略歴: 1963年神奈川県藤沢市生まれ。高校時代は映画研究部に所属。1997年よりフリーランスのライターとしてさまざまな媒体に映画レビュー、インタビュー記事を寄稿。得意ジャンルはアクション、ミュージカル。最も影響を受けているのはイギリス作品です。Yahoo!ニュースでコラムを随時更新中。
近況: 今年1月には放送映画批評家協会賞(クリティックス・チョイス・アワード)の授賞式に出席。ゴジラを手にしていた山崎貴監督とも写真を撮っていい思い出に。ビリー・アイリッシュやトム・ホランド、マーゴット・ロビー、スピルバーグなど間近で遭遇する夢のような時間でした。
サイト: https://news.yahoo.co.jp/byline/saitohiroaki/
これが遺作のG・ジャクソンはともかく、マイケル・ケインが本作で引退宣言と聞けば、どんな覚悟で臨んだか。その一挙一動、わずかな表情変化にも集中して鑑賞。演じた役が時折、足がおぼつかなくなるのは演技か、ケインそのものか。そんな哀切な感情にも支配され、単なる映画というより俳優のキャリアを重ねてしまう意味で珠玉作。
過去を演じた2人が、主演2人の若き日とそんなに似ておらず、そこはむしろ映画的記憶が消され清々しく観られた。主人公の秘められた愛にも思いを馳せる。
1カ所、引っかかる日本語字幕が。その訳にしたい映画会社の気持ちも汲み取れるが、字幕本来の目的を逸脱してないか。観ていて感情の流れが止まったので。
NY→アウシュヴィッツの旅はあくまで「設定」。現地の光景がポイントとなるものの、最も心に沁みるのは主人公2人の性格描写に尽きる。すべて正反対の従兄弟。何かと極端に行動する“お騒がせ者”ベンジーに対し、冷静に彼をたしなめつつ、その自由さを羨むデイヴの心情が、いくつかのシーンであまりに痛く伝わる。監督・脚本のJ・アイゼンバーグが自身を重ねたとはいえ、多くの人が他者に感じるコンプレックス、根底でのたがいへの愛情、そして一定の距離感…と様々な心情をショパンの曲とともにドラマに乗せた“超映画的”才能に感動。
無敵の遠慮なさの裏に、哀しみを潜ませるベンジー役のK・カルキンは助演男優賞レースの最有力だろう。
「前作と同じものにしない」というT・フィリップスの意気込みがみなぎる作り。基本的にジョーカーの妄想=非現実シーンがミュージカルに切り替わるのは『シカゴ』など数々の名作と同じスタイル。そこから現実シーンに歌が波及するのも自然。使われる曲もベタでクラシカルなナンバーが多いのだが、ストーリー、心情と歌詞の美しいシンクロに最後まで魅了された。まさにザッツ・エンターテインメント!
ドラマは異常なほどシンプル。そして前作に比べてショッキングな展開や描写が限定的のため肩透かしを食らう人も多いかも…だが、それゆえ奥底への探究心も募る。
ホアキンは、ただ転倒する瞬間など要所の信じがたい“芸”でまたも驚嘆させる。
ニューヨークでの一夜の犯罪“片付け”ドラマなので、時間の経過とともに緊張とスリルが増すかと思いきや、ゆったりとしたペース。見せ場はあくまでもブラピとジョージのやりとりで。時としておたがいの“老い”がネタにされるが、孤高のフィクサー役ということで基本的に佇まいや瞬時の判断はカッコいい。プロならではの高等テクニック、瞬間芸でも魅せる。アクションに関しては中盤のチェイスのユニークな演出がアクセントになっている。
すでに続編の製作が決まっているせいか、本作は“助走”感が否めない。キャラと俳優の個性はぴったりで、ムードや味わいは上等なので、2人があまり歳を重ねないうちに次作を作ってほしいが、さて…。
オープニングタイトルの映像から36年前の1作目にタイムスリップ。その後もアナログなテイストを全開にして、オリジナルの精神を復活させようとしたバートン。その意図は素直に受け止められた。ツギハギ皮膚の奇怪さと楽しさ。風船のような肉体。どれも愛おしい。ミュージカルシーンも最近の映画とは違う力の脱け感。全体にディズニーランドの最先端アトラクションに慣れた人が、浅草花やしきに迷い込むような味わいかも。その感覚に無理やりにでも乗っかって鑑賞すべし。
ウィノナ(まぁ期待どおり)からジェナ・オルテガへの、バートン“ミューズ”バトンタッチに頷き、個人的にはクライマックスの、名作ホラーへのオマージュが超ツボ!