略歴: 東京の出版社にて、月刊女性誌の映画担当編集者を務めた後、渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスターのインタビュー、撮影現場レポート、ハリウッド業界コラムなどを、日本の雑誌、新聞、ウェブサイトに寄稿する映画ジャーナリスト。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。
動物好きとしては、見ていてずっとはらはらし、しばしば手を握りしめてしまった。EOが出会う人間たちのすべてが悪者なわけではないのだが、人間が仕切る世の中がいかに動物に対して厳しいのかを思い出させるからだ。だが、スコリモフスキは決して観客(つまり人間)を批判したり、説教したりはしない。冷静な視点から淡々と語る(犬や猫のような人に近い動物でなくロバであるのもその意味で効果的)ことで、じわじわと、しかしよりパワフルに、観客に感じさせるのである。撮影監督ディメクのカメラワークは近年の作品で最も美しいもののひとつ。この世界はすべての面においてこれほど美しいところになりえるのか。
とくに大きなことが起きるわけではなくひとりの女性の日常を静かに追っていくだけなのだが、感情、会話、ディテール、すべてがリアルで引き込まれ続ける。ミア・ハンセン=ラヴ監督は神経変性の病を患った父のケアをした経験があり、それがこの物語のインスピレーションになったとか。父の世話、子育て、家族とのやりとりで身をすり減らし、自分は二の次の人生を送る彼女の前に突然現れたロマンス。それは喜びと刺激を与えてくれるが、そこから生まれる悲しみ、混乱もある。どうするべきなのかわからない、正しくないこともしてしまう。そんなとっちらかった状況、心理はいかにも人間らしい。揺れ動く心を繊細に表現するセドゥに大拍手。
タイムループものは、最近でも「ハッピー・デス・デイ」(個人的お気に入り)や「パーム・スプリングス」など、良いものがある。でも、もちろん元祖は「恋はデジャ・ブ」。この映画はそこを正直に認め、「恋はデジャ・ブ」に十分な敬意を払う。起きたらまた同じ日だった、という主人公のフラストレーションの描写はそれこそ“デジャ・ブ”ながら、18歳に戻るこの映画は、かつては仲良しだったのに連絡が途絶えてしまった友達のこと、自分はどうするべきだったのか、ということなどを考えさせる。舞台はスウェーデンでも、2002年のポップカルチャーは世界共通で、ノスタルジアもたっぷり。あれはもうそんな昔のことなのかと、やや汗。
子供の頃からマリオのゲームの大ファンだというフィルムメーカーらは、ゲームをした時と同じ気持ちになれる映画を作りたかったと語っている。その結果出来たのは、カラフルで、わくわくさせて、スピード感がある映画。マリオらが住む世界はチャーミングだし、結末も、予想がつくとは言え感動させる。キャラクターも魅力的。救われるのを待っているのではなく、リーダーとして勇敢な行動に出るプリンセスはモダン。クッパもまた意外な側面を見せてくれる。アメリカの批評家の一部からは「話が薄い」と批判されたが、これにもっと複雑なものが必要?ゲームのファンでなくても素直に「楽しかった」と思えるかわいい娯楽作。
超常現象を調査する主人公という設定や、その人たちが遭遇する恐ろしい状況は、かなり見覚えがあるもの。この映画が違っているのは、主人公3人が中年女性で、彼女らの間に、いかにも長い間一緒に仕事してきた人たちだと感じさせる関係があること。そのやりとりが、見ていて楽しい。映画の前半はユーモアがあるが「ゴーストバスターズ」のような本格コメディにはならず、後半はしっかりホラーのモードになっていく。とは言っても、本気で怖いと感じるシーンはない。ストーリーは予測しない方向に進み、最後にはちゃんとオチもある。しかし、最もおもしろいのは、この女性たちが実在するということかも。