊女性誌の映画担当編集者を務めた後、渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスターのインタビュー、撮影現場レポート、ハリウッド業界コラムなどを、日本の雑誌、新聞、ウェブサイトに寄稿する映画ジャーナリスト。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。
誰も乗っていない難破船が到着するところから映画が始まるので、みんな死ぬのだなということは、最初からわかっている。だから、どう死ぬのかがポイントなのだが、残念にもあまり怖くないのだ(しかも、R指定にすることをスタジオから許可されたのに)。CGも使ったそれらのシーンは、そこそこ驚かせはするものの、新鮮さも、精神的に迫り来るものもない。正直、「あと何人残っているんだっけ」と数えてしまいそうになった。もともとはギレルモ・デル・トロが興味を持っていたのだが、スケジュールの都合で彼が才能を認めるアンドレ・ウーヴレダルを推薦したとのこと。デル・トロだったら違う映画になっていたのだろうか。
いかにもフィル・ロードとクリストファー・ミラーの製作らしい作品。実話にインスピレーションを受けているとはいえ、“コカイン”と“熊”の組み合わせの妙から広がっていったのであろうことは明白。設定の面白さが売りなので話は薄いものの、90分間にショック、笑い、残酷さが散りばめられている。自分たちが何をやっているかきっちりわかっているB級映画。ロードとミラーが監督をクビにされた「ハン・ソロ」つながりのオールデン・エアエンライク、「フロリダ・プロジェクト」の頃から成長したブルックリン・プリンス、残念にも昨年お亡くなりになったレイ・リオッタなど、ユニークで幅広い顔ぶれのキャストも楽しい。
ウェス・アンダーソンの映画はいつもそうであるように、ビジュアルは最高に美しく、どのシーンも一旦停止して眺めたくなるほど。セットや衣装のデザイン、画面の構図、カメラの動き方、すべてにこだわりがある。キャストもこれまで以上に豪華だが、ストーリーも奥深い。劇中劇という設定はギミックではなく、役を演じる俳優が芝居とキャラクターを理解しようとする中で、自分自身でも答を探す様子を描くもの。多くのことが語られるが、一番大きいのは、悲しみにどう向きあうのかということだろう。エイリアンの存在、ラストにキャストみんなが一緒に叫ぶ言葉など、いろいろ解釈の余地があり、見終わってからも頭を離れない。
ダリの新しい助手となる若者は、架空の人物。彼の視点で、観客は晩年のダリの世界に入っていくことができる。ここで描かれるのは純粋なアーティストとしてのダリではなく、ブランドとなり、ニューヨーク社交界の一部となったダリ(映画には出てこないが、彼は当時ハリウッドで大ブレイクしたミア・ファローとも非常に親しかった)。ブランドを維持するためには制作しなければいけない。金への執着が導く暗い部分も、この映画は見せていく。最も興味深いのは、ダリと妻ガラの関係。ダリの古い友人ルイス・ブリュネルはガラを毛嫌いし、そのせいで友情にヒビができたという。キングスレーとスコヴァが、その奇妙なエネルギーを見事に表現。
ひと夏の出来事、淡い初恋を描く、繊細でメランコリックな作品。性に興味を持ち始めるけれど、まだそこに行くのは怖い、微妙な年頃。14歳の少年から見たら大人に見える年上の少女も、幽霊ごっこをして遊ぶ子供っぽさを残している。ふたりの会話も、ふたりの距離が近づいていく過程も、ふたりを演じる若い俳優たちもナチュラル。ただ、エンディングはこれがベストなのかわからない。大自然はこの映画の重要なキャラクターで、ビジュアル、音響は効果的。16mmのフィルムでとらえた映像はノスタルジックで、美しい思い出の1ページを見ているような気にさせる。ストックホルム出身のシダ・シャハビによる音楽もぴったり。