ホラーは面白い!『樹海村』清水崇監督が描く恐怖
映画『犬鳴村』に続く「恐怖の村」シリーズ第二弾『樹海村』(公開中)を完成させた恐怖映画の巨匠、清水崇監督が、本作の撮影にまつわる裏話、ホラー映画の醍醐味について語った。
『犬鳴村』がコロナ禍の緊急事態下で興行収入14億円を叩き出したことについては、「ヒットするときって、つくった本人がいちばんピンと来てなかったりするんですよね」と想定外だったよう。すぐシリーズ化が決定するや、「商業ベースで映画をつくっている限り、それはとてもありがたい。いかにクオリティーを上げるか。それが問題で、いちばん難しいことなんですけど」と気を引き締めつつ、映画づくりがスタートした。
まずはシナリオづくりに向けたシナハンのため、スタッフと富士の樹海へ。溶岩洞窟等の観光スポットを回るも、「自然がキレイで空気がおいしく、あまりにすがすがしい。これはホラーの舞台にならない! とみんなが黙っちゃって(笑)。しかも樹海って溶岩が固まって森が広がったところだから地面が凸凹すぎて人が住めないんですけど、だから、人間がらみの物語やドラマが生み難い。その上、見渡す限りの森って、2Dの映画では認識し難く、奥行きや急こう配などが描写しきれない。カメラをどこに向けても森は森で、画変わりのしなさも映画向きではなくて」と最初のシナハンはピクニック気分に終始したと笑う。
そこからオカルトライターや、「こっちに行けば遺体がある」という独特の嗅覚が備わる樹海のスペシャリストに取材を試み、彼らを引き入れ再度向かおうとしたところで、新型コロナウイルス感染拡大影響による自粛で身動きとれなくなってしまった。その後は脚本家やプロデューサーらとリモートを駆使して検討を重ね、脚本が完成した。
今回物語の中心に据えられた都市伝説は富士山の裾野に広がる霊地、その深奥にあるという謎の集落・樹海村と、インターネット掲示板で発表されたネット怪談で、呪いたい相手に送るとその人は死に至るという“コトリバコ”。その強力な呪いに翻弄(ほんろう)される響と鳴という妹姉を演じるのが山田杏奈と山口まゆだ。「二人共、年齢のわりに大人びていてキチンと役を生きようとする、まさに女優! なのですが、タイプは全然違います。監督としては、素のキャラをどう活かすか? も大事でした」と振り返る。
山田の演じる響は監督の中で、「引きこもりのナウシカ」だったそう。「人よりも動植物や自然にシンパシーを感じていて、霊感というのか、不思議な感覚を持っています。山菜取りが好きな人がどこに行けばどんな山菜が穫れるか感覚が鋭いように、そういう特殊な力というか独特の感性って誰もがなにかしら持っているはずです。霊感と言ってしまうと、オカルトとひと括りされ、やたらに特別視しちゃってるだけで」と分析する。
響の姉、鳴を演じた山口はオーディションで決定したが、「最終オーディションで、『実は、清水組は初めてじゃないんです』と言われてビックリして。彼女は、映画『ラビット・ホラー3D』で子役のエキストラとして現場に来ていたんですね。その10年後に再会し、同じ監督のもとで主演を果たして。やり遂げなきゃ! という彼女の想いが確実に映画を強固にしてくれました」と賛辞を送る。
そうして俳優陣はそれぞれにキッチリと役柄を構築、人間ドラマを丁寧に表現。そこには「脅かすのと怖がらせるのは違う」という思いもあったそうで、「わ! という脅かしはバックグランドがなくてもできますが、僕はじわ~っと入ってくる怖さが好きで。トレーラーショットと呼ばれる、予告編に入れるような派手な脅かしのシーンもありますが、登場する人間たちの関係性、感情のひずみやゆがみと、リアリティーに通じる精神的な恐怖も描いています」と自信をのぞかせる。
怖がらせる演出をやらせたらプロ中のプロである清水監督。映画にはあらゆる種類の恐怖が、これでもか! と畳みかける。例えば、壁と壁の間に5~6人の霊としか思えない人影が映し出されるシーン。前日に「等身大パネルを置こう!」と思いついたそうで、「二次元の状態で奥の闇にいるから、人らしき姿が見えるのにそこにはいない、みたいな映像になります。ペラっとしていて、生きている人とは違う感じがする。だからちょっと気味が悪いんです」とトリックのひとつを明かすが、全編まさに技アリ! の連続だ。
そんな清水監督自身は、「霊感はたぶんない」らしい。ただあるとき、知人に紹介された陰陽師の先生と「子どものときは苦手だったのに、なぜかホラーばかりを撮ることになる」という話をしていると、「『運命だよ。そういうものをつくる鼻が利く能力とセンスとがあって、世間にそういうものをつくり出す使命を持っている。それを素直に受け止めた方がいい』と言われて。鵜呑みにしていいのか? はさておき、何だか開き直れる気がしました。人にはなすべきことがあって生まれると言いますよね。本分があって、それをちゃんと見つけられているのなら嬉しいことだし、そう捉えてみようかなと」というから、今後も新たな恐怖をゾクゾクと生み出してくれそう。
もちろん監督の中に「ホラーは面白い」という思いがあるのも確かで、「ホラーって昔はゲテモノ映画のような扱いでしたが、かなり市民権を得てきましたよね。落語や歌舞伎にも怪談モノはあるわけで、怖さを楽しむというのはある種、人間特有の娯楽要素で、本能に根差している絶対なくならない文化だと思うんです」と言い切る。
ラブストーリーや親子の愛、姉妹の葛藤とさまざまな要素が入れられるのも本作の特徴だが、「人間同士のことばかりでなく、根底に自然の怖さのような題材を置いたものをつくりたいと思っていました。コロナ禍のいま、見えない恐怖というものをみなさんが実感していますよね。見えない恐怖なんて一昔前なら、すぐに呪いと言われたでしょうし、単なるフィクションの中だけではなく、現実の世界で解明・克服不能な事象が今も起こっています。人間が便利に生活するために簡単に元に戻せないもの、浄化に何千年もかかるものをつくり続け、その結果自分の首を絞めているよう。映画の後半では、響が感じていた“自然への畏怖の念”が爆発します。地球の神様が怒っているのかもしれない。そんなことを感じていただけるといい」と言葉に力を込めた。(取材・文/浅見祥子)