略歴: 東京の出版社にて、月刊女性誌の映画担当編集者を務めた後、渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスターのインタビュー、撮影現場レポート、ハリウッド業界コラムなどを、日本の雑誌、新聞、ウェブサイトに寄稿する映画ジャーナリスト。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。
「女王陛下のお気に入り」「哀れなるものたち」は別の人が書いたが、今作はランティモスとエフティミス・フィリッポウの初期コンビで、彼ならではの世界が炸裂。3つの話はどれも非常に奇妙でダーク。キャラクターの背景やモチベーションなどをあえて明確にせず、観客の好奇心をそそり、想像の余地を与える。理屈に合わないことも起こり、なんだかよくわからないのだが、引き込まれ、見終わった後、不思議な余韻に浸ってしまう。グロテスクさ、セックスもあるが、ユーモアもあり。そもそも「Kinds of Kindness」という一見そぐわないタイトルをつけたのも面白い。やはりランティモスは唯一無二のアーティストだと再確信。
映画に、これは複雑な人物の複雑な話という言葉が出てくる。欠点のある人間の数奇な人生物語と言ってもいいだろう。暴言、人種差別発言で有罪判決を受け、華やかなキャリアを失ったガリアーノ。当時、酒と薬に依存していた本人は、その夜何が起きたのかすら覚えていない。依存症は、病気だ。でも、だからと言って許されて良いのか。映画は、ガリアーノ本人を中心に、彼を良く知る人たち、被害者や弁護士など、多くの人々の視点からそのことを見つめていく。この核心の部分に入っていくまでに、時間をかけて彼が頂点に駆け上った頃を描いているのも、原題通り「High」と「Low」を比較する上で効果的。考えさせ、会話のきっかけを作る作品。
クルーニーとピットの16年ぶりの共演ということで期待が高かっただけに、がっかり。ストーリーはツッコミどころだらけ、ラストシーンは某名作映画のパクリ(お願いだから、オマージュとは呼ばないでほしい)。クルーニーとピットは、お互いを睨み合い、早口でまくしたて、自分のほうが上だと誇示するシーンの数々を、とびきりファニーでクールだと思い、楽しんでやっているのだろうが、繰り返されるので飽きてくる。超アップのシーンもたくさんあるし、このふたりを見られるのなら幸せというファンなら楽しめるかも。劇場公開が中止され、配信直行になったことは、大コケする恥をかかなくてよかったという意味で、結果的に良かったのでは。
親の死が迫り、姉妹で話し合うも、意見が一致せず言い争いになるというのは、国境を越えて理解できるシチュエーション。物語がブルックリンのアパートの中だけで展開されること、家族の過去がせりふを通じて明かされていくところなど、お芝居のために書かれたような雰囲気。演技の見せ場はたっぷりで、3人の女優がそこに惹かれて出演したのは納得。実際、彼女らは存分に実力を発揮し、映画を引っ張っている。しかし、結末は最初から見えているとおり。唯一予想を裏切るクライマックスも、観る人によっては感動するのかもしれないが、個人的にはリアルでパーソナルなところから来たというより頭で考えたように感じた。
キレ味抜群なダークコメディ。脚本はもちろん、それらのせりふを最高のタイミングで言う俳優たちもすばらしい。リンクレイターとパウエルによる共同脚本なので、パウエルは脚本家としてもセンスがあるのかも。ビジュアル的にはパウエルの七変化ぶりが楽しい。これは、実在のゲイリーがやったこと。実際に存在しないヒットマン(殺し屋)という存在を、テレビや映画の影響で信じて殺しを依頼してくる人が、どんな相手だと納得するのかを考えて、その都度変装したのだ。そんなふうにかなりの部分が実話にもとづく一方、ラストは明白なフィクション。そこも作り手がウインクしながらやっている感じで、かたいこと言わずに楽しめる。