アカデミー賞候補作『ムーンライト』にゲイ映画の枠を超えた奇跡的境地を見る
第89回アカデミー賞
流れるようなカメラワークの効果もあって、観る者の意識を一気にスクリーンに集中させる。ただならぬ傑作を予感させるこのオープニングシーンを経て、『ムーンライト』(4月公開)は、主人公の切実な運命にぐいぐいと感情移入せずにはいられない。これが長編2本目とは! 円熟味さえ感じさせるバリー・ジェンキンズ監督の構成力、演出の妙に、多くの人が圧倒されることだろう。本作をわずか25日で撮ったというのも驚きに値する。(斉藤博昭)
【写真】アカデミー賞助演男優賞有力とされるマハーシャラ・アリはこんな人
一人の主人公シャロンの10歳、16歳、そして30代という時代を3つの章に分けて描き、演じる俳優も年代に合わせて変える。斬新な構成だが、いきなり時間がとび、俳優が変わっても、全く違和感がない。特に10代から20代への変化は、俳優の顔つきがかなり違うにもかかわらず、微妙な表情、視線の癖などで同じ人間であることが表現されており、スムーズなつながりに映画のマジックを実感してしまう。
マイアミを舞台に、校内暴力、ドラッグに溺れる母親など、シビアなエピソードが続く本作だが、物語の芯を貫くのは、主人公の純愛である。優しく接してくれた同性の友人への思いが性の目覚めと重なり、その後、彼への愛情を一途に胸に秘め続けるシャロン。その静かで、まっすぐな純愛が、ゲイ映画という枠を超えて、誰もが共感する奇跡的境地に達しているのだ。
音楽の効果も絶大である。ヒップホップから繊細なメロディーまで、多彩なオリジナルスコアが耳に残るが、悲痛なシーンにあえて優しい曲調を当てるなど映像と音楽のコントラストで観客の心をつかむ手法が効果的。そして主人公が、ある希望を胸に車を走らせる、忘れがたいほど美しいシーンに流れるのが、カエターノ・ヴェローゾの「ククルクク・パロマ」。この曲は、同じく男同士の愛をウォン・カーウァイ監督が濃密に描いた『ブエノスアイレス』(1997)でもきらめく未来を予感させる冒頭で印象的に使われており、さりげなく過去の作品への目配せも感じられるのだ(ペドロ・アルモドバル監督『トーク・トゥ・ハー』(2002)でもこの曲は使われた)。いずれにしても、作品の流れに音楽が「寄り添う」快感を味わえるはずだ。
タイトルの『ムーンライト』は、鮮やかな太陽光ではなく、全てがブルーに溶け込み、本来のカラーが消えていく月光の世界を意味する。黒人でゲイという、映画としては珍しい設定ながら、他者の人生を「価値観」という色眼鏡で見ることの虚しさを、本作は伝えようとしている。ムーンライトの下では、あらゆる愛が自由なのだ。シャロンの純愛は、頭デッカチの固定観念を軽々と超え、万人の心を打つ普遍性へとつながっていく。
製作はブラッド・ピットのプランBエンターテインメント。3年前に作品賞に輝いた『それでも夜は明ける』(2013)もそうだが、ヒットが難しい題材をアカデミー賞の作品賞候補にまで押し上げる同社の実力に、改めて感服する。シャロン役の3人の俳優が無名だったにもかかわらず、トロントなどの映画祭で注目され、まさに彗星のごとく賞レースでも中心的な存在に躍り出た『ムーンライト』。その勢いはアカデミー賞まで続き、有力視されるマハーシャラ・アリの助演男優賞のほか、作品賞の可能性も大きく秘めている。