日仏映画界の架け橋となったプロデューサー吉武美知子さんを追悼
黒沢清監督『ダゲレオタイプの女』(2016)や諏訪敦彦監督『ライオンは今夜死ぬ』(2017)の製作を手がけるなど日仏映画界の架け橋となって活躍し、今年6月14日に急逝したパリ在住のプロデューサー・吉武美知子さんを偲ぶ「それぞれの吉武美知子を語る会」が7日、東京・渋谷のユーロライブで行われた。会場には黒沢監督、諏訪監督をはじめ、映画評論家・蓮實重彦、吉武さんの学生時代の親友だった劇作家・演出家の永井愛らが参列した。
吉武さんは1980年代に渡仏し、ATGなど日本映画の欧州上映の手助けをする一方、映画会社ユーロスペースの外国作品の買い付けをサポート。『ボーイ・ミーツ・ガール』(1983)のレオス・カラックス監督や『音のない世界で』(1992)のニコラ・フィリベール監督など、フランスの気鋭監督たちをいち早く日本に紹介した。映画雑誌「キネマ旬報」でワールドリポートを執筆していたことでも知られている。
1993年にはフランスで映画会社を設立し、ミシェル・ゴンドリー監督、レオス・カラックス監督、ポン・ジュノ監督のオムニバス映画『TOKYO!』(2008)、黒澤明監督のフランス語通訳を長年務めていたカトリーヌ・カドゥー監督によるドキュメンタリー映画『黒澤 その道』(2011)などを製作した。中でも諏訪敦彦監督の名前をフランスに広めた功績は大きく、通訳で参加した『H story』(2001)から『ライオンは今夜死ぬ』までコラボレーションは約20年に及ぶ。
しかし吉武さんは、『ライオンは今夜死ぬ』のクランクイン直前の2016年6月にガンが発覚。周囲を心配させることなく好きな映画の仕事をしたいと、諏訪監督にすら病気のことは伝えなかったという。今年に入ってからも精力的に新たな企画のために活動していたが、6月14日に旅立った。6月20日にパリで行われた葬儀には、『ライオンは今夜死ぬ』の俳優ジャン=ピエール・レオ、『ユキとニナ』(2009)の共同監督イポリット・ジラルドらが参列し、フィリベール監督が弔辞を読んだという。
この日、諏訪監督は吉武さんと最初に出会った1999年頃からの思い出を振り返り、やり取りしたメールの件数は実に3,000回以上に及んだことを告白。中でも『ライオンは今夜死ぬ』は、諏訪監督にとって心から映画を撮ることが楽しいと思えた現場だったそうで「吉武さんに見守られて一つの天国のような空間だった。でもどんな気持ちをかみ殺して、吉武さんがあの場に居たかと思うと心が引き裂かれる思いがします」と何度も目頭を押さえながら語った。
続けて「僕たちの旅はすごく長い旅でした。吉武さんはリスキーなことに挑戦し、自分たちが信じる映画を好きな人たちと作ってきました。本当に夢のような日々だった。吉武さんが元気だったら、今後も日本の監督がもっとフランスで撮ったり、フランスの監督が日本で撮るような映画が何本も生まれたはず。それが無くなってしまったのは歴史的な損失です。でもきっとその道を引き継ぐ人が出てくると思うし、僕もそのために頑張りたい」と天国の盟友に誓った。
なお、9月7日~21日に東京・国立映画アーカイブで開催する第41回ぴあフィルムフェスティバルでは追悼上映として、吉武さんがプロデューサーを務めた『TOKYO!』、『ダゲレオタイプの女』、『ライオンは今夜死ぬ』を上映。また東京・市ヶ谷のアンスティチュ・フランセ 東京では「追悼特集 映画プロデューサー 吉武美知子 ~フランスと日本の映画作家たちの架け橋~」(9月19日~29日)と題して吉武さんが紹介または製作に携わった作品15本を上映する。(取材・文:中山治美)
「追悼特集 映画プロデューサー 吉武美知子 ~フランスと日本の映画作家たちの架け橋~」上映作品は以下の通り。
・レオス・カラックス監督『ボーイ・ミーツ・ガール』(1983)
・ジャック・ロジエ監督『メーヌ・オセアン』(1985)
・レオス・カラックス監督『汚れた血』(1986)
・ニコラ・フィリベール監督『音のない世界で』(1992)
・ロランス・フェレイラ・バルボザ監督『おせっかいな天使』(1993)
・フランソワ・オゾン監督『サマードレス』(1996)
・フランソワ・オゾン監督『海をみる』(1996)
・ジャン=ピエール・リモザン監督『TOKYO EYES』(1998)
・レオス・カラックス監督『ポーラX』(1999)
・諏訪敦彦監督『不完全なふたり』(2005)
・諏訪敦彦×イポリット・ジラルド監督『ユキとニナ』(2009)
・ギョーム・ブラック監督『遭難者』(2009)
・ギョーム・ブラック監督『女っ気なし』(2011)
・レオス・カラックス監督『ホーリー・モーターズ』(2012)
・アルチュール・アラリ監督『汚れたダイヤモンド』(2016)