セカンドシーズン2007年5月 私的映画宣言 2007年4月25日 前回の本欄、某女史の文中「伝説の女体盛り」(『ライジング・サン』より)のくだりに爆笑。そんな間違ったジャパンも今は昔……と思っていた矢先、何気なく見ていた「CSI:NY」でマンハッタンの日本料理店にて普通に「女体盛り」が供されていた。被害者の死因はフグの毒(笑)。殺害方法はシーズン1第4話で確認できます。 『毛皮のエロス』で冒頭に出てくる裸のおばちゃんに驚がく! 『アバウト・シュミット』のキャシー・ベイツ並みの恐怖のヌード。お腹に脂肪がドカンと乗っていた。『300』のマッチョ男の裸集団を観たのに、こっちの残像が消えなくて困ってます。 目下、気になっているのは先日、生まれたばかりのメルBの子ども。「オレが父親かどうかわかんない」なんて大失言をかまして、たぶんアカデミー会員の女性票をごっそり失ったから賞を逃したんであろうとわたしが勝手に踏んでいる、やり逃げ男エディ・マーフィーの応対が早く、見たい。 iPodを買い換えた。最近はコレでも映画が観られるらしい。さまざまなツールが登場して気軽に映画を楽しめるのはうれしいが、反面、大スクリーンで観るという本来の楽しみから外れてしまうのは寂しい。ゴールデンウイークぐらいは映画館に行こうじゃありませんか。 スパイダーマン3 SPIDER-MAN CHARACTER TM (C) 2006 MARVEL CHARACTERS, INC. ALL RIGHTS RESERVED “アメコミ界”のヒーロー、スパイダーマンが活躍する大ヒットアクション大作の第3作。前作から約3年、今度はスパイダーマンがブラック・スパイダーマン に変ぼうし、新たなる敵サンドマンらとの死闘を繰り広げる。監督は前2作に続き、名匠サム・ライミが担当。スパイダーマンことピーター・パーカーを『シー ビスケット』のトビー・マグワイアが続投する。最新VFXを駆使した迫力映像とヒーローの等身大の姿を描いた人間ドラマ、さらにはシリーズ初登場のニュー キャラクターたちに注目したい。 トビー・マグワイア キルステン・ダンスト ジェームズ・フランコ 監督: サム・ライミ いやー、トビーには笑わせてもらった。冒頭の下からあおいだショットでむっちりと肉のついた顔に、昔のお笑いのなんだかっていうキャラクターを思い出してプッ。前半の天真らんまんな演技に「のび太くん!」。後半のハジけまくった演技には「『マスク』?」。MJにはいろんな意味で「本当にピーターでいいの?」と問いたい。肝心の映画はとにかく盛りだくさんの内容。『メン・イン・ブラック』とか『ロード・オブ・ザ・リング』とか『X-ファイル』とか、観ながら次々とタイトルが頭に浮かんで楽しめた。トファー君はヘナチョコな役かと思ったら意外にも存在感を発揮。サンドマンにはもっと活躍して欲しかった。フランコはシリーズ最高のがんばりに拍手! 絶好調なスパイダーマンに敵また敵に、内なる敵のブラック・スパイダーマンまで現われて、キッツーいお灸を据える。お話しとしては悪くないと思うが、死闘がてんこ盛りの今回、その見せ場をつなぐために、敵キャラの内面的な描写や状況説明をさらりと流し過ぎてツッコミどころも満載。また、テーマである許しも「ごめんなさい」すればいいのかよ!と言いたくなる。全体に甘い。とはいえ、2時間を超える長さを感じさせない力ワザはサム・ライミ監督ならではだ。ま、ヒネたわたしには最大の見どころはリズム感が皆無なトビーのダンスンスシーン。腰の振り方から壊滅的にダメ。ギャグにしてるあたりはすごいが、こんな“運痴”な彼がスーパーヒーローをやっていたとは驚き(爆笑!) 契約上これでおしまいだからお祭り気分なのか、てんこ盛りで急ぎ過ぎる印象。どうでもいい(まあ笑えたけど)コミカルな場面や中途半端な歌やダンスを入れなくていいから、サンドマンの娘への思いとか、ハリーとピーターの友情とかをもっと丁寧に描いて欲しかった。ヴェノムのエピソードもあまりに表面的過ぎて、ただの逆恨みにしか見えない。それにしてもキルステンの歌、ひどかった。あれじゃ批評家が酷評しなくても降板だ。よくブロードウェイ、立てたな。続編のうわさもあるけど、今後はトビーでは正直、辛い。今回ばかりは撮影直前ダイエットが間に合ってないもの。二重顎のぽっちゃりヒーローって……。そろそろ演技派路線に戻してあげて。 主人公は僕だった もうすぐ自分の人生が終わってしまうと知った男が、死を阻止するために奔走するファンタジードラマ。監督は『ネバーランド』の名匠マーク・フォースター。 自分の人生が有名作家の小説の中で進行していると気づく主人公の男ハロルド・クリックを『プロデューサーズ』のウィル・フェレルが、彼の人生を執筆する作 家を『いつか晴れた日に』のエマ・トンプソンが演じる。ファンタスティックで奇抜な設定と、心温まるラストは必見。 ウィル・フェレル エマ・トンプソン ダスティン・ホフマン 監督: マーク・フォースター 邦題の通り、ある悲劇作家の新作の主人公が実在する男性だった、という設定はかなり奇抜。だが、見終わった後はほのぼのとした温かさが心に残るヒューマンな映画だった。特に作家の声=ナレーションに死を予告された後、運命を変えようと悪あがきするうちに、とにかく好きなことをやろう! という考えに至り、無為に日々を浪費することをやめる主人公の姿には、毎日を普通に生きていられることへの感謝の気持ちを再確認させられた。ウィル・フェレルは個人的にどうしても顔が好きになれないのだが、いい味。大好きなエマ・トンプソン、マギー・ギレンホールはともにとっても魅力的。 大体、余命いくばく……と死の宣告をしたら、お涙チョーダイ路線になるというのがお決まりだ。それが、秀逸な人生賛歌で愛すべきラブストーリーになる。ったく、なぜ、これがアカデミー賞の脚本賞の候補にもかからなかったのか不思議だ。日本ではアクが強すぎるからか、なかなかブレイクしないウィル・フェレルも、今回はいかに自分の人生がつまらなくて退屈だったかに気づき、人生をやり直そうとする男を繊細に演じている。そんな彼が惹(ひ)かれるケーキ職人のマギー・ギレンホールが魅力的。鼻に小麦粉つけて、懸命にお菓子作りという姿がキュートだ。肝心要の作家を演じたエマ・トンプソンも面白い。ファンタジーなドラマだが、人生の機微を教えてくれる監督マーク・フォースターの真骨頂なのだな。 ウィル・フェレル独特の地上から数10センチ浮き上がっている感じとエマ・トンプソンの妙に悲愴(ひそう)感たっぷり漂う容ぼうが上手くかけ離れているおかげで、主人公と彼を創造している作家と分かっていても、話の中にぐんぐんと引き込まれてしまう。ウィルの個性とエマの演技力に改めてほれぼれさせられた。個人的にはウィルの歌う「Whole Wide World」が原曲よりずっとすてきになっており、マギー・ギレンホールが一発で恋に落ちるのに大納得。やっぱ男はギターが弾けないと! ただ、わたしとしてはべったべたのコメディーに出ているウィルの方が好きなので、今後、感動路線にシフトして、ジム・キャリーのような痛々しい存在になって欲しくないのが本音。 ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習 (C) 2007Twentieth Century Fox 全米で大ヒットを記録し、ゴールデン・グローブ賞で主演男優賞を受賞した一方で、製作にまつわる訴訟も続出しているシニカルコメディ。人気コメディアンの サシャ・バロン・コーエン演じる主人公ボラットが、アメリカ大陸横断の旅を繰り広げる。監督は『ボブ・ディランの頭のなか』のラリー・チャールズ。アメリ カを痛烈に皮肉った過激な内容と、ゲリラ撮影を終始敢行したというサシャ・バロン・コーエンの体当たりパフォーマンスは必見。 サシャ・バロン・コーエン ケン・ダヴィティアン ルネル 監督・脚本・製作総指揮: ラリー・チャールズ 正直、こういう映画のレビューは困ってしまう。カルチャーギャップや政治的&時事ネタをテーマにしたコメディーなんて、英語もさして堪能でなく異文化にも精通していないわたしには一番の難題。描かれている風刺やユーモアをどこまで真に理解できているのかという点に、さっぱり自信が持てない。かといって、この手の映画を「イマイチ」などというと、知的レベルを疑われ、ユーモアを解さない心の狭い人間と思われそう……。ま、『ボラット』にそこまで考える必要があるかは疑問だけど。で、微妙なニュアンスを無視したわたしの感想は「結構、普通」。アメリカでの熱狂ぶりがすさまじかっただけに、もっとスゴイもの(ってどんな?)を想像してました。 オスカー授賞式に姿を現したボラットこと、サシャ・バロン・コーエンの素顔のイケメンぶりからはとても想像できないほど、お下品かつお下劣な笑いもてんこ盛りのコメディー。それにしても、少し、しゃべれば、かなりオカシイとわかるボラット、外見も怪しい男なのに、「カザフスタンから来たジャーナリスト」を真に受けて相手をした人々がそれなりにいたのには驚くし、それを笑いのネタにされた人はお気の毒にも思う。というワケで爆笑させられたところもあるが、正直戸惑うところもあるし、下ネタの連続には個人的にはカンベンしてよ、と思った。ともかくハイテンション&毒っ気たっぷりなパフォーマンスだけに体調万全の日にどうぞ。ウケてもウケなくてもドッと疲れることは間違いないから。 期待しすぎたかな。難しいのは、こういう笑いがダメな人は受け付けないどころかまったく許せないだろうし、好きな人はどんどん過激さを求めてしまうので、ちょっとでも手ぬるいと鼻白(はなじろ)んでしまう。わたしは後者。ウーマンリヴ団体やアメリカン・ジョーク教師とのエピソードはきっとガチだろう。かなり笑えた。でもユダヤ人民宿やディナー・パーティーでの娼婦の件など、中途半端なストーリーが盛り込まれると、どこまでが仕込み? と疑ってしまう。コメディー史上最高傑作場面がいっぱいあるのにちょっともったいない。特に、ロデオ会場の場面は圧巻。替え歌はともかく、その前の愛国主義のアメリカ人すらドン引きさせたスピーチはもはや伝説だ。 しゃべれども しゃべれども (C) 2007『しゃべれども しゃべれども』製作委員会 1997年度“「本の雑誌」ベスト10”の第1位に輝いた佐藤多佳子の長編小説を映画化。情緒あふれる東京の下町を舞台に、1人の落語家のもとに集った口 下手な美女、同級生に馴染めない関西弁の少年、毒舌の元野球選手らの人間模様が描かれる。監督は『愛を乞うひと』で日本アカデミー賞を受賞した平山秀幸。 主人公の落語家をTOKIOの国分太一が演じる。温かい涙がこぼれるハートウォーミングでさわやかなストーリーが堪能できる。 国分太一 香里奈 森永悠希 監督: 平山秀幸 過剰な感動があふれかえっている昨今の日本映画界にあって、普通の人々の心の機微や日常の小さな出来事を淡々としたタッチで描いた本作は、勇気あるトライなのかもしれない。国分太一のがんばりは十二分に伝わってくるし、子役は芸達者だし、松重豊もハマリ役。香里奈だけはいただけないが、脇だって大御所が固めていて安心できる。平山監督は「身の丈にあった映画」とコメントしているが、原作のエッセンスもそんな感じ。映画ライターとしては総じてOK。でも、お金を払って観る観客の立場だったら……? 過剰な感動もいやだけど、「身の丈に合った映画」っていうのもどうなのかなぁ、と複雑な思い。 邦画バブルの中にあって、見終わった後もホンワカと好感が持てる作。東京の下町を舞台に、都電や浅草、路地裏など、どこか忙しさを良しとする現代から遅れているような風情が二つ目の落語家と、彼に小ばなしを習いに来る生き方がヘタな人間たちの物語に似合う。主演の国分クンは決して演技がうまいとは言えないけれど、でも、そこが落語家としてなかなか腕が上がらぬ役回りには合い、自分は未熟なクセに人のことは気にかかるというのも、バラエティー番組で垣間見せる彼の人の良さがうまく生かされている。関西弁で落語をしゃべる子役クンの芸達者ぶりもなかなかのもの。いい意味で老若男女、誰もが泣き笑いを楽しめそうな作品だと思う。 「タイガー&ドラゴン」の長瀬くんは個性で演じられたが、今回の国分くんの役はそうはいかない。古典が好きな本物のはなし家役。佇まいは結構、リアルだ。いつものバラエティーで見せるかわいさを感じさせず、古いもの大好きな人特有の妙に若年寄くさい小賢しい感じがぷんぷんしていて、「ああ、いるいるこういう人!」と思わせるキャラに仕上がっていた。かわいそうなのは子役の森永悠希くんに役者全員が完全に食われてしまっていること。落語のけいこの期間は誰もが同じなのだろうから、やっぱり子どもの吸収力には誰も勝てないんでしょう。しかもかわいい。いやぁ、本当にかわいかった。舞台あいさつのとき、普通に会場にいたので、写メ撮りたかったくらい。 毛皮のエロス/ダイアン・アーバス 幻想のポートレイト (C) MMVI NEW LINE CINEMA PICTUREHOUSE HOLDINGS,INC./HBO PICTUREHOUSE HOLDINGS,INC.ALL RIGHTS RESERVED. 過激な題材によって写真芸術の概念に一石を投じた、天才写真家ダイアン・アーバスにオマージュを捧げる官能ラブストーリー。多毛症の隣人との出会いをきっかけに、貞淑な妻から自立した写真家へと変化していくヒロインを『めぐりあう時間たち』のニコール・キッドマンが演じる。監督は『セクレタリー』の異才ス ティーヴン・シャインバーグ。ダイアン・アーバスの人生に、独自のイマジネーションで肉薄した監督の手腕が光る。 ニコール・キッドマン ロバート・ダウニー・Jr タイ・バーレル 監督: スティーヴン・シャインバーグ ダイアン・アーバスなるアーティストの予備知識は皆無。でも、毛フェチだろうがフリークスに興味を持とうが、人が何に好奇心を抱くかといったことに理由なんていらないんじゃないだろうか。そもそも、異色の才能を持ったアーティストの胸の内を、凡人が理解できると考えること自体がおこがましいとさえ思う。なので、「多毛症の男性と恋に落ちたからフリークス専門の写真家になりました」という、安っぽい理由付けをメロドラマチックに描いた内容には大いに不満。『セクレタリー』の監督なのだから、思い切って変態趣味全開のキッチュな映画にしてくれたらよかったのに。もっとも、主役がニコールという時点で無理な相談か。 『めぐり合う時間たち』の女流作家ヴァージニア・ウルフ役に次いで、実在ものに挑戦のニコール。ダイアン・アーバスというフリークス専門のカメラマンというアブない役どころに挑むのはオスカー女優のプライド? だが、中身はぶっちゃけ、『エレファント』のような異形の男に出会い、『不思議の国のアリス』のように怪しい世界に幻惑されて、『美女と野獣』もどきな恋をする。現実のダイアンがフリークスに傾倒した理由は謎というところに目をつけたシャインバーグ監督の果敢な挑戦は買うが、結局は常識に抑圧された人妻が風変わりな男との不倫話という俗な話に落ちてしまった。ま、個人的にはダウニー・Jrの完全復活を楽しんだのでいいんだけどさ。 この映画のニコールは人形のように美しい。というのは両親や夫から、完璧な美しさを求められているという設定だから。とはいえ、いったい何歳ですか。「どうしてこんなにきれいなの! うらやましい~っ」と思っていたら、騎乗位シーンでは下っ腹に微妙にお肉が付いていて、ニコールも普通に中年なのねと妙に安心しました。ロバート・ダウニー・Jrの才能もすさまじかった。マスクかぶっててあのフェロモン。普通じゃ出せません。ニコールが毛を剃って傷だらけになった顔を見てるだけで、存在が切なすぎて涙が出そうだった。復活できて、よかった、よかった。ジャンル的には変態映画かもしれないけど、わたしにはとてもすてきな純愛映画です。 ★だれが何と言おうとこの映画を愛します宣言! ライターが偏愛してやまない1本をご紹介!★ スモーキン・エース/暗殺者がいっぱい (C) 2006 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED. 懸賞金のかかった小物マフィアの心臓を狙って、サブタイトルのとおり殺し屋が続々登場する、この映画。面白いのはこの連中、いずれもしっかりキャラが立っている点だ。チャイニーズ・マフィアを二人で壊滅させたという伝説を持つ女殺し屋コンビは、かたやセクシー系、かたやレズっ気ありで、一見すご腕には見えないが、その仕事人ぶりとコンビネーションは絶妙。さらに、目についた邪魔者は片っ端から殺しまくるネオナチ3兄弟の傍若無人の暴れっぷりにあぜんとし、身元を隠すために指紋を食いちぎったという過去を持つ拷問のプロの抜け目ない立ち回りにニヤリとし、一言もセリフを発しない変装の達人の頭脳的な戦略にハラハラする。これだけヤバいヤツらがそろうと、キャスティング的に本来なら目立つはずのベン・アフレックもかすみ気味。物語もバトルロワイヤルの様相を呈し、一寸先も読めない、それでいてガンガン死体だけは転がるすさまじい展開に。一度は『M:I:III』の監督に決まっていたジョー・カーナハンの切れ味鋭い演出も買いだ。願わくば、これらのキャラでスピンオフ企画を! ADVERTISEMENT