レオナルド・ディカプリオ衝撃の名(迷)シーン7連発
今週のクローズアップ
5度目のノミネートでついにオスカー像を手にし、今年のアカデミー賞を大いににぎわせたレオナルド・ディカプリオ。「人気スターはオスカーを取れない」のセオリーを覆し、悲願の受賞をかなえた彼の熱演&怪演をプレイバック! クマとの格闘シーンが話題になったオスカー受賞作『レヴェナント:蘇えりし者』から体当たりのラブシーンを披露した初期作『太陽と月に背いて』まで、「美しいだけじゃない」レオ様の名優ぶりを堪能できる衝撃的シーンをピックアップしてみました。(構成・文:編集部 石井百合子)
クマにフルボッコにされ瀕死状態に『レヴェナント:蘇えりし者』
『ギルバート・グレイプ』(1993・助演男優賞)、『アビエイター』(2004・主演男優賞)、『ブラッド・ダイヤモンド』(2006・主演男優賞)、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(2013・主演男優賞)と4度のノミネートを経て、悲願のオスカーを手にしたのが、アメリカ開拓時代に重傷を負い仲間に見捨てられながらも奇跡の生還を遂げた漁師&探検家ヒュー・グラスにふんした『レヴェナント:蘇えりし者』(2015)。実在の人物は賞レースで有利とされているが、そうした説を抜きにしても本作での熱演を目にすれば誰もが今回の受賞に納得するはずだ。劇中、ほぼ一人演技でセリフも極端に少なく、自分を見殺しにした仲間への復讐心、重症を負い死ぬかもしれない恐怖、混乱など極限状況下での心情を表情や身体表現のみで体現せねばならない。中でも目を引くのが、ハイイログマとの格闘シーン。森の中でクマに襲われ、体中を切り裂かれたグラスは、よせばいいのにクマが立ち去ろうとしたところに銃を向け、逆上したクマにさらなる深手を負わされてしまう。生きているのが奇跡とも言える瀕死の状態もさることながら、えぐられた首の傷を火薬で“消毒”するシーンには思わず悶絶……! 凍死しないため、動物の内臓を引きずり出し全裸でその中に入り暖をとったり、無言のサバイバルに終始ハラハラさせられる。そんな極めて「原始的」な役どころが受賞につながったのではないだろうか。ちなみに、自分を見殺しにした仲間に復讐を誓うグラスに対し、レオ自身は「復讐は虚しいもの」と言い切っている。
全裸で引きこもり生活『アビエイター』
『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2001)の名匠マーティン・スコセッシ監督と再びタッグを組んだ『アビエイター』(2004)でレオが演じたのは、1930~40年代に映画&航空業界で成功した実在の富豪ハワード・ヒューズ。父の遺産を全てつぎ込み、サイレントからトーキーへの作り直しを経て、3年かかって念願の戦争映画『地獄の天使』(1930)を完成させ、航空会社を設立してスピード記録の更新に挑み続ける。目標を達成するためには「異常」と言われようが、莫大なお金で解決する。まさに「事実は小説よりも奇なり」を地で行く、伝説の実業家を熱演した。“世界一ゴージャス”なスターであるレオ様だからこそ、この常識はずれなセレブの貫禄やスケールを出せたわけだが、本当にすごいのは不遇の時代の演技。恋人との破局や偵察機のテスト飛行時の墜落事故、事故の影響による航空事業の失敗など低迷期が続き、潔癖症が悪化して精神を病んだヒューズは、会社の試写室に立てこもり、全裸で生活をするようになる。髪も髭もそらず、トイレにも行かず牛乳瓶を用いて排泄し、部屋中にひもを張り巡らせ“セーフティーゾーン”を作るなど、自分の世界に閉じこもってしまった姿はとても演技と思えないほどのリアリティー。クライマックスで、ライバル会社パンナムは政治家と手を組んでヒューズの公金不正使用を糾弾しようとする。日ごろの奇行からマスコミの好奇にさらされ、ついに社会から抹殺されるかと思われた公聴会で、ヒューズが思わぬ巻き返しを図る展開に、この低迷期の発狂演技が効いてくる。
中年詩人とのBLシーン『太陽と月に背いて』
ヒット作『ロミオ&ジュリエット』(1996)と『タイタニック』(1997)など、最も美しかったころのレオの小悪魔的な魅力が全開しているのが、詩集「地獄の季節」で知られる19世紀フランスの詩人アルチュール・ランボーを演じた『太陽と月に背いて』(1995)。タイトルに象徴されるように、物語の設定の当時(1870年代)、フランスでは犯罪とされていた同性愛を描いた禁断のラブストーリーだ。気性が激しく自由奔放な16歳の天才詩人ランボーは、新進気鋭の中年詩人ポール・ヴェルレーヌをとりこにし、妻子を捨てさせてしまう。ヴェルレーヌ役のイギリス人俳優デヴィッド・シューリスは名優ながら、決して2枚目とは言えないルックスもあって、レオとの絡みはやけに生々しい。しっとりとしたキスシーンのほか、全裸での激しいラブシーンなど「ここまでやるか」と驚くほど、レオが体当たりの熱演を見せている。気まぐれでヴェルレーヌに飽きると罵倒し、執拗に追い詰めるサディスティックなさまがまた美しく、メロメロになる女子も多いはず。
『タイタニック』の二人が倦怠期を迎えたら…『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』
『タイタニック』(1997)で世界中を魅了したカップルの倦怠期版とも言える愛憎劇『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』(2008)で、1950年代半ばの富裕層が集うアメリカ郊外で妻子と暮らすサラリーマンを演じたレオ。本作は、リチャード・イェーツの小説「家族の終わりに」にほれ込んだケイト・ウィンスレットが持ち込んだ企画。2年半かけて親友のレオを口説き、監督には夫のサム・メンデスを指名したことからも、ケイトの強い思い入れがうかがえる。女優になる夢がかなわず2児を育てる主婦となり、「あなたの代わりにわたしが働くから」とフランスへの移住を提案するエイプリル(ケイト)と、父親と同じようなしがない人生を歩んでいると嘆く30歳のウィーラー(レオ)。「現実と理想のギャップ」という普遍的なテーマを生々しく描いたイヤ~な話(だけど傑作)で、共感を覚えつつも「考えが足らない」「愚か」に見える夫婦の道行きはスリリングだ。夫婦が移住を決断した矢先、ウィーラーに思わぬ出世話が転がり込み、さらにエイプリルが妊娠したことから移住計画はとん挫しそうになり、夫婦仲は決裂していく。寝室を別にするようになり、「何でも話し合う必要はない」と主張するエイプリルに対し、「浮気をしたけど許してほしい」と火に油を注ぐ言動に出るウィーラーはどこまでもマヌケに見えるが、“どこにでもいそうな普通の夫”に成り切ったレオはやはり素晴らしい。極めつけは、「もうあなたを愛していない」と冷たく言い放つエイプリルに飛び掛かるシーン。プライドをずたずたにされ顔を真っ赤にして怒りを爆発させたウィーラーの形相は一度観たら忘れられないインパクト! 演技といえど、ここまでぶつかり合えるのは、ケイトとレオに並々ならぬ信頼関係があってこそ、だろう。
ドラッグを過剰摂取し、命懸けの帰宅『ウルフ・オブ・ウォールストリート』
『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(2013)で、学歴もコネもなしに26歳にして証券会社を設立し、約49億円の年収を稼いだ実在の株式ブローカーという何ともキャッチーな役どころで3度目のアカデミー賞主演男優賞にノミネートされたレオ。本作でのレオは、結婚式でのロボットダンスをはじめ、終始異様なまでのハイテンションで全編を突っ走る。「ウルフ」の異名を取るウォール街の顔となって以来、婚約者の胸の谷間から「汽車ポッポ」とコカインを吸入、独身サヨナラパーティと称し200万ドルをつぎこんで飛行機の中で乱交パーティーと快楽ざんまい。再婚して少しは落ち着くかと思ったら、ロウソクを尻に刺してSMプレー、夜中の3時にヘリで帰宅と“お遊び”はエスカレートし、「お金があると人はダメになる」の典型を演じてみせる。中でもぶっ飛んでいるのが、悪友から入手した禁止薬物を過剰摂取し、足腰が立たなくなった状態で帰途につくシーン。ホテルのロビーで電話中、急に薬が効き出し倒れ、玄関まで這い、階段を転がって下り、何とか車に乗る。家に着くなり、ろれつがまわらないまま、電話中の悪友に「盗聴器が仕掛けられているから切れ」と訴え、肉を食べて窒息死しそうになった悪友を人工呼吸で救いゴリラのような雄叫びをあげる……とアカデミー会員には嫌われそうなチャラい役ながら、受賞に足るキョーレツな熱演を見せている。インタビューでレオは本作では即興の精神を大事にしたと言い、「膨大な時間をリハーサルに費やし、そこから多くの即興演技が生まれた」と生々しい演技が生まれた背景を明かしている。
奴隷を“おもちゃ”にしてお愉しみ『ジャンゴ 繋がれざる者』
監督のクエンティン・タランティーノに自ら出演を熱望し、西部劇『ジャンゴ 繋がれざる者』(2012)では憎々しい悪役に挑んだレオ。終始眉間にしわを寄せた険しい表情が印象的だが、「いかにも悪役」といった感はなく、時折「狂気」をのぞかせる静と動のバランスがポイントだ。レオふんするカルヴィン・キャンディは、元奴隷のガンマン、ジャンゴ(ジェイミー・フォックス)の妻(ケリー・ワシントン)を奴隷として従える農場主で、屈強な奴隷同士を死ぬまで戦わせる悪趣味なゲームに興じる残忍な男。目の前で奴隷が死んでも顔色一つ変えず、人の命をおもちゃにする異常さを持ちながら、勝負を制した奴隷には「よくやった」とビールでねぎらう。悪知恵を吹き込む右腕的存在の黒人執事(サミュエル・L・ジャクソン)には割と対等に接していることからも、人種差別主義者でありながらも、全てを損得で判断するような節がある。そんな複雑な悪役を、自己主張することなくごく自然に体現したのがレオのカメレオンなところ。この男の異常性を最も顕著に感じさせるのが、妻を取り戻すべくビジネスと称してカルヴィンの家に乗り込んだジャンゴと賞金稼ぎ(クリストフ・ヴァルツ)の茶番に気付く場面。骸骨を片手に、長年カルヴィンに尽くした奴隷の歴史を語り始める……。並外れた猟奇性で、普段はクールな賞金稼ぎをも震え上がらせ、耐え難い嫌悪感を植え付ける絶対悪を堂々と演じ切っている。
禿げ頭&メタボ体形のFBI長官の痴話ゲンカ『J・エドガー』
冒頭からいきなり「誰、この禿げ頭の太ったおっさんは……?」と困惑するのは、レオが特殊メイクを施しアメリカ連邦捜査局(FBI)の初代長官ジョン・エドガー・フーバーの20代から晩年期までを演じわけた伝記映画『J・エドガー』。フーバーは国会図書館での勤務を経てその才覚をかわれ、50年近くFBI初代長官の座に君臨した歴史的人物で、アメリカ人、民主主義を守ることに全てを捧げた。そんな彼の人生は謎が多く、レオいわく「彼の人生は誤った思惑の連続」で、絶対権力が墜落していく過程が描かれている。監督のクリント・イーストウッドと脚本家のダスティン・ランス・ブラックは、フーバーと、息子を溺愛する母親(ジュディ・デンチ)、秘書のヘレン・ガンディ(ナオミ・ワッツ)、右腕のクライド・トルソン(アーミー・ハマー)との関係を軸にしているが、中でも興味深いのが、同性愛の説がささやかれるフーバーとトルソンの絆。普段はいかめしい顔で仕事に没頭するフーバーだが、トルソンと一緒にいるときは顔がほころび、「良き日悪しき日も昼食か夕食は必ず一緒にとること」をルールに、公私にわたるパートナーとなっていく。競馬場で休暇を共にした際にはルンルン気分で「部屋はスイートにしようね!」とイチャイチャ。しかし母親からは「女々しい息子なんて死んだ方がマシ」と拒絶され、トルソンに「妻を迎えようと思う……」と話した途端、殴り合いのケンカになりもみ合ううちにキス……! と修羅場になってもあきれるほどラブラブモード。国家を背負うFBI長官としての顔、信頼する人々に見せる素顔とのギャップを見事に体現していて、全編にそこはかとない哀愁が漂う力作となっている。