新藤兼人監督、息子の次郎氏会見 亡くなる前日も映画の寝言 「お疲れさまと言ってあげたい」
今月29日に映画監督の新藤兼人さんが老衰のため100歳で逝去したことを受けて31日、赤坂のシナリオ会館で、株式会社 近代映画協会代表取締役社長でプロデューサーの新藤次郎氏が会見を行った。日本映画界最高齢の現役映画監督であり、インディペンデント映画の先駆者として知られる新藤監督。その息子である次郎氏に話を聞くため、会場からあふれるほどの報道陣が来場した。
新藤監督が亡くなった29日朝について聞かれた次郎氏は「ひとことで言えば、やすらかな顔で眠っていた。苦しまずに天寿を全うしたかな。お疲れさまと言ってあげたい」と涙を浮かべながらコメント。「最近は体調の波がありました。わたしは最期をみとることはできませんでしたが、(最期をみとった孫の新藤風監督によると)呼び掛けたが、反応がなかったそうです」と明かした。
ここ6年ほどは、新藤監督の孫である新藤風監督が主に介護を担当。「それだけ近い存在だったので、喪失感がさらに強い。まだ皆さんの前で話すという状態にはなれないとのことで、コメントはご勘弁願えればと」と娘を気遣う一幕もあった。前日まで家族としっかり声を出して会話をしていたそうで、「寝言の内容も全部映画だった。風に聞いたところ、どうも(夢の中で)アメリカで撮影をしていたらしく、ここは英語と日本語で2回撮るよ、と言っていたそうです」と笑う次郎氏。
続けて、100歳まで映画一筋の人生を送ってきた新藤監督について「明治生まれの人はすごい。日本の映画人としては、ものすごく特異な人だった。松竹の脚本部で、年間11、12本という劇場用映画を何年も書き続けて、それから松竹を飛び出して、無謀にも独立プロでやろうとして。近代映画協会は創立62年になりますが、それをずっと続けてきた。こういう映画人はもう出ないですよね」と語る。
一説には、1994年に先立った妻で女優の乙羽信子さんの眠る京都の墓に一緒に埋葬されるのではともいわれていたが、次郎氏によると「新藤家で作った墓が鎌倉にあるので、そちらに埋葬します」とのこと。近代映画協会と新藤家の合同葬という形で執り行われる告別式は、来月3日に港区の増上寺で行われる予定だ。(取材・文:壬生智裕)