略歴: 文筆稼業。1963年東京都生まれ。「キネマ旬報」「月刊スカパー!」「DVD&動画配信でーた」「シネマスクエア」などで執筆中。近著(編著・執筆協力)に、『伝説の映画美術監督たち×種田陽平』(スペースシャワーブックス)、『寅さん語録』(ぴあ)、『冒険監督』(ぱる出版)など。
近況: またもやボチボチと。よろしくお願いいたします。
我が国の都心の路地裏。ウルヴァリンとヒロインのマリコが逃走し、敵から身を隠すためラブホに入ると、受付に流れていたBGMは何と、由紀さおりの往年のヒットナンバー「生きがい」だった! 悶絶。選曲的には珍妙。でも何か嬉しい。よくぞこの名曲を、って気持ちだ。由紀サンの海外進出は存じてましたが、ここまでスんゴイことになっていたか。
いや待て。劇中にはハロー!プロジェクトのシャッフルユニット、セクシーオトナジャンの楽曲「オンナ、哀しい、オトナ」、ヒップホッププロデューサー・DJ PMXによる「その時が来るまで… feat. K DUB SHINE」も。これらは本作のカオスさを物語っているのだった。
日本刀、サムライ、蝶々夫人風ヒロイン、闘う(アニメ的)美少女、ヤクザ、忍者、ロボット……ここには「アメリカ人の大好きな日本」がぶち込まれているわけで、それをほっこりと楽しむ映画。まあ、仇役で映画を引き締めている真田広之は、この座興に付き合い良すぎ……だが。個々のアクションは見応えあり。荒唐無稽だが芯はある。ジェームズ・マンゴールド監督の不可解かつ魅力的なフィルモグラフィーにまた新たな1本が加わった。
李相日監督は前作『悪人』でストレートに、愚直なまでに「悪人とは誰のことなのか?」をメインテーマに据えていた。従って「許されざる者とは一体誰なのか?」という問いを突きつけてくるクリント・イーストウッド版『許されざる者』に挑んだのは、合点がいく。
つまり、これは『続・悪人』だ。放射する光の一筋以外は全て闇に包まれている、光と闇を作りだす『悪人』の灯台が、李相日版『許されざる者』では深い「業」を背負って世界に陰翳を与える主人公・釜田十兵衛に姿を変えたのだ。さながら“動く灯台”である。
かつて手塚治虫の『シュマリ』を映画化したいと語っていた李監督だが、それをある程度ここで叶えたのではないか。改変したオリジナリティ部分に甘さも見られるが、演出家としてより、そもそもの、アダプテーション脚色者としての“任”の重さを感じた。
ラスト、イーストウッド版は黄昏の情景で終わっていく。李相日版は(岩代太郎の音楽とあいまって)、ひとりの“ダークナイト”が今、そこに誕生したかのような印象を与えるが、『続・悪人』は、ひとりひとりの心の中で上映され、生きられるものとなるだろう。
人間ってえのは「上半身」と「下半身」との闘い、その止めどない葛藤のもとに生きている。それはつまり“ひとり相撲”みたいなものだから、端から見れば滑稽な姿この上ない。
部屋コンをキッカケに、男女9人のゲスでエロくてDQNな恋愛模様が繰り広げられていく本作。最初は自分を棚上げしてニヤニヤと眺めていたのだが、時折ドキっ、イタっ、ムムっと心が反応、最後には、ジ~ンとしたかと思えば「ウギャっ」と小さな悲鳴を上げていた。
セックスを(誠実かつ品よく)映画に盛り込むのはとても難しいのだが、たとえば『スーパーバッド 童貞ウォーズ』や『ヤング≒アダルト』みたいな映画が日本でも作れることを示した大根仁監督の演出スキルを称えておきたい。“玉突き交通事故”のごとき生態観察日記、各エピソードを「ドン、ド、ドン、バーン」というバスドラ&スネアの音で寸断しつつブリッジ、並走してゆく複数の時間のフローが心地よい。このダラダラなノンストップ感は、ネットを手に入れて以来四六時中、自分の足の裏側の世界、他人事さえをも貪る我々の欲望、はたまた、LINE的な時空間を「映画のカタチ」にしたもの、でもある。