重度の知的障害と自閉症を持つ実妹を撮り続けたドキュメンタリー映画『ちづる』が公開 監督は福祉の道に進むことを決意
重度の知的障害と自閉症を持つ実妹をテーマにしたドキュメンタリー映画『ちづる』が29日から劇場公開される。監督は、立教大学現代心理学部映像身体学科卒の赤崎正和(ザキは大ではなく立)。ナルシストだけどちゃめっ気たっぷりな妹の魅力と障害者を抱える家庭の現実を伝えるだけでなく、卒業後は映像業界へ進むことを考えていたが本作を作ったことがきっかけで都内の知的障害者の福祉施設に就職するという、監督自身が大きく変化した奇跡の作品が生まれた。
映画は、赤崎監督が約1年かけて2歳年下の妹・千鶴さんと母・久美さんにカメラを向けた卒業制作だ。しかし赤崎監督が当初、被写体に選んだ相手は違った。大学の授業で出会った全盲の写真家を追うことを考えたこともあれば、自閉症者が通う施設に関心を寄せたこともあった。千鶴さんが置かれている環境やボランティアサークルでの活動を通し、障害者と健常者が分け隔てられている現状に疑問を感じたのがきっかけだ。ドキュメンタリー映画『蟻の兵隊』で知られる、大学の特任教授の池谷薫監督に相談すると「ならば、妹を撮れば?」と提案されたという。
赤崎監督は首を横に振った。赤崎監督が小学生時代、障害者のことを“シンショー”と差別的に語る言葉が流行った。それ以降、人前で千鶴さんのことを語るのを避けてきたこともある。だが池谷監督にズバリ指摘された。「妹の障害にこだわって差別しているのはお前の方じゃないか」と。その言葉が赤崎監督の胸に突き刺さった。
赤崎監督は「自分は差別している意識はまったくなく、むしろ味方のつもりだった。でも池谷先生に言われて、自分は障害者に対して守ってあげたいとか、力になってあげたいとか見下して見ている意識があることに気付き、傲慢な考えだったと思いました」と当時の心境を振り返る。
そして始めた、千鶴さんをカメラで追う日々。だが「僕、妹に嫌われていたから」と自重気味に笑う赤崎監督が、突然、自分に関心を向け始めたことに千鶴さんは抵抗を示したという。そんな千鶴さんがカメラに向かってピースサインを向けたり、レンズを鏡がわりに使って髪の毛を整えるなどの変化を見せてきたのは、ちょうど赤崎監督が福祉の道へ進むことを考え始めたころと重なるという。千鶴さんが赤崎監督の心情を敏感に読み取っていたのだ。
赤崎監督は「本当はテレビ局に就職して福祉番組に携わり、障害者の差別に対する怒りを伝えたいと思っていたけど就職試験に落ちてしまった。改めて自分の将来を見つめ直したとき、漠然と、自宅にずっと母といる妹の将来も気になりだしたんです。父親を浪人時代に交通事故で亡くしたけど、だからといって自分の人生を家族に丸投げするのは不幸なことだと思っていたし、福祉の仕事もネガティブなイメージしか持っていなかったんですが。でも妹を通して福祉の現場を見て、ここでいろんな人に障害者に対する理解を深てもらうために働くのもいいかなと思って、母から紹介された自閉症者の施設でボランティアをしたんです。これが自分の肌に合っていると思ったし、非常にやり甲斐を感じたんです」と説明する。
この赤崎監督の心変わりをめぐっては、その決意を確認したい母親と赤崎監督との間で大口論に発展。しばしそうした親子喧嘩もカメラはしっかり捕らえており、映画に良い緊張感と笑いを生んでいる。赤崎監督は「最初は自分が登場することはイヤだったんですけど、池谷先生に『これは家族の物語だ』と言われまして。でも撮っている内に、母親と喧嘩になりそうだなと思うと『ちょっと待って!』とわざわざカメラをセッティングする自分がいました」と苦笑いする。このようにカメラの前ですべてをさらけ出した事が観る者の心にも響き、参加した山形国際ドキュメンタリー映画祭2011では上映後、同じく自閉症者を持つ女性から「こんなに明るいトーンで自閉症者の映画を作ってくれて、うれしいです」という声も届いた。赤崎監督も「卒業制作で作った映画が、まさか多くの人に観て頂けるなんて身に余る光栄です」と喜びを隠せない。
赤崎監督はすでに福祉施設で働きだしたから半年以上が経つが「良い勉強になっているし、(知的障害者と)一緒に過ごしているだけで楽しい」と充実した日々を過ごしているようだ。映画制作の方は「別のカタチでまたいつか作りたい。映画はいつだって作れますから」と力強く語った。
なお本作は、赤崎監督の後輩にあたる現役の立教大生らが製作委員会を発足し、配給から宣伝まで手がけている。(取材・文:中山治美)
映画『ちづる』は10月29日より東京・ポレポレ東中野ほか全国順次公開