略歴: 東京の出版社にて、月刊女性誌の映画担当編集者を務めた後、渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスターのインタビュー、撮影現場レポート、ハリウッド業界コラムなどを、日本の雑誌、新聞、ウェブサイトに寄稿する映画ジャーナリスト。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。
タイトルはもちろんサイレントナイトに引っかけているのだが、単なる言葉遊びでなく本気でバイオレント。それら残虐なシーンはコメディでもある。それらを見て痛快に笑えるのか、目を覆ってしまうのかは観る人によるだろう。そんな中でも、最後には心温まるシーンが用意されていて、クリスマスの精神にリスペクトを払ったりするのだ。トンデモなミックスながら、作り手がやりたいことは明確で、それをきちんとやってみせている。体格が良く、いかつい感じがしながらも、明るく優しい内面が滲み出てくるデビッド・ハーバーを主演に据えたのは大正解。“永遠の定番”にはならないしろ、このジャンルに変化球を投げる一作。
圧倒的に男性監督のものだったホラーでも、近年は「キャンディマン」(2021 )、「ナニー」(2022)など女性監督の活躍も目立つようになった。今作で長編映画監督デビューを果たすケイト・ドーランも、将来性をたっぷり感じさせる。主人公は、心の病を抱える母、年老いた祖母、いじめを受けている女子高生の3世代の女性たち。一度姿を消して戻ってきた母の様子がおかしいのは薬のせいなのか、それとも民話で伝えられるように、母は取り替えられたのか。映画はそこを絶妙にミックスしつつ展開し、良い意味で観客を混乱させていく。3人の女優はみんな良いが、時に優しく、時に恐ろしく、常に変化する母を演じるブラッケンは見事。
尊厳死は、これまでも映画で語られてきた、重く、タイムリーなテーマ。そこにはいつも複雑な心理と社会的状況、法律が絡む。だが、今作は、そこをしっかり見つめつつも、メロドラマにすることを避け、あくまで冷静に語っていく。それでいて次に何が起こるのか、常に緊張させ続けるのだ。フラッシュバックに頼りすぎることなく、頑固者の父と、険悪な態度を取り続ける母の過去が自然な形で明かされていくのもいい。主人公で原作小説の著者であるエマニュエル・ベルネイムは、オゾンと「スイミング・プール」「ふたりの5つの分かれ道」の脚本を共著した人。誠意あるアプローチに、オゾンの彼女に対する敬意が滲み出ている。
いわば「招かれざる客」(1967)の現代版。人種への偏見がある社会を風刺するブラックなコメディなのだが、残念にもリアリティに欠ける。背景として出てくるL.A.がまさに“今”をしっかりとらえているだけに、キャラクターが嘘っぽく感じられるのだ。違う人種に対する態度が2023年のL.A.に住む人たちにしてはあまりにステレオタイプで、笑いを狙うセリフのいくつかにも「こんなこと、今の人が本当に言う?」と思ってしまった。「Saturday Night Live」のスケッチコメディのように超バカバカしければ良いのだが、今作はトーンがばらばら。エディ・マーフィにコメディの見せ場があまりないのももったいない。
絶妙なブラックユーモアはマーティン・マクドナーの得意とするところながら、今作はこれまでに増してダーク。最初のほうは笑いがあるものの、話が進むにつれ、どんどん深刻に。マクドナーによると「破局の辛さを正直に語りたかった」そう。実際、コリン・ファレル演じるパードリックの心境が迫りくるほど伝わってきて、見ていて切ない。これが男女の別れならよくあることとまだ納得できるだろうが、友達同士だからなおさら苦しいのだ。最初から役者をイメージして書いたとあって、ファレル、グリーソン、コンドン、キオガンはパーフェクト。絶望的でありつつ妙な余韻を与え、人間の性についても考えさせる独特な作品。