綾野剛、役を生きることが変わった 映画『そこのみにて光輝く』がもたらしたもの
現地時間8月31日、カナダで開催中の第38回モントリオール世界映画祭コンペティション部門に出品されている映画『そこのみにて光輝く』の記者会見が行われ、綾野剛、池脇千鶴、呉美保監督が出席した。主演を務めた綾野は、本作で役者として大きな変化があったことを明かした。
綾野剛主演『そこのみにて光輝く』モントリオール世界映画祭記者会見フォトギャラリー
本作は何度も芥川賞候補に挙げられながらも賞に恵まれず、41歳で自ら命を絶った不遇の作家・佐藤泰志の同名小説が原作のラブストーリー。北海道函館を舞台に、ある理由から仕事を失った男(綾野)がバラックに住む女(池脇)と出会い、家族のために必死に生きる彼女を愛し続ける姿を描いている。
記者会見で、最初に思い描いていた内容が撮影に至る際に変化したかという質問が飛ぶと、主演の綾野は「台本を読んでクランクインするまでに決定的に変わったのは、共に呼吸するということ、共に太陽を感じるということ、共に歩んでいくということ。そして役を生きるということ、それが大きく変わりました」と語り、役者として大きな成長を遂げたことをうかがわせた。
綾野の相手役を務めた池脇は「脚本自体が生きていてすばらしいと思いました。同時に役に対して沢山のイメージが浮かんできたので、そのままをぶつけたという感じです。迷ったところは監督が導いてくれました。自分で千夏がこうなんだろうなと思ってぶつけたことに変わりはありませんでした」と撮影を振り返った。
監督は「撮りながら変わったということはないのですが、脚本の段階で、ラストシーン、つまり終わり方をどうするかというのをすごく考えて脚本家と話し合いをしました」と切り出すと、「『救い』が欲しいと思いました。このタイトルで、『そこ』は『Only There』となっていますが、もう一つの意味としては『底辺』という意味でもあるのだなと、途中で気付きました。そういうことを意識しながらも、彼らがラストシーンであそこまで最後に行き着いた、もしかして底辺かもしれないけど、その状況の中で朝がきた、ひとつの『きざし』みたいなものを、段々と自覚しながら描きました」とラストシーンに込めた思いを語った。
さらに、ストーリーにおいて重要な役割を果たしている「性」について尋ねられた監督は、「『性』と言うのは日本語で、『せい』という発音をすると、今回テーマにした男と女のセクシャルな意味があるんですが、もう1つ『生』という意味での『せい』がありまして、そのどちらも描きたいと思いました」と回答し、「今回はアメリカンニューシネマや日活ロマンポルノなどの、そのあたりの時代の、まさに『性』、男と女を描いていたり、そしてそこにストーリーをきちっと描いたり、あとはアメリカンニューシネマでいう男同士のバディものなども参考にさせて頂きました」と明かした。
モントリオール世界映画祭は、1977年より開催されている国際映画製作者連盟(FIAPF)公認の北米最大規模の国際映画祭。アカデミー賞の前哨戦としても注目されている。コンペティション部門には吉永小百合が企画・主演を務めた『ふしぎな岬の物語』も出品されており、現地入りした吉永と阿部寛が異例の大歓迎を受けたことでも話題になっている。授賞式は現地時間9月1日に行われる。(編集部・吉田唯)