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ジム・ジャームッシュが脚本を担当した映画『ユー・アー・ノット・アイ』のフィルムがモロッコのタンジールで発見!(ニューヨーク映画祭)

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サラ・ドライヴァー監督、フランシス・プール氏
サラ・ドライヴァー監督、フランシス・プール氏

 第49回ニューヨーク映画祭(N.Y.F.F 49)で、ジム・ジャームッシュが1981年に脚本を執筆した映画『ユー・アー・ノット・アイ / You Are Not I』について、サラ・ドライヴァー監督と、長い間失われたフィルム・プリントを発見したデラウェア大学図書館員のフランシス・プール氏が登壇した。

 これは、小説「極地の空 / The Sheltering Sky」などを執筆した作家ポール・ボウルズの同名短編小説を映画化した作品で、長い間失われていたとされていたが、ポール・ボウルズが晩年に住んでいたモロッコのタンジールで、彼の執事がフィルムを発見し、デラウェア大学図書館員のフランシス・プール氏がこのフィルム作品を確認し、映像の修復作業も手伝った。同作はニューヨークのインディーズ作品の中でも、カルト的な位置を占めている作品でもある。

 まず、当時のインディ作品の撮影状況についてサラ・ドライヴァー監督は「映画を製作するのには良い時代だったかもしれないわ。それは、特に(規定された)撮影上のルールもなくフィルムメイカーたちがお互い助け合いながら、自由にニューヨークの街を撮影していたからね。誰もが製作を手伝っていて、わたしがジム・ジャームッシュの映画『ストレンジャー・ザン・パラダイス』を製作すれば、ジムはこの映画『ユー・アー・ノット・アイ』と『スリープウォーク』の脚本兼撮影を担当してくれたわ。みんな仲間意識があって、ミステイクをしながら徐々に学んでいったわ」と当時を振り返った。

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 同作のプリントは、なぜ長い間失われていたのだろうか。サラは「この映画が公開されてから、プリントはある場所に保管してあったけれど、その保管してあった場所が洪水にあってしまい、それが原因でそのプリントが損傷してしまったの。(それから20年以上経った)ある日、突然フランシス・プールが電話をしてきて、君の映画のプリントを発見したと知らせてくれたのよ」と述べ、その発見状況についてプール氏は「僕は70~80年代にモロッコのタンジールに住んでいたことがあって、再び2008年にこの地で行われた会議に出席した際、ホテルに泊まりながら当時(70~80年代)のポールとの出会いを振り返っていたときに、ポール・ボウルズの執事がポールの書斎からフィルムを発見したことを知らせてくれたんだ」と語った。そしてポールが当時住んでいたアパートを訪ねると「今は廃墟になっているポール・ボウルズのアパートに行き、彼の書斎に入ると、一つの裸電球で照らされた部屋に手紙や本などがたくさん置かれていたんだ。そのときはデジタルカメラで写真を撮っただけだが、後にそのフィルムをデラウェア大学に持ち帰り、その中身を調べてから、彼ら(サラたち)にコンタクトしたが、これが唯一残っていたフィルムだとは知らなかった」と驚いたそうだ。

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 初めての長編作品だったサラは、このポール・ボウルズの原作の映画化権を得ていなかったそうだ。「まず、短編を読んでから、映画化権を得ずに映画を製作してしまったの。けれどポールに手紙を書いたのよ! 実は、私の家の近くに作家ウィリアム・S・バロウズが住んでいて、彼からポール・ボウルズのコンタクトを手に入れたの。そしてポール宛に手紙を書いて、『あなたの短編を基にした映画を製作したけれど、どうやったら映画化権を手に入れられるのか』と直接聞いたのよ。ポールは、ウィリアム・モリスのエージェントに聞いてくれ!とコンタクトを取ってきたけれど、お金のなかった我々は、直接そのエージェントに会って製作したフィルムを渡したの。するとそのエージェントから、『映画を先に製作していて良かったね。もし製作していなかったら多分映画化の許可をしていなかったとよ!』と言われ、映画化権を獲得できたの」と明かした。まさに70年代だったからこそ可能だった出来事なのかもしれない。

 映画は、ニューヨークのアンダーグラウンドに発生したアート・パンク・ムーブメント、“No Wave"の象徴ともいえる作品で、サラ・ドライヴァー監督と脚本兼撮影を担当した、ジム・ジャームッシュのコンビが秀逸な作品に仕上げている。 (取材・文・細木信宏/Nobuhiro Hosoki)

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