魂を削った愛の表現 カンヌ選出『光』河瀬直美監督&永瀬正敏インタビュー(2/2)
【永瀬正敏】
■信頼関係は1万2,000%
Q:永瀬さんありきの脚本だったと聞いて、いかがでしたか?
光栄ですよね。僕も写真をやっていますが、戦前、写真館のおやじだった僕のおじいちゃんが写真を辞めざるを得なくなったことがあったので、最初に台本を読ませてもらったときは、グッときました。おじいちゃんの思いも一緒に現場に立てると思って。
Q:河瀬監督に「万が一、永瀬さんが断ったら『光』は成立しなかったですね」とお聞きしたら「永瀬くんは断らない」と断言されていました(笑)。
断らないですね(笑)。
Q:その強い信頼関係はどうやって生まれたんですか?
『あん』で初めて河瀬組を経験させていただいて、監督が撮るもの、描きたいと思うものが間違いないと思ったし、作ること自体が難しい、演者にとって大変ありがたい環境って、ありそうでめったにないんです。それでも作ってもらえるということは、監督が矢面に立って演者を守ってくれているということですから、その信頼関係は1万2,000%くらいです。
Q:役者歴が長く、国内・海外問わず多数の作品に出演している永瀬さんにとってもめったにない河瀬組というのは、どんなものですか?
「雅哉として生きてほしい。そのために前もって現場に入って準備してほしい」と言葉で言うのは簡単だと思うんです。それを可能にする環境を監督が守ってくれていることは、やれば誰でも気付く。監督の言う「役を積む」ことができるのは、シーン1から順番に最後のシーンまで撮っていく順撮りしかない。効率や大人の事情で実現するのはなかなか難しいことですが、言ったからには演者、スタッフを守るっていう河瀬監督の思いは伝わるんです。
Q:実際に雅哉として生きるために行ったことを教えてください。
撮影前には僕(雅哉)と同じ症状の方や視覚障碍をお持ちの方、失明されてしまった方に極力いっぱいお会いして、いろんな話を細かくお聞きして仲良くさせていただきました。ご飯を一緒に食べたり、ご自宅や仕事場にお邪魔して僕らが普段生きている中では気付かない部分を教えてもらったり。そういう経験値を積んで、雅哉の気持ちの準備をしました。撮影中は、お風呂に入るとき以外はずっと弱視を体験できるゴーグルを着けていました。また、その状態で実際に撮影が行われる雅哉の部屋に撮影が始まる2週間前から住んで、「何でも言って」と言ってくれる監督と、「これが必要、これが必要じゃない」というディスカッションをさせてもらいました。あとは雅哉が撮ったであろう写真を選ばせてもらったり。これは初めて言うんですけど、いろんな写真がいっぱいあって、裸電球が灯っている押し入れがちょこっと映るシーンがあるんです。雅哉はカメラマンとしてバリバリやってきた、希望があった人ですよね。でも目の病気になって諦めざるを得ない、捨てなきゃいけない何かがある。僕には、彼が学生だった頃から知っているカメラマンの知り合いがいて、昔、彼の家に遊びにいったときにその押し入れのような感じだったんです。ちょっとしたギャラリーみたいになっていた。当時彼はまだ学生だったから、将来カメラマンとして頑張るぞという未来や希望があった。ニューヨークに行ったりして有名なカメラマンになった彼とはしばらく疎遠になっていたんですが、数年前にまた再会して。その彼が『光』を撮影する2か月前に突然、脳こうそくで亡くなったんです……。最初は押し入れに何もする気はなかったんですが、監督に実はこういうことがあって、彼の思いをちょっと押し入れに作りたいってお願いしたら、「それは何があっても作ってほしい」と許していただいて。その分手間も予算もかかるわけですよね。でもそういうことじゃない、それはあとでどうにでもするから、その気持ちを雅哉も一緒に抱えて部屋を作ってほしいって。それがまた、うれしくて……。
■ウソにウソを重ねない
Q:後半は体重がどんどん落ちて、クランクインからは約9キロ減ったそうですね、意識的なことだったんですか?
まあ、自然に食えなくなったんですけど、そうですね。ウソになるのが嫌だったんです。目の見える僕がその方たちの思いに100%近づくことは絶対にできないんですが、一歩でも二歩でも気持ちに近づいていたい、その思いに寄り添いたい、と思って。そのためには自分の気持ちに足かせを作って、自分に何かを課さないとダメなんじゃないかと思ったんです。
Q:監督は魂を削っているとおっしゃっていました。
そうですか、わかっていただいていて、うれしいですね。だから体重を落としたいがためにやっていたわけじゃなくて、見えないっていう絶望に僕なりの形で身を置きたい、何かを縛っていたかったんです。
Q:その縛りは、永瀬さんを苦しめることにはならないんですか?
めちゃ苦しみました。僕っていうより、雅哉がね。
Q:本当に視界が遮られる瞬間や、感情が止められなくなったことがあったそうですね。撮影後はしばらく社会復帰できなくて、次の作品の脚本も読めなかったとか。想像を絶する境地ですが、永瀬さんにとっては、よくあることでしょうか?
ここまでなるのは、まれなことですね。普段は演じることを求められる現場もありますし、それが演者としては普通のこと。「カット」がかかった瞬間にパッと切り替えることは、客観視することにおいては必要でもあります。ただ、河瀬組はそういうことではなく、役を生きている中でどこを撮られてもいいように、ずっと雅哉でいるわけです。それを僕が最初からオッケーしているわけですから、全て身も心も差し出す。どうしようもなく悲しくなったり絶望したりするんですよ、目が見えなくなると。そうすると一瞬パーンと本当に見えなくなったり、音が遠くなっていったり。それは僕というより、河瀬マジックですね。そういうことが不思議とありました。
Q:カンヌのコンペに選出され、永瀬さんにとっては日本人の俳優として初めて3年連続で出演作がカンヌに招待される快挙となりました。歴史に名を刻むわけですが、そんな永瀬さんが役者として肝に銘じていることって何ですか?
本当にありがたいことですね……。僕らがやっている仕事っていうのは、ドキュメンタリーフィルムでない限りはやっぱり作り事であって、その瞬間、その作品ごとでいろんな人になるわけですが、極力ウソにウソを乗っけないようにしています。それは『光』の雅哉にも通じますが、ウソにもう一つウソを重ねてしまうと絶対にお客さんにバレてしまうと思うんです。だから役を生きている間は100%力を注ぐことが必要で、手を抜くことはできない。
Q:ウソを重ねないっていう表現は面白いですね。
デビューのとき、そういう監督だったんでね。
Q:相米慎二監督(『ションベン・ライダー』)ですね。
はい。教えてって言っても、教えてはくれない人だったですから。なぜ教えてくれないかっていうと、「俺がやってるわけじゃねえ。この役はお前がやってるんだから、お前が一番知っているはずだろ」って。ド素人だったから教えてよっ、教えてくんないとできないって思っていましたけど、今考えると、役を理解していないのに芝居をすると、ウソにウソを重ねることになるんですよね。小手先の芝居になる。相米監督は、役になって自然に動作が出るまで待ってくれる監督でした。そこが原点なんです。